午後8時過ぎなのに気温は一向に下がらず、32℃強ある。明日、明後日と傘マークがあるので、またジメジメが戻ってくる。
今日、いつものように直前予約(昨夜電話あり)で、2年生の羅さんと洪さんが遊びに来た。9時に来ていいかと聞くので驚いて30分繰り下げてもらった。9時に来られたら、まだ鳥に餌をやったり、コーヒーを飲んだりと、朝のルーティーンを終えていないかもしれない。
来る前に人参と玉ねぎを買ってきてもらい、例によってカレーライスを作った。羅さんは、
「僕の妹さんは、料理が上手です。」
と言って洪さんに「妹。」と注意されていた。もうすぐ3年になるのに、まだこんなミスをしている。洪さんは2年生の中で飛びぬけて流暢な会話ができる子だ。ただ癖で、何か言うたびに「う~、う~。」と唸るのが気になる。
「う~、う~。私の妹も料理が上手です。私はう~、勉強ばかりしていたので全然ダメです。」
つまり、羅さんも洪さんも、長男長女で、親の言うことを聞いて一生懸命勉強に精を出していたが、二人の妹は、どちらも勉強が嫌で成績が悪かった。その分、料理や絵描きやほかのいろいろなことができるようになった、ということだ。これは日本の家庭でも実によくあるパターンだ。しかし、私の子ども二人について言えば、両方ともあまり勉強に精を出したのを見たことがない。
「親がもっと勉強しろ、と言えば勉強したのに~。」みたいなことを以前上の子が言ったとき、
「勉強したかったら勝手にすればよかったやん。誰が『するな!』と止めましたか?ええ?」
と反論したが、よその家では確かに、「勉強しなさい。」か「ほったらかし~」のどちらかだったようだった。振り返ってみると、我が家はどっちつかずの中途半端だったが、やや放任気味だったかな。心配は一応していたのだが、「失敗は宝物。人生の糧になる。」と子どもにというより自分に言い聞かせていたような気がする。今、二人の我が子は、奇跡的にちゃんと大人になっている。自然と社会が子供を育ててくれたというか…。
陳さんがここんとこ、ほぼ毎日顔を見せている。九寨溝行の相談や、予約の手配など、なにしろ彼が仕切る初ツアーだ。精一杯頑張ってくれているのがよくわかる。2年の2人と彼と私は、カレーを食べながら、ぺちゃくちゃおしゃべりのひと時を過ごしたが、2年生の勉強への不安に3年の陳先輩は、優しく、後輩の気持ちを引き上げるようなアドバイスや経験談をしてあげていた。その後は小さいころの楽しい話。
陳さんの家は江西省吉安近くの農村だったのでなかなか電気が来なかった。そこで彼のお父さんは川から水を引いて水力発電し、その電気でテレビを見ていた。冬の乾季には、水不足で見ていたテレビがスーッと消えたりして不便だった。そこで更に近くに溜池を作り、恒常的に水を供給するようにしていた、という。川から引いた水路には魚が入り込み、時には蛇まで泳いでいたそうだ。私も水路を泳ぐ魚やホッチャレの鮭を何度見たことだろう。年齢は35歳も違うのに、子どもの頃やっていたことはほぼ同じ。これは日本社会と中国社会のずれと重なっている気がする。だが、江西省の農村生活は、ほぼ35年前の北海道の山奥の暮らしと同じと言っても、北海道の山奥の暮らしは、日本人のほとんどが知るところではないので、ピンと来ないないだろうなあ。
銀行で予約する話が出たついでにキャッシュカードでATMからお金を引き出し、その後残高を調べるのにはどうしたらいいか聞いてみた。この一年間ずっと疑問に思いつつほったらかしにしていた問題だ。「銀行によってATM機種が違うので、実際行ってみましょう。」ということになり、一番近くの中国銀行のATMで調べてみた。ああでもない、こうでもないとあれこれしゃべりながら、結局INQUIRYのボタンを押すと、画面にベラベラと各種情報が出るではないか。印刷は無理だったが、目で見て確認できるだけで十分だ。今日は一つ新しいことを覚えてうれしかった。その足で、陳さんの中国工商銀行のATMに行ってみたら、何と機械の上に「HITACHI」と書いてあるので驚いた。このHITACHIは陳さんの暗証番号を「間違っている!」と却下して、成都のホテル予約は今日できなかった…。
