先日、もうすぐメキシコに行ってしまう友人の歓送会がありました。
ひさしぶりの仲間に会い、たくさん飲み、笑いました。
このところ、「大切なひとにちゃんと会いなさい」と神さまに言われているかのようです。
彼女にもらったたくさんのもの、ほかの仲間や先生方と一緒にすごした時間は、あまりにもいろいろなことがありすぎて、いまの自分にはとても言葉にできないけれど、これからわたしが歌い、書いていくことですこしでもお返ししていけたらいいなと思っています。
それにしても、二次会のカラオケはすごかった・・・いろんな意味で 笑
ひさしぶりの仲間に会い、たくさん飲み、笑いました。
このところ、「大切なひとにちゃんと会いなさい」と神さまに言われているかのようです。
彼女にもらったたくさんのもの、ほかの仲間や先生方と一緒にすごした時間は、あまりにもいろいろなことがありすぎて、いまの自分にはとても言葉にできないけれど、これからわたしが歌い、書いていくことですこしでもお返ししていけたらいいなと思っています。
それにしても、二次会のカラオケはすごかった・・・いろんな意味で 笑
いいですね☆
大切な人とちゃんと会うことの
大事さを、何となくわかっているつもりですが
「大切な人」は誰であるかということを
いつも(ひょっとしたら意図的に)失念
してしまう自分を恥じます。
そうしているうちに、大切な人が
1人また1人遠くへ行ってしまう。
アカデミズムの世界は、「感性」を捨てさせる
場のような気がします。だからその部分を
ゆきさんの「歌」のように、自分で補うことが
できないと苦しくなるんですよね。
ほんとうは、アカデミズムの世界も、歌を歌ったり、絵を描いたりするのと同じように、あたらしい自分と出会い続ける生き生きした場であるはずですよね。
でも、目の前の山を登ることに一生懸命になっているうちに、あまりにも山が大きすぎて、いつのまにか空を見上げることを忘れてしまったり、鳥の声に耳を傾けることを忘れてしまったりして、心がからからに乾いてしまうのかもしれません。
それは、芸術の世界でも同じことのような気もします。
でも、わたしにとっては、hiuraさんをふくめ、研究室で出会えた仲間たちは、ほんとうに大切な宝物で、道端に咲いているお花のような感じです。
これからも、どうぞよろしくお願いします
追伸:テンプレートについてコメントしてくださって、ありがとうございます。さいきん暑いので、ちょっとでも涼しくしようと思って、変えてみました♪
今年こそ、かき氷機(?)がほしいです