海鳴記

歴史一般

奈良原家の怪(1)

2013-11-03 12:54:05 | 歴史
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 今回、ややキワモノめいた題で整理しておこうと思ったのは、前回及び前々回からブログを更新する度に、私の脳裏にある人物の名前が浮かんできては消え、消えては浮かんでくるということが起こり、ややフラストレーションが溜まってきたからだ。だからといって、気楽にこの人物の名前を出すことは、憚られた。その最大の理由は、情報量が限られていたからである。そして、その限られた情報から推測に推測を重ねることは、危険過ぎるし、ある意味で子孫氏のプライバシーを侵しかねないとも考えていたからだ。
 ただ今回、ある事実が掘り出されたことによって、限られていた情報に新しい突破口が開かれ、危険やプライバシーを凌駕するようになってしまった。さらに、こういう歴史的事件を追えば追うほど、個人的にそれを追う時間が限られていることも痛切に感じるようになってしまった。だから、このブログを読んでいる人たちにも、この探求に加わってもらいたいという意味もこめて、思いきって整理しようと考えたのである。
 前置きが長くなってしまった。とにかく、話を進めよう。私が奈良原喜左衛門と関係があると推測していた奈良原雅雄(注1)という人物のことである。
 私は、最初の本でこの人物の名前を出してから、それ以後、この人物に関しては一切言及するのをやめてしまっていた。ある一点で情報が閉じてしまったからであった。というのも、もともと原田姓の雅雄が、奈良原姓に変わったときに出て来る奈良原(止美)トミという女性の親が誰なのかわからなかったからだ。
最初の本を出したあと、私はある協力者のおかげでかなりの除籍謄本を入手(注2)したことがあった。ところが、奈良原トミ以前の戸籍はすでに抹消されており、奈良原トミの親がだれなのか一切追及できなくなったのである。つまり、雅雄の養妹として記載されていたトミは、喜左衛門系列の娘なのか、あるいはそれらとも関係のない他の奈良原家の娘なのか永久にわからなくなってしまったのだ。残念無念としかいいようがなかった。 (注3)
それなら、なぜ今回もう一度私の脳裏に奈良原雅雄の名前が浮かんだり、消えたりしたのか。それは、奈良原繁が谷山(現在は鹿児島市)と深い関わりがあることがわかってきたからである。

(注1)・・・歴史上の人物とは言い難いし、そのご子孫氏もいることだから、敬称を付加すべきだが、過去(墓碑名)の人物としてそれを省かせていただく。ご了承願いたい。
(注2)・・・合法的であることをお断りしておく。
(注3)・・・これは番外(注)だが、前章で奈良原繁の二女のトキは、繁の除籍謄本に記載されていないと書いてしまったが、私の確認ミスだった。結婚せずに病死したためか、抹消はしていなかった。生年は記載されていなかったが、死亡年月日はあったことをお断りしておく。