今日、いつものように直前予約(昨夜電話あり)で、2年生の羅さんと洪さんが遊びに来た。9時に来ていいかと聞くので驚いて30分繰り下げてもらった。9時に来られたら、まだ鳥に餌をやったり、コーヒーを飲んだりと、朝のルーティーンを終えていないかもしれない。
来る前に人参と玉ねぎを買ってきてもらい、例によってカレーライスを作った。羅さんは、
「僕の妹さんは、料理が上手です。」
と言って洪さんに「妹。」と注意されていた。もうすぐ3年になるのに、まだこんなミスをしている。洪さんは2年生の中で飛びぬけて流暢な会話ができる子だ。ただ癖で、何か言うたびに「う~、う~。」と唸るのが気になる。
「う~、う~。私の妹も料理が上手です。私はう~、勉強ばかりしていたので全然ダメです。」
つまり、羅さんも洪さんも、長男長女で、親の言うことを聞いて一生懸命勉強に精を出していたが、二人の妹は、どちらも勉強が嫌で成績が悪かった。その分、料理や絵描きやほかのいろいろなことができるようになった、ということだ。これは日本の家庭でも実によくあるパターンだ。しかし、私の子ども二人について言えば、両方ともあまり勉強に精を出したのを見たことがない。
「親がもっと勉強しろ、と言えば勉強したのに~。」みたいなことを以前上の子が言ったとき、
「勉強したかったら勝手にすればよかったやん。誰が『するな!』と止めましたか?ええ?」
と反論したが、よその家では確かに、「勉強しなさい。」か「ほったらかし~」のどちらかだったようだった。振り返ってみると、我が家はどっちつかずの中途半端だったが、やや放任気味だったかな。心配は一応していたのだが、「失敗は宝物。人生の糧になる。」と子どもにというより自分に言い聞かせていたような気がする。今、二人の我が子は、奇跡的にちゃんと大人になっている。自然と社会が子供を育ててくれたというか…。
陳さんがここんとこ、ほぼ毎日顔を見せている。九寨溝行の相談や、予約の手配など、なにしろ彼が仕切る初ツアーだ。精一杯頑張ってくれているのがよくわかる。2年の2人と彼と私は、カレーを食べながら、ぺちゃくちゃおしゃべりのひと時を過ごしたが、2年生の勉強への不安に3年の陳先輩は、優しく、後輩の気持ちを引き上げるようなアドバイスや経験談をしてあげていた。その後は小さいころの楽しい話。
陳さんの家は江西省吉安近くの農村だったのでなかなか電気が来なかった。そこで彼のお父さんは川から水を引いて水力発電し、その電気でテレビを見ていた。冬の乾季には、水不足で見ていたテレビがスーッと消えたりして不便だった。そこで更に近くに溜池を作り、恒常的に水を供給するようにしていた、という。川から引いた水路には魚が入り込み、時には蛇まで泳いでいたそうだ。私も水路を泳ぐ魚やホッチャレの鮭を何度見たことだろう。年齢は35歳も違うのに、子どもの頃やっていたことはほぼ同じ。これは日本社会と中国社会のずれと重なっている気がする。だが、江西省の農村生活は、ほぼ35年前の北海道の山奥の暮らしと同じと言っても、北海道の山奥の暮らしは、日本人のほとんどが知るところではないので、ピンと来ないないだろうなあ。
銀行で予約する話が出たついでにキャッシュカードでATMからお金を引き出し、その後残高を調べるのにはどうしたらいいか聞いてみた。この一年間ずっと疑問に思いつつほったらかしにしていた問題だ。「銀行によってATM機種が違うので、実際行ってみましょう。」ということになり、一番近くの中国銀行のATMで調べてみた。ああでもない、こうでもないとあれこれしゃべりながら、結局INQUIRYのボタンを押すと、画面にベラベラと各種情報が出るではないか。印刷は無理だったが、目で見て確認できるだけで十分だ。今日は一つ新しいことを覚えてうれしかった。その足で、陳さんの中国工商銀行のATMに行ってみたら、何と機械の上に「HITACHI」と書いてあるので驚いた。このHITACHIは陳さんの暗証番号を「間違っている!」と却下して、成都のホテル予約は今日できなかった…。