matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

小田原城の梅

2017-02-16 11:07:30 | 日本100名城




 小田原

 冒頭の一枚は、河津桜と小田原城復興
天守です。

小田原城は、15世紀中頃に大森氏が
築いた城を前身としています。

1495年、伊豆国を支配していた伊勢
平氏流伊勢盛時(北条早雲)が大森氏か
ら奪い、以後戦国大名北条氏の5代にわ
たる居城として、南関東における政治的
中心地となりました。

上杉謙信や武田信玄の侵攻をも防ぎまし
たが、1590年、豊臣秀吉軍は天下統
一の仕上げとして数十万の大軍で小田原
城を総攻撃しました。(小田原合戦)


(銅門)

銅門(あかがねもん)は二の丸の正面に
あたり、大扉は銅版・銅鋲で美しく装飾
されています。

北条氏滅亡後は、徳川家康の家臣、大久
保氏次いで稲葉氏が城主となります。

1633年の大地震により、城も城下も
壊滅しますが、その後の大規模改修によ
り、現在見られるような近世城郭に生ま
れ変わりました。



現在の城址公園は、本丸・二の丸一帯に
相当します。

公園のあちこちには、梅の花がまるで往
時の夢を懐かしむかのように咲いていま
す。





天守閣は江戸時代に造られた模型・引図
を基に、1960年に鉄筋コンクリート
造で復興されました。



最上階まで登ると、展望デッキから相模
湾・伊豆半島・箱根などが見渡せます。

秀吉が小田原征伐の際にひそかに築城し
た石垣山一夜城跡が、眼の前に見えます。

北条氏は三ヶ月の籠城戦の末、ついに降
伏しました。

4代氏政は切腹、5代氏直は高野山に蟄
居した後、病いの為30才で亡くなりま
す。


天守閣を出て少し歩くと報徳二宮神社が
あります。

神社境内にも梅の花があちこち咲いてい
ました。



二宮尊徳(1787-1856年)は、
江戸時代後期の農政家・思想家。

小田原藩など多くの諸家諸領の復興に
尽くしました。

「経済なき道徳は戯言であり

 道徳なき経済は犯罪である」

今の時代にも通じる訓言ですね。