matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

旧藤沢宿を歩くその1-白旗神社

2017-10-16 11:31:13 | 鎌倉散歩




 藤沢

 東海道の江戸・日本橋から数えて6番
目の宿場であった藤沢宿。

藤沢本町周辺の旧東海道沿いが藤沢宿で
した。

江戸から京まで東海道を旅するのに、江
戸時代には約14日間ほどの日数を要し
たそうです。
日に約40キロを歩く強行軍でした。

大名たちが泊まる本陣や脇本陣をはじめ
、一般の旅人が利用する旅籠が遊行橋
付近に45軒あったそうです。



徳川家康・秀忠・家光の3代が利用した
将軍宿泊施設として藤沢御殿が、
1596年(慶長元年)設置され、
その後参勤交代が制度化されると、
大名宿泊施設としての本陣・脇本陣
が整えられ、御殿は廃止されました。

藤沢宿の主要街道(東海道、鎌倉道、
大山道、江の島道)の分岐点として
通行する人々で賑わい、特に大山詣で、
江の島詣での旅人の宿泊・遊興の場所
として賑わいました。



白旗神社は旧東海道の白旗交差点を左折
してやや歩くとあります。

相模国の一宮の寒川比古命と源義経を祭
る神社です。



源義経は源義朝の9男、頼朝の異母弟
です。

1185年、27歳のとき、壇ノ浦の
戦いで平氏を滅亡させる軍功がありま
した。
しかし、その後頼朝と対立し朝敵とさ
れます。

1189年藤原泰衡に攻められ、岩手
県平泉町にある衣川館で自刃。
享年31.



義経の首は美酒に浸して、43日間かけ
て鎌倉に送られ、腰越の浦で首実検がな
され、伝承では夜の間にこの神社に飛ん
できたそうです。



頼朝は義経や奥州藤原氏の怨念を鎮める
ために、鎌倉に永福寺を建立しましたが
、現在は廃寺になっているとのこと
です。


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2 コメント

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こんにちは (tempo1078)
2017-10-16 13:02:44
義経公は
泰衡に攻められましたが、

そこには頼朝から
奥州藤原氏に対する
物凄い圧力があったのだと思います。

戦国の世というものは
兄弟であっても、殺す・殺されるの世界。
厳しいものがありますねぇ。
返信する
tempo1078さんへ (matasaburo3)
2017-10-16 17:22:51
コメントありがとうございます。
義経伝説は子供のころから聞かされ、
日本人の精神の基底になっているかも
しれません。(最近はわかりませんが)
判官びいきという言葉もあります。
歴史の事実はまた別なのかも・・・・
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