matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

松山散歩その1-子規堂

2019-01-24 10:47:35 | 旅行



  (子規堂)

 1月中旬、松山・宇和島を旅しました。

 松山

 JR松山駅前から市内電車で松山市駅
まで。いよてつ高島屋の裏側から踏切を
渡ると、すぐに子規堂があります。

子規堂は、俳人正岡子規の居宅の一部を
再建した建物です。


  (子規堂内部)

正岡子規(1867-1902年)は、
現在の松山市花園町で生まれますが、湊
町4丁目に転居、17歳で上京するまで
ここに住みました。

正岡家の菩提寺、正宗寺の住職、仏海禅
師が寺の中に移して建てましたが、火災
と空襲で2回焼失。

現在の建物は、昭和21年の再建です。

建物左手玄関前の「旅立ちの像」は、子
規25歳のころ、箱根の関所近くで撮っ
た写真をもとに建立されました。


  (与謝野晶子歌碑)

墓地には、子規居士髪塔と鳴雪先生髯塔
が並んで建立されています。


  (鳴雪先生髯塔)

内藤鳴雪3回忌の昭和3年建立です。鳴
雪のあごひげが納めてあります。

「詩は祖父に俳句は孫に春の風 鳴雪」


  (子規と野球の碑)

若き日の子規はスポーツマンで野球に熱
中して、「ベースボールほど愉快にみち
たる戦争は他になかるべし」と書き残し
ています。(明治21年「筆任せ」)

自身の幼名「升(のぼる)」にちなみ、
「野球(のぼーる)」という表記を最初
に発案したそうです。

子規のポジションは捕手でした。野球に
関係する句や歌も詠みました。

明治25年、日本新聞社の社員となり、
日清戦争に従軍記者で活躍するも、28
年帰国途上の船中で大喀血して重態とな
ります。

急遽、松山に帰郷。学友夏目漱石の下宿
で52日間静養します。この時松山の新
派俳句は興ったといわれます。


  (坊ちゃん列車)

子規堂前の「坊ちゃん列車」は漱石の
小説「坊ちゃん」でも有名です。

明治28年漱石は松山中学の教壇に立
っていました。






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