D委員;「またいきなりエイさんを別な奈良原家に養女にしたといいますが、この根拠は何なのですか」
長岡;「はい。以前、エイさんの息子である山口政雄氏の本に、エイさんの母親は峰さんで、喜左衛門の妻だったひろ子という名前ではなかったと言いました。その時、うっかりして父親の名前まで出しませんでしたが、それは喜格という名でした。もちろん政雄氏は、それは喜左衛門の別名だと考えていたのです。
しかしあるとき、明治10年の鹿児島県官員録に、奈良原喜格という人物が6等警部として出てきたのです。これでは、喜格が喜左衛門の別名だということになりません。そのため私は、エイさんは、この奈良原喜格家で養女として育てられたのではないか、と考えたのです」
D委員;「それでは、あなたは、エイさんが喜左衛門の娘であると疑っていないわけですね」
長岡;「ええ、疑っておりません。私は、政雄氏が孫だと信じたからこそ、調べ出したわけですから。これはともかく、エイさん自身も養女だという自覚はあまりなかったように考えられます。というより、繁は養女にしたということも隠したかったのではないかと思われる節(ふし)があるのです。
ところで私は、生麦事件研究家の浅海武夫氏からさまざまな情報を得ております。そのうちの一つが奈良原家の系図でした。それは、奈良原繁の非嫡出子、つまり正妻の子供ではない系統の子孫氏の戸籍を基に作成したとありました。私自身、最初この系図を手がかりに調べ出したのですが、あるとき喜左衛門の没年と妻であるひろ子の没年が逆になっているのに気づきました。これは、ちょっとしたミスだと思い、浅海氏に問い合わせたところ、子孫の除籍謄本にそう書かれてあったというのです。
繁が建てた喜左衛門の墓には、喜左衛門は慶応元年(1865)閏5月18日に京都で亡くなったと、定説通りのことが刻まれております。そして、妻・ひろ子さんは文久2年10月2日となっております。しかしながら、戸籍にはこの事実を入れ替えて書いているというのです。私は、実際に目を通していないので何ともいえませんが、もしこれが意図的だとしたら、どういうことでしょうか。
喜左衛門夫婦の忌日を知っているのは、当時を生きていた繁であって、その子供たちではありませんから、明治になってからの戸籍にこれらのことを書けるのは繁しかおりません。ということは、繁が何らかの意図をもって、喜左衛門夫婦の忌日を操作した可能性があるのです。後々の子孫のために」
B委員;「そんなことが可能ですかね。またそう推理できる根拠でもあるんですか」
長岡;「はい。以前、エイさんの息子である山口政雄氏の本に、エイさんの母親は峰さんで、喜左衛門の妻だったひろ子という名前ではなかったと言いました。その時、うっかりして父親の名前まで出しませんでしたが、それは喜格という名でした。もちろん政雄氏は、それは喜左衛門の別名だと考えていたのです。
しかしあるとき、明治10年の鹿児島県官員録に、奈良原喜格という人物が6等警部として出てきたのです。これでは、喜格が喜左衛門の別名だということになりません。そのため私は、エイさんは、この奈良原喜格家で養女として育てられたのではないか、と考えたのです」
D委員;「それでは、あなたは、エイさんが喜左衛門の娘であると疑っていないわけですね」
長岡;「ええ、疑っておりません。私は、政雄氏が孫だと信じたからこそ、調べ出したわけですから。これはともかく、エイさん自身も養女だという自覚はあまりなかったように考えられます。というより、繁は養女にしたということも隠したかったのではないかと思われる節(ふし)があるのです。
ところで私は、生麦事件研究家の浅海武夫氏からさまざまな情報を得ております。そのうちの一つが奈良原家の系図でした。それは、奈良原繁の非嫡出子、つまり正妻の子供ではない系統の子孫氏の戸籍を基に作成したとありました。私自身、最初この系図を手がかりに調べ出したのですが、あるとき喜左衛門の没年と妻であるひろ子の没年が逆になっているのに気づきました。これは、ちょっとしたミスだと思い、浅海氏に問い合わせたところ、子孫の除籍謄本にそう書かれてあったというのです。
繁が建てた喜左衛門の墓には、喜左衛門は慶応元年(1865)閏5月18日に京都で亡くなったと、定説通りのことが刻まれております。そして、妻・ひろ子さんは文久2年10月2日となっております。しかしながら、戸籍にはこの事実を入れ替えて書いているというのです。私は、実際に目を通していないので何ともいえませんが、もしこれが意図的だとしたら、どういうことでしょうか。
喜左衛門夫婦の忌日を知っているのは、当時を生きていた繁であって、その子供たちではありませんから、明治になってからの戸籍にこれらのことを書けるのは繁しかおりません。ということは、繁が何らかの意図をもって、喜左衛門夫婦の忌日を操作した可能性があるのです。後々の子孫のために」
B委員;「そんなことが可能ですかね。またそう推理できる根拠でもあるんですか」