しかしながら、この強いボースンには勝てず、以後頭が上がらない関係になってしまったようだ。さらに運が悪いことに、このボースンと乗合わすことが多いらしく、めぐり合わせが悪いとしか言いようがない、と力弱く笑ったのには、同情するほかなかった。しかしながら、この二人の対照的な船員を見る限り、勝ち犬と負け犬という言葉を思い浮かべざるをえなかった。そして、一方は、退職後も家庭にも社会にも馴染めず、孤独な生涯を終えるような気がしたのである。
ところで、引退後の船員の生活を想像すると、他の陸上の会社勤めで退職した人たちとは明らかに違うように思われる。一般に、甲板部の高級職員とランクづけされる士官クラスの船員たちは、船に執着せざるをえない分だけ、より孤立を感じるような気がしないでもないが、私はむしろ部員クラスの船員ほうが孤立感を味わうように思える。釣りや模型帆船でも作る趣味でもあれば別だが、見ていると、かれらのほうが人間関係を作るのに不器用なのだ。
もっとも、かれらの出身は、漁村とか小さな港町とか、船員という職業に従事している人が多い地域なので、そこへ帰っていけばそれなりに幸福な晩年を過ごせるのだろうが。
またたとえば、船長まで勤めて退職した人たちはどうだろうか。
あるテレビドラマで、退職した船長が、毎日港(横浜―でないとさまにならないのか山下公園辺り)に通って、海(船?)を眺める孤独な姿を設定していた。陸に上がった船乗りのある象徴として。ありえない場面ではないだろうが、どうも尋常とは思われない。頭のおかしくなった船長を描いているのならともかく、ドラマではそういう設定ではない。
もともと、船で船長という孤独は経験しているし、そこでの孤独や孤立は退職後よりも強いのではないだろうか。だから、退職後は船長協会などに属して、仲間づきあいしたり、あるいは甲板部の最終目標である水先案内人を目指して勉強したり、となかなか忙しくしているのではないかと思えるのである。
ところで、引退後の船員の生活を想像すると、他の陸上の会社勤めで退職した人たちとは明らかに違うように思われる。一般に、甲板部の高級職員とランクづけされる士官クラスの船員たちは、船に執着せざるをえない分だけ、より孤立を感じるような気がしないでもないが、私はむしろ部員クラスの船員ほうが孤立感を味わうように思える。釣りや模型帆船でも作る趣味でもあれば別だが、見ていると、かれらのほうが人間関係を作るのに不器用なのだ。
もっとも、かれらの出身は、漁村とか小さな港町とか、船員という職業に従事している人が多い地域なので、そこへ帰っていけばそれなりに幸福な晩年を過ごせるのだろうが。
またたとえば、船長まで勤めて退職した人たちはどうだろうか。
あるテレビドラマで、退職した船長が、毎日港(横浜―でないとさまにならないのか山下公園辺り)に通って、海(船?)を眺める孤独な姿を設定していた。陸に上がった船乗りのある象徴として。ありえない場面ではないだろうが、どうも尋常とは思われない。頭のおかしくなった船長を描いているのならともかく、ドラマではそういう設定ではない。
もともと、船で船長という孤独は経験しているし、そこでの孤独や孤立は退職後よりも強いのではないだろうか。だから、退職後は船長協会などに属して、仲間づきあいしたり、あるいは甲板部の最終目標である水先案内人を目指して勉強したり、となかなか忙しくしているのではないかと思えるのである。