毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「漫画家上田としこと『フイチンさん』」No.3984

2020-10-09 23:47:50 | 

読みながら、

この漫画を描いた上田としこさんという人は

日本人だろうか、それとも中国人かなと思えた漫画『フイチンさん』。

友人マミさんが所有している秘蔵本を貸してくれたのです。

これはこれは、の本でした。

ネット検索によると、

上田としこさんは1917年東京生まれ(私の父と同じ年生まれだ!)、

生後40日で中国ハルビンに渡り、幼年期を過ごしました。

(彼女の父は満鉄の職員だったので)

満州事変(1931年)以前の1929年に現地の小学校を卒業して

一旦、日本に帰国しましたが、

1943年、26歳のときに再びハルビンに渡り、満鉄などで働いて

敗戦の翌年、1946年10月に葫蘆島(ころとう)から

引き揚げ船に乗って帰国しました。

2008年3月に東京の自宅で逝去(享年90歳)。

『フイチンさん』は彼女の体験に基づく代表作です。

流麗な描線、清々しい内容、随所にちりばめられた中国語やロシア語、

手元に置いて何度でも読みたい漫画です。

自分でも買うことにしました。

下の里中満智子さんが書いた文章を読めば

皆さんも『フイチンさん』が読みたくなるはず。

  ☟     ☟     ☟

少女クラブで1957年1月から1962年3月まで連載されていた「フイチンさん」を私はリアルタイムで読んでいた。

当時の日本の少女にとって日本軍とか戦争とか、日中関係(まだ国交回復していなかった)がどうかとか…は、まったく理解できないしピンとこなかった。

そういう「歴史とか国際情勢」に関わりなく、フイチンさんはハルピンの街で元気に暮らしていた。

読者の少女はそこに描かれている見知らぬ国の習慣と生活に興味をもち、働く少女フイチンと年下のおぼっちゃまとのやりとりに親しみ、作品で紹介される中国語を毎月楽しみにしていた。  

今思えば、かの地で日本人として壮絶な体験をしたであろう作者の生み出した「現地物」なのに、暗さのかけらもなく見事なキャラクター性で読ませるお手本のような作品だ。

余談だが、上田トシコ先生とは数え切れないほどお話をする機会に恵まれたが、実にきっぱりと潔くて、そして気取らない優しい先生だった。

フイチンさんをうんと美人にして宝塚の男役にしたようなかっこいい人だった。 里中満智子(漫画家/マンガジャパン代表)

 

こうなってくると、村上もとかの『フイチン再見!』も読まないと。

ああ、忙しいわ~。

  ☟    ☟    ☟

私は今、層としての日本人ではなく、

古今東西の、一人ひとりの、スゴイ日本人との出会いを

生きる励みにしています。

『フイチンさん』の作者との出会いもその一つです。

上田としこさんについては下の記事もとても参考になりました。

title_my_fuichin.jpg

https://bigcomicbros.net/7757/

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