用事をすませ駅からバスに乗った。僕は一人掛けの椅子に座った。後ろの席は二人掛け、その通路側におばさんが座った。おばさんよりおばあ、いや、ばあさんと言った方がいいような人だった。出発を待つ間に立ち席もいっぱいになった。
するとそのばあさん、すぐそばにいたおじさんに、「どうぞここに座ってください」と肩を叩いた。そのおじさんは振り向いていかにも機嫌が悪そうに「いいです、座りたければ次のバスを待てばいいのだから」とけんもほろろに断った。ばあさんはさらに「向こうの方、あなたの前の方はどうですか」。そのおじいさんも「結構です」と断った。
そりゃあそうだろう、座っているばあさんより立っているおじさんの方が見るからに若々しく、颯爽としている。
バスは走りはじめた。僕は昨日買った新書判の本を読みはじめた。5分ほどすると後ろからやや大きな声がした。あのばあさんの声だ。それも僕に言っているようだ。なにを言っているのか瞬時には判断できなかった。「はぁ?」と聞き直すと「誰の書いた本を読んでいるのですか?」と聞いているようだった。まわりに本を読んでいる人はいない。この質問はまさしく僕への質問だった。
長いこと生きているが、電車やバスの中でその本は何だと聞かれたのは初めてだ。なぜそんなことを聞くのだろう、後ろの席からのぞき込み、盗み読んでいたのだろうか。そんなに目がいいはずはない。
さて答えに困った。なぜならこの本の書名をこの場で言うのはちょっとはばかれる本だったからである。おまけにまわりに立っているのは学校帰りの女子高生ばかり。
どうせばあさんにはわかりゃしないのだから「ニーチェとかボーボワール」とでも言っておけばよかったのだが、とっさにニーチェもボーボワールもリルケもハイネも出ては来なかった。
仕方なく「そんなことどうでもいいじゃないですか」と間の抜けた返事をした。、今考えれば振り向いてアカンベェでもすればよかったと後悔している。
停留所で「ヨッコラショ」と言いながら降りて行った。
僕はうちへ帰り持っていた本のカバーに「ニーチェとかボーボワール」と書いた。
でもこの本の本当の書名は・・・。
これじゃあ大きな声で言えないわなぁ。
するとそのばあさん、すぐそばにいたおじさんに、「どうぞここに座ってください」と肩を叩いた。そのおじさんは振り向いていかにも機嫌が悪そうに「いいです、座りたければ次のバスを待てばいいのだから」とけんもほろろに断った。ばあさんはさらに「向こうの方、あなたの前の方はどうですか」。そのおじいさんも「結構です」と断った。
そりゃあそうだろう、座っているばあさんより立っているおじさんの方が見るからに若々しく、颯爽としている。
バスは走りはじめた。僕は昨日買った新書判の本を読みはじめた。5分ほどすると後ろからやや大きな声がした。あのばあさんの声だ。それも僕に言っているようだ。なにを言っているのか瞬時には判断できなかった。「はぁ?」と聞き直すと「誰の書いた本を読んでいるのですか?」と聞いているようだった。まわりに本を読んでいる人はいない。この質問はまさしく僕への質問だった。
長いこと生きているが、電車やバスの中でその本は何だと聞かれたのは初めてだ。なぜそんなことを聞くのだろう、後ろの席からのぞき込み、盗み読んでいたのだろうか。そんなに目がいいはずはない。
さて答えに困った。なぜならこの本の書名をこの場で言うのはちょっとはばかれる本だったからである。おまけにまわりに立っているのは学校帰りの女子高生ばかり。
どうせばあさんにはわかりゃしないのだから「ニーチェとかボーボワール」とでも言っておけばよかったのだが、とっさにニーチェもボーボワールもリルケもハイネも出ては来なかった。
仕方なく「そんなことどうでもいいじゃないですか」と間の抜けた返事をした。、今考えれば振り向いてアカンベェでもすればよかったと後悔している。
停留所で「ヨッコラショ」と言いながら降りて行った。
僕はうちへ帰り持っていた本のカバーに「ニーチェとかボーボワール」と書いた。
でもこの本の本当の書名は・・・。
これじゃあ大きな声で言えないわなぁ。