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中国共産党建党90周年   2011年6月30日(木) No.163

2011-06-30 19:48:19 | 中国事情
 今日じゃなくて明日7月1日のことだが、中国共産党建党90周年を迎える。90年前の中国はどんなだったんだろう。

1911年 辛亥革命(臨時大総統 孫文)清朝崩壊。 
1912年 中華民国成立。袁世凱が中華民国初代大統領じゃない大総統に。(はてな?1)
1915年 袁世凱、自ら帝位に就く。
1916年 袁世凱 反帝政運動に遭い憤死。(当時57歳)
1916~21年 五-四文化革命。反儒教・反封建運動。白話運動。陳独秀、胡適、魯迅。(おお~!1)
1919年 孫文、中国国民党を組織。国共合作、三民主義、国民革命の実現目指す。(はてな?2)
1924~27年 第一次国共合作
1921年 中国共産党創立。李大、陳独秀。
1925年 孫文死去。
1927年 国共合作分裂。周恩来、朱徳ら中国共産党江西省南昌で武装蜂起(八一蜂起)。紅軍建設の発端。(おお~!2)
    建党リーダー李大、張作霖により逮捕殺害。
    毛沢東、朱徳とともに江西省井岡山に革命根拠地を建設。
1931年 江西省瑞金にソビエト建設。

1936年 西安事件(旧東北軍張学良が南京から督戦に来た蒋介石を監禁)。
    共産党の周恩来のあっせんで蒋介石は釈放され、抗日民族統一戦線のきっかけになる。
1937~46年 第二次国共合作(対日交戦)
1949年 中華人民共和国建国(首都北京)。蒋介石、台湾に国民党政府樹立。(ハテナ?3)

キラ星のように名前が次々と出てくるが、高校の歴史で習ってから幾星霜…。ちょっと略歴を整理したい。

孫文(1866~1925)広東省出身。初め医者、興中会→中国同盟会組織。しばしば日本へ亡命。
           1911年、辛亥革命臨時大総統に選出されるも、袁世凱にその地位を譲る。
           しかし、袁世凱、段祺瑞らの軍閥専制化に反対、19年中国国民党を組織。
           国共合作推進。新三民主義提唱。国民革命目指す。志半ばで北京に死す。
陳独秀(1880~1942)安徽省出身。日本に留学。1915年、「新青年」を創刊し、伝統的儒教倫理を否定。
           北京大学教授となり、新文化運動を指導。21年、中国共産党初代総書記。
           29年、トロツキストとして除名される。
李大(1889~1927)日本留学。北京大学図書館主任、五四運動後、教授。中国共産党創立に尽力。理論家。
          国共分裂後、張作霖のために逮捕され殺害。
胡適(1891~1962)上海生まれ。アメリカ留学。北京大学教授。白話運動。1938年駐米大使。48年アメリカに亡命。
魯迅(1881~1936)浙江省出身。日本留学。医学を学ぶも、文学による社会変革を目指す。
周恩来(1898~1976)江蘇省出身。初め日本に留学、五四運動のときは天津で活動。
          のちフランスに留学し、中国共産党フランス支部を組織。第二次国共合作に尽力。
          中華人民共和国成立後は政務院(のち国務院)総理兼外交部長。以後死去まで首相。
朱徳(1886~1976)四川省出身。軍人。1927年、南昌蜂起。のち毛沢東とともに井岡山で紅軍を組織。
          抗日戦では八路軍総司令。人民共和国国家副主席、全国人民代表大会常務委員長。
毛沢東(1893~1976)湖南省出身。1921年、中国共産党創立に参加。農民暴動を指導、朱徳とともに紅軍組織。
          31年江西省瑞金で中華ソビエト共和国臨時政府主席に就任。34年、長征敢行。
          陜西省延安に拠点を置き、抗日・革命運動を展開す。戦後は国共内戦で蒋介石を打倒し、
          49年中華人民共和国を建設。国家主席となった。59年党主席を専任。
          66年文化大革命を起こし、再び全権掌握。その死後、晩年の誤りが指摘されている。
蒋介石(1887~1975)浙江省出身。日本留学。軍事を学ぶ。辛亥革命参加。孫文によりモスクワ派遣。
          軍官学校を創立し国民革命軍を要請して北伐に成功。
          のち反共独裁の国民党政府最高指導者として対日交戦を遂行。
          第二次大戦後、国共内戦に敗れ台湾に退いたが、反共復国を呼号し続けた。
                                             ―広辞苑より抜粋

いやいや、ここまで写すだけでへとへとだわ。(ハテナ?)とか(オオ~!)とかについて書く元気喪失…。とにかく、激動期だったということだけはわかる。さらに、当時の中国社会のリーダーの多くが日本に留学した経験を持つ文字通りのエリートだった。その中で毛沢東はそうではない。とりあえず、今日はここまで。続きは明日、明日。
          



コメント
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