毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

「南昌のバスの中にも時代の波が」 2012念12月30日(日)No.550

2012-12-30 20:32:48 | 中国事情
一週間ほど前から近隣の大学は冬休みに入っている。
知り合いの日本人教師たちは
1学期が終わるやいなや脱兎のごとく日本に帰っていった。
ああ、それなのにこの大学ときたら、
いったいどこまで人を働かすのか。
国慶節の振り替えだとかいって、
昨日、29日の土曜日まで授業をやらせるのだ。

折しも朝から雨が降り、途中からみぞれに変わった。
私は靴の中が濡れるのを心配しながら学校へ行った。
スクールバスは早朝7時半と昼の12時、そして夕方5時にしかない。
授業は10時20分からなので、市バスで行った。
市バスに乗ったとき、ここ2年ちょっとの間で明らかに変化していると気づいたことがある。
2年前は、私が立っていると学生やあまり若くない人までもが、
席を譲ろうとほぼ必ず声をかけてくれた。
声をかけずに、服をツンツンと引っ張って、座れと合図する人もいた。
最近は、見事に誰も席を譲ってくれない。
私だけではなく、誰にも譲らないのだ(別に座りたくて言っているんじゃないけどさ)。
ここに来たばかりの頃は、その親切さが新鮮で、
中国人は心が温かいなあとしみじみ思ったものだ。
時代の移り変わりとともに、と言ってもたった2年ちょっとしか経っていないのに、
これはこれはの激変ムードだ。
80年代生まれの学生たちが、
「90年代生まれにはついて行けません。断絶があります。」
と言ったことがあるが、その80年代は大方もう卒業してしまった。
現在学生の主流を占めるのは、90年代生まれだ。
皇帝と女王様たちだ。

中国の学校では社会的マナーやボランティア精神については、ほとんど教えず、
ひたすら勉強させ、いい成績を目指させるという。
では、今までどうしてバスの譲り合いなどができていたのか。
かつて、雷峰という礼儀正しく忠義の心溢れる軍人がいて、
「雷峰的に行動しよう」というスローガンもあったそうだが、
やはり決定的なのは家庭でどう育ったかということだと思う。
80年代生まれの子たちは、多くが家の手伝いをして育ってきた。
牛の世話、ご飯の支度、弟や妹の面倒をみるなど、農村では当たり前だった。
今の大学生は、たとえ農村出身でも、お嬢様とおぼっちゃまが多数派を占める。

1年経てば時代が変化している。
経済事情も、生活のスタイルも刻一刻変わっているのだ。
座席を譲らない子が爆発的に増えているのはその一つの証左だ。
たとえ昔風な帽子と上着をまとい、足腰が弱っているのが丸分かりの
おじいさんがよろめきながら乗ってきてもガンとして譲らない。
まず自分の席を確保し、座ったらスマートフォンで何やらする。
周りを見ない人たち。
日本ではそれが普通かも知れないが、
中国では、何かガッカリする。
2年前の過剰なまでの譲り合いを経験しただけに。
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