「世界の誰一人として私たちを批判する権利はない。」
1961年、イスラエルのアイヒマン裁判結審後におけるゴルダ=メイア外相(当時)の発言だ。
2024年の今も、
世界世論の非難の声、
国際司法裁判所の「ジェノサイドを止めよ」という判決、
常に後ろ盾であるアメリカ政府の「さすがにやり過ぎだ」という助言すら無視して、
パレスチナへの無差別虐殺を止めないイスラエルは
世界に対して昂然とこの言葉を言い放っている。
「世界の誰一人として私たちを批判する権利はない。」
600万人もの人間を虐殺したナチスの究極の悪の被害をこうむったユダヤ人が
未来永劫それを忘れず、許さないというのは当然だ。
日本はユダヤ人ホロコーストには直接加担していないが、
アジアの地で朝鮮・中国をはじめ多くの国々を侵略し、その国の人々を虐殺した歴史を持つ。
ヨーロッパの加害国がいまもユダヤ人に負い目を持っていることはよく分かる。
日本も同じ立場だと感じている。
しかし、だからと言って
イスラエルがパレスチナ人を蹂躙し、虐殺することに目をつぶっていいわけはない。
それはそれ、これはこれだ。
今、世界は安定・平和という薄い膜に裂け目が生じ、
第二次世界大戦並みの混乱・カオスに突入しつつある気がする。
日本の多くの人々は
「ガザの人たちは可哀想だけど国連が機能してないんだからどうしようもない」と、
それほど関心を持っていないように見受けられる。
しかし、パレスチナ人へのジェノサイドは他人事ではない。
世界が、社会が、人心が壊れるその流れの中に日本もすっぽり入っているのだから。
パレスチナの人々へのジェノサイドを見て無感動でいることは
すでに人の心が壊れている証左だ。
人の心を失った人間とは一体なんなんだ。
何故、容赦ない行動に批判を受け付けないのか?
悲惨な報道に胸が締め付けられる
イスラエルを訪問した人々の多くは、イスラエルの人々は賢く穏やかで文化的だという印象を持つそうですが、その穏やかで文化的な人々が「パレスチナの子どもや女性を含む民間人が何人死んでもそれは仕方がない」と政府と軍部を支持するんですからねえ。
しかし、その両面性はイスラエル国民に限らず、戦時中の日本人も、南京陥落で難波に人々が繰り出してお祭り騒ぎだったそうです。
相手側に立った事実を知らされていないことが大きいのでしょうが、今はネットでいくらでも知ろうと思えば知れるのに。国家の情報を軽信しているんでしょうね。でも、これは日本人にも言えることですね。