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元祖 ひまうま本舗

「ひまうまの世間は、鬼ばかり?」後身blog

百まで待てと追い返せ

2023-02-18 08:26:49 | News




「四十、五十は洟垂れ小僧、六十、七十は働き盛り、九十になって迎えが来たら、百まで待てと追い返せ」。これは日本に於ける資本主義の基盤を造った渋沢栄一(1840年3月16日~1931年11月11日(91歳没))氏の名言。第一国立銀行や東京証券取引所、商法講習所(現在の一橋大学)等の設立でも知られるが、その功績は計り知れない程なので、詳しい事はWikipediaでも参考にして頂きたい。(URL参照)その名言だが、小生も、いつの間にか半生を振り返る年齢になってしまった。つまり「この名言に共感が出来る歳になってしまった」と言えるが、こんな事を思うのも、父の享年と自身の歳から尚更に半生を振り返る事となったからだろう。(そんな感じだとは思う。)そこで自身にとっての資本主義だが、「必要な時に必要なものが、必要な時に在れば良い」てな価値観である。つまりお金は在るに越した事はないが、それ即ち「何の為のお金か?」だ。なので「間に合うだけ在れば良い」程度なのだ。そうは言うものの、日本経済は、バブル崩壊後、道を逸れており、正常とは言えない。その象徴が“電通案件”の【東京五輪】だったと言えるだろう。つまり「在る処には在るじゃないか?」だ。そこでその元凶だが、やはり小泉内閣時の【聖域なき構造改革(小泉構造改革)】に遡ると思う。当時、金融担当大臣として、民間から登用されたのは経済学者の竹中平蔵氏であった訳だが、この人のやった事は、労働者に対する冒涜そのもので、早い話が「企業が労働者に対する責任の放棄」だった。即ち企業が労働者の首を斬りやすくした訳で「派遣法」なんぞは正にそれだ。つまり経営者が労働者に求めるのは労働力だけで、労働者個人に対する責任は、一切ないのだ。今や正社員さえも首を斬りやすい有り様なので、どれだけ狂った世の中になったかだ。これでは不安で婚姻処ではあるまい。斯くして少子高齢化を進める原因ともなった経済政策だが、確かに「聖域なき」で、守るべき聖域まで崩壊してしまった。その中の郵政法に関しては、単に国民が器用なだけである。参考に竹中平蔵氏がやらかした事へに関する批判だが、Wikipediaに的確なものが在ったので転載しよう。



「落語家の三遊亭鬼丸からは、「政府にすり寄り恥知らずな我田引水を続け私腹を肥やす傍ら納税(住民税)の義務を怠る、いわば国賊です」と、厳しく批判されている。」

「「つばさの党」代表の黒川敦彦は、2019年(令和元年)に「竹中平蔵 売国奴」「白蟻(あり)」などの竹中を批判するボードを掲げた市民約70人を引き連れ行ったパソナ本社前でのデモにて、「アベノミクスでこの6年間、大企業の利益と一部富裕層の資産は増え続け、富裕層の資産は300兆円になった。その反対側で、庶民の生活が崩れている」と批判した」

箇条書きではあるが、正にその通りだと言えるだろう。

トルコ大使「物資より義援金を」大地震の死者2万人超…適切な支援のあり方は
https://news.yahoo.co.jp/articles/8982869f9185e3ab9f1a46cf8b076a268b15f563
「はだしのゲン」平和教材から削除 「被爆の実態に迫りにくい」広島市教委
https://news.yahoo.co.jp/articles/8e53ac1429d2c0f63314f6c17b2944f492f68dd8
渋沢栄一(Wikipedia)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80
竹中平蔵(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%B9%B3%E8%94%B5



さてトルコでの震災だが、こんな時に政治事情が悪いのも困ったものだ。国が正常ではないと、災害が起きるとこうなる見本だ。そこでトルコ大使が「物資より義援金を」と本当に必要なものを要求するのは、ある意味正解だ。日本の場合は、流石に腐っても鯛なので、どうにかなっているが、世知辛い世の中だ。それとこんな記事があった。「はだしのゲン」平和教材から削除 「被爆の実態に迫りにくい」広島市教委」と。中國新聞によると「広島市教委は2023年度、市立の全小中学、高校の平和教育プログラムを初めて見直す。小学3年向けの新教材では、これまで採用していた漫画「はだしのゲン」を「漫画の一部を教材としているため、被爆の実態に迫りにくい」などとして削除。別の被爆者の体験を扱った内容に差し替える」との事。つまり利用価値が無くなったと言う事だ。この作品は、嘗て少年誌(週刊少年ジャンプ)で連載されたものだが、後年はそれを離れ、散々「赤旗」に利用をされたので、元々の作品観まで崩壊してしまった。即ち単に左翼運動家のイデオロギーを反映した内容となり、作者も感化された事から自然と元の読者が引いてしまった感がある。またそのような背景があるからこそ、日教組の組合員が学校の教材になったのだろう。その使い道が、時代と共に無くなっただけだ。

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