matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

早春の鎌倉へー光則寺

2016-03-03 11:01:16 | 日記





 鎌倉

 光則寺へは、江ノ電の長谷駅から
長谷寺方向へ、歩いて10分程です。



日蓮聖人(1222-1282年)に
深く帰依し、日蓮宗を信奉した宿谷光則
が、自らの屋敷をお寺としました。



1253年(建長5年)日蓮聖人は鎌倉
に来て布教をし、当時の社会の不安や
天災の原因を、幕府や他の宗派のせい
とし、激しく非難します。

1260年には「立正安国論」を元執権
北条時頼に提出します。
光則の父の宿谷行時から時頼に建白
されました。

禅宗を信じていた時頼からは「政治批判
」とみなされ、翌年伊豆国に流罪
となります。

1271年には佐渡への配流と
なりましたが、1274年には
赦されて鎌倉に戻りますが、
やがて身延山に隠棲しました。

尚、元寇(蒙古襲来)は、
1274年と1281年のことです。



江戸時代の初期頃には、大梅寺とか
大梅院と呼ばれた時期があったそう
です。



境内には、宮沢賢治の「雨ニモマケズ、
風ニモマケズ・・・・」の詩碑
があります。

お寺とは直接の関係はないそうですが、
賢治が日蓮宗に深く帰依したことから
碑を建立したとのことです。



「雨ニモマケズ」は、没後に発見された
遺作のメモです。

1931年(昭和6年)に使用していた
黒い手帳に記されていました。

その2年後、賢治は37歳で没します。


2011年4月11日、ワシントンの
ナショナル大聖堂において、東日本
大震災の犠牲者を悼むための、宗派を
超えた追悼式が開かれ、大聖堂長により
本作が英語で朗読されました。