夜となく昼となく、
作文添削を続けているのですが、
くたびれたときは、以前のこの部屋の住人が置いていった下の品物を使い、
背中を伸ばして身体をほぐします。
なかなかの優れものです。
しかし、くたびれ過ぎたらベッドで大の字になり休憩します。
そのとき、枕もとにあって、
疲れた私を脱力させてしまうのが井上ひさしさんの本です。
今日の脱力:エッセイ『日本語観察ノート』中の「人さまざまである」
「人生いろいろである」と「人さまざまである」を使えば、
そこで文章はいきなり締めくくられて終わると言及し、
例文を挙げているのが、こんなのであります。
*「親譲りの無鉄砲で、子供のときから損ばかりしている。
人さまざまである。」(『坊ちゃん』夏目漱石)
*「朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母様が、
『あ』と微かな叫び声をお挙げになった。人さまざまである。」(『斜陽』太宰治)
*「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君、人はさまざま」(与謝野晶子)
*「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色 盛者必衰のことわりをあらわす。
おごれるものも久しからず。ただ春の夜の夢の如し。
たけきものも終には滅びぬ。ただ風の前の塵に同じ。
人生いろいろ、人さまざまなりき。」(『平家物語』)
*「結局、松井に本塁打は出なかった。
三振、二ゴロ、右前打の後に回ってきた九回の第4打席。
今季最後の打席は、カウント2-2から、横山の速球に詰まり、
右飛に終わった。人生いろいろ、人さまざまである。」(読売新聞見出し「松井本塁打王ならず」)
・・・・・・あははははあ~。
そう言えば、日本の友人との会話でも、
私が一生懸命、情熱に任せて誰かの何かを批判していても、
「ま、人さまざま、それぞれ違うからね。」
と、一瞬にして話が打ち切られることがよくあります(笑)。
亡き井上ひさしさんの遺志を継いだ劇団こまつ座は健在なご様子。
一度は東京へ観に行きたいんですが、人生いろいろですから……。
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