(一遍上人像)
藤沢
藤沢本町駅から旧東海道を15分程
歩くと遊行寺橋があります。
広重の浮世絵に登場する橋。
昔のままの三間幅を残し、境川を渡ると
遊行寺の門前です。
(遊行寺橋)
時宗総本山の遊行寺は清浄光寺が正式の
寺名ですが、遊行上人の寺ということか
ら広く一般に遊行寺と呼ばれています。
(清浄光寺)
時宗の開祖一遍上人(1239-1289
年)は、伊予松山の豪族河野家の出身。
10歳で母を亡くし、13歳で浄土宗に
入門。25歳の時父が亡くなると、家督
を継ぐため還俗。35歳で再び出家しま
す。
熊野本宮での「熊野成道」(宗教的な覚
醒を得たこと)の後、「信不信を選ばず
、浄不浄を嫌わず」会う人ごとに「南無
阿弥陀仏」と書かれた念仏札を配って、
念仏を勧めて、東北地方から九州まで
全国を遊行しました。
その途中、1279年(弘安2年)信州
佐久で「踊り念仏」が初めて踊られまし
た。
(「踊り念仏」は平安時代、空也が京都
の市屋あるいは四条の辻で始めたといわ
れますが、確証はないそうです。)
一遍上人の踊り念仏は盆踊りの原型とい
われます。
1282年(弘安5年)には幕府のある
鎌倉入りを目指しますが、北条時宗警護
の武士たちにはばまれます。
やむなく片瀬(現藤沢市片瀬)の浜の
地蔵堂におちつくと、町の人々がどっと
押し寄せ、「踊り屋」で僧俗の人々が
踊りました。
一遍上人は自分の寺をもたず、遊行し続
け「遊行上人」「捨聖」ともいわれ、
1289年、51才の生涯を閉じまし
た。
(本堂)
清浄光寺は1325年(正中2年)、
遊行四代呑海上人が開山しました。
本尊は阿弥陀如来坐像。
1631年(寛永8年)、江戸幕府から
時宗274寺の総本山と認められまし
た。
(放生池)
放生池に金魚、鯉等を放生すれば、その
功徳により家内の繁栄、長寿を保つとさ
れています。
徳川綱吉の生類憐れみの令では、江戸市
中の金魚の保護所となったそうです。
一遍上人は「一代聖教みな尽きて、南無
阿弥陀仏になりはてぬ」と言い、一部の
経典以外は焼き捨て、静かにこの世を去
りました。
ところが教えを受けた人たちは各地に寺
を建て、教団を組織化していきました。
又、時衆は室町文化(能・歌舞伎・連歌
・囲碁・築庭など)に大きな役割を果た
しました。
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