毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

お茶会   2011年5月28日(土)  No.138

2011-05-28 07:13:50 | 中国事情
 月曜日、右耳後ろに刺すような痛みを感じ、翌日も翌々日も続いた。初め、風邪がぶり返したのだろうと考えていたが、葛根湯を飲んでも、バファリンを飲んでも治まらないその痛みに(脳の中に異変が起きたのかも…)とすら思った。昨年、66歳で亡くなった佐野洋子さんのことがふっと頭に浮かんだりした。彼女の死因は何だったのかな。
 しかし、木・金の最も充実した仕事日を向かえてアタフタしているうちに、頭痛は気にならなくなり、今朝は全く痛みを感じない。洟水、喉の痛みがあるということは、なんだ、やっぱり風邪か。長生きしたいとは思わないが、こんな中途半端な終わり方はちょっと拙い。できれば自然に包まれた隠遁生活でフィニッシュを決めたい。そんなことをぼんやり思った数日間だった。

 昨日、財経大学に岡田先生という日本女性が来て、茶道の基本的な形を手ほどきしてくれた。岡田先生は江西職業学院旅行ビジネス学部の日本語の先生だ。今回のお茶会も、彼女が申し出てくれたので実現できた。財大の学生達は、この茶会を「いつもの日本語コーナーに、職業学院の学生達も来て交流する」と思い込んでいたようで、岡田先生が一人(2年生のお出迎え係に連れられてだが)、キャリ-バッグにお茶の道具を詰め込んで登場したのを見て、初めて、自分たちだけのためにわざわざ来て下さったことを悟り、感激した。
 午後4時半から始めたお茶会は、1年生、2年生、3年生といつになく多彩な顔ぶれがそろい、ピーク時には50人を越え、廊下で立ち見も出た。お馴染み東華理工大学の学生達も村岡先生に連れられて参加してくれた。
 驚いたことには、学生達は茶道の知識がかなりあった。私が忘れきっていたお茶の道具名がスラスラ出て来る。どうして知っているのか聞くと、「インターネットで調べた」と言う。2年生は今『日本概況』という科目があるので、室町時代も茶道も華道も勉強しているそうだ。クルクル(舌を巻く音)。
 岡田先生が、浴衣の着方、帯の結び方も実演してくださると、乗りやすい学生達から盛んな拍手。さらに「先生、ポーズしてください。」と、皆携帯をかざして、さながら撮影会の様相を呈した。若くてきれいな岡田先生も、キュートに様々なポーズで応えたのは言うまでもない。
 隣の学校の村岡先生、ちょっと遠い学校の岡田先生、と頼もしい日本人教師の二人に出会えて本当に良かった。こうして日本人教師チームみたいなのが作れて、お互いに色々な場面で助け合えたらいいな、と
思う。芸のない私は助けられる一方であるが。

 今回の会場は、当初、狭い資料室を使う予定だった。しかし、いつもの3年生のメンバーが、向かいの自習室の方が広くて良い、と言う。その自習室は、半分壊れた机椅子が散乱し、机の中はゴミだらけ、どこもかしこも埃だらけ、何百匹もの蚊の大群、とまあ、荒れ放題の状態でとてもじゃないが『わび・さび』の美を表現するに相応しくない。そう言うと、彼らは前日、寮から掃除道具を持ってきて、黄さんの指図の下、あらビックリ!こんないい部屋だったの状態に整え、さらに折り紙でチャッチャとディスプレイまでやってくれたのだ。彼女たちの面目躍如というところだ。普段勉強、勉強で忙しい彼女たちは、日本語コーナーも「人数が足りない!」というときしか参加しないが、必要なときには何も言わなくても頭を働かせ、機敏に動いてくれる。こういう子達は、どんなことがあっても自力で人生を切り開いて行くんだろうなあ。
 当日は、最近体調を崩して元気がなかった陳さんも、一時間前にやって来て「先生、準備しましょう。」と言う。他にも2年生、3年生が何人も来て、きびきびと働いてくれる。これが中国を引っ張っていく力だ。中国が元気なわけだ。

 岡田先生が浴衣を脱ぎ、たたみ方を示しているのを見ながら、3年生の黄さんが、
「これを自分で作ることはできませんか。私たちはこれを着て卒業したいです。」と言った。来年だ。ひょっとしたらできるかも知れない。生地と糸とミシンがあれば。作り方も知らないクセに、すぐ安請け合いしたくなる私だった。

 
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