毎日がちょっとぼうけん

日本に戻り、晴耕雨読の日々を綴ります

4年卒業パーティー   2011年6月1日(水)  No.141

2011-06-01 22:47:58 | 中国事情
 中国中に散っていた4年生が、先週から続々と大学に帰ってきた。卒業前の口頭試問があるからだ。今日それを終えて、夜は卒業記念パーティーを卒業生が自前で準備し、先生達全員を招待してくれた。私のところへは迎えに来てくれるという丁重さ。
 ちょうど、3年の楼さんとスピーチコンテストの特訓をしていたので、お迎えの4年生に聞いてもらった。楼さんは、先輩に聞いてもらえるので張り切って、かなりいい感じに言えた。あとは、即席スピーチ対策だが、今日は4年生優先だ。練習を終え、歩いて下羅(シャールー)の豪華なレストランへ向かった。

 着くと、老師と卒業生16名は既に全員そろっていた。2部屋に別れ、さっそく乾杯して料理をいただいた。どれも美味しい。いつもの学生食堂のメニューとは、レベルが違う。見かけも美しい。これに比べたら、学食の菜なんか、ご飯の上にぶちまけたエサという感じだ。南昌で有名な「8°」という名前のビールがどんどん空いていく。まもなく、恐ろしい「飲め飲め攻撃」が始まった。男の子たちはおしなべて静かに飲んでいるのだが、厳しいのが女の子達だ。普段はとても温和しい子が、人格変わるというのか、グラス振り回してビールがこぼれるのもお構いなく、さあ飲め、やれ飲めと老師に詰め寄る。二部屋のうち、こちら側は新平老師、向こうの部屋は高老師が攻撃の的だ。終いに新平老師は壁際まで追い詰められ、本当に死ぬ覚悟で飲んでいた。これが噂に名高い、中国式パーティーなんだなあ。

 久しぶりに、昨年9月から12月まで補習をした二人組と話をした。梁さんは卒業できる。もう浙江省の大きい不動産屋さんで仕事をしているそうだ。もう一人の李さんは、あと3科目が足りず、留年だ。彼は日本語が本当にできなかった。今もほとんど話せないが、「田中先生、ぼくのライフで一番好きな先生です。」と言ってくれた。不意を突かれ、ジーンとなった。
 今日初めて会う子もいた。ずっと北京で大学院試験の準備をしていたそうだ。残念ながら落ちて、また来年受けると言っていた。就職した女の子達は、あっという間にきれいなお姉さんたちに変身していた。半年前までは、ひっつめ髪で、図書館に籠もって勉強していたのに。
 就職先は、北京のコンピューターソフト会社、上海の通訳、大連の大豆販売会社、浙江省の不動産、深センの二人は忘れた、江西省の銀行、江西省の小学校の英語の先生、福建省のマーケティングリサーチ…。何とかなるものなんだ。みんな、すごいなあ。中には感極まって泣く子もいたが、可愛いメダカだった子たちが、人生の荒波に「お椀の船に箸の櫂」で乗り出して行くんだから、頑張って生き延びて欲しいと祈るばかりだ。
 以前の日本人教師、大竹先生からのメールもみんなで読んで、しみじみしていた。こんな良い雰囲気の卒業式は何十年ぶりだろう。卒業式というのは実は、この大学では無い。写真撮影が8日、証書受け渡しが月末と、パラパラ何回にも分けてする。しかし、就職している子が多くて、今日のように全員が集まれる日はもう無い。つまり、今日の宴会が彼らにとっての卒業式なのだ。これいいなあ。
コメント
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