毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

パソコンが壊れた!   2011年6月15日(水)  No.151

2011-06-15 20:28:46 | 中国事情
 昨年8月に日本から持参したFUJITU-BIBLO ウィンドウズVISTAが今朝から変だ。 電源を入れるとウイーンとモーター音がして左から二番目の電池ランプがオレンジ色に点滅する。モニター画面は暗いまま。接続は問題ない。ということはパソコン本体の電池か何かが消耗したということか。そうだとすると、部品が南昌にあるとは思えないので、この夏休みには重たいのに大阪まで持って帰らねばならない。
 中国に来てからというもの、いつもパソコンにはびくびくさせられ通しだ。これが無いと仕事もプライベートライフも成り立たない。エアコンを29℃に設定するとか、洗濯機は一週間に一回だけとか、電気をつけっぱなしにしないとか、節電はいくらでもできるが、日本にいるのと違って、何でもパソコンに頼らざるを得ない生活だ。
近日中に、また「パソコンの神様」郭さんに来てもらい、診断を仰ごう。ああ、何とかなればいいなあ。。。

 さて、この文を読んでいる皆さんは、(はて、この人どうやってこのブログを書いたのかしら?)と疑問に思われるだろう。
実は、私の部屋には備え付けのデスクトップもあるのであ~る。最初から置いてあったものは相当古く、昨年12月、突然lenovo(多分中国のメーカー)が国際交流処にドバッと寄付してくれたので、そのとき交換した。しかし、普段は使い慣れたわがノートパソコンで十分なので、このlenovoは今まで放ってあったのだ。
 ノートパソコンが使えなくなった今となっては、いよいよこのデスクトップをインターネットに繋いだり、言語を日本語にしたりせなアカン。こういう事態になると、いつも不思議なことに誰かが助けに現れる。
 今日は、範さん、黄さん、劉さんの「資料室三人娘」が、二学期の日本語学科授業をすべて終え、我が宿舎に遊びに来る日だった。黄さんと劉さんは、小学校二年生のときから、ご飯の支度を始めたベテラン。一人範さんは、一人っ子で周りは大人ばかりという環境のため、ご飯の支度をするチャンスは無く、祖母が庭で飼っていた鶏のフン集めをするのが仕事だったそうだ。そのフンはもちろん野菜などの肥料にする。そういうわけで、二人が中国料理を作ってくれている間、私は範さんの助けを借りて、郭さんなしでも何とかしようと試みた。パソコンに通じていなさ加減は似たり寄ったりだったが、頼りない二人は、それでもわりとスイスイインターネット接続にこぎつけた。この部屋のインターネット接続環境は、①江西財形大学のネットワーク傘下にあり、②ブロードバンド接続だ。コントロールパネルで日本語言語も加えた。

 と言うわけで、ブログは何とか書ける。問題はメールだ。何故か、yahooメールをチェックできない。WINDOWSのホットメール(@live.jp)は、チェックできるが、メールをこちらから送ろうとしたら、長時間待たされ、挙句に(BUSY)とかの文字が出る。今からまたトライするが、こういうことに費やす時間が本当に嫌だ。日本でこんな苦労は一度もしたことが無い、ということはやっぱり便利なんだなあ。日本の暮らしは。

 劉さん、黄さんの二人組のメニューは、長いもの炒め物、ニンニクの芽と豚肉の炒め物、苦瓜と卵の炒め物、ヘチマの炒め物、大根と骨付き肉のスープというラインナップだ。スープ以外は、全部炒め物...。
食事中、BGMにビギンの「島んちゅぬ宝」をかけたら、劉さんが「中国の歌に似ている。」という。「ヘチマの炒め物」「苦瓜の炒め物」と言い、この間から食べ続けている「激辛豆腐よう」と言い、沖縄と共通していることがたくさんある。15世紀以降、中国と日本両方に属国とされていた琉球の人々が、中国との交流の中で得たものなんだろうか。あるいはその逆かも。
 彼女たちは、25日まで第二選考のテストが残っているが、その後十日間ほど休日があるので数日から一週間家に帰る。そして七月から、また副専攻の授業が始まる。とにかく勉強に全てを傾注している彼女たちだが、それでも青春真っ只中、クラスの男子学生が押し並べて子供っぽいことを嘆き、
「大学院に入ったら、絶対すぐにボーイフレンドを見つけてやる!」
と息巻きながら帰っていった。
コメント
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