パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「エルサレムのアイヒマン」に挑戦中

2017年10月18日 08時22分10秒 | 

先日、名古屋に出かけた時にMARUZENに立ち寄った
書店は自分にとっては居心地が良い
なかには書店に入るとトイレに行きたくなる人もいるようだが
自分の心配は立ちっぱなしでウロウロするから腰が痛くならないか
くらいの気楽なもの

でも勢いで購入した本は、少し真面目な2冊

一冊は、大好きなヘルマン・ヘッセ その作品のなかでも一番好きな「シッダールタ」の主人公の見たであろう
景色をめぐる写真集
もう一冊は最近100分de名著で紹介されたハンナ・アーレントが書いた問題作「イスラエルのアイヒマン」

写真集の方はいつでも途中からでも読めそうなので、読みかけの本を急いで最後まで進めた後
気張って読み始めたのが「イスラエルのアイヒマン」の方
でも本当は少し不安だった
最後まで読めるか、、と
以前「全体主義の起源」(3)を読んだ時は、正直とてもしんどかった
一つのセンテンスが長く、途中で挿入部分が多く、そして自分は歴史的事実の知識がなく
また使われている用語の理解もないので、とにかく集中して想像力を働かせて理解しようと
努めるしかなかった 
その為に一気に何ページも進めるなんてことはできず、少し読んで休んで、また少し読んでの
繰り返しでやっと頂上についたという感じ
完全に理解したかと言えば怪しいが、とても重要な重い事が書かれている実感はドスンと心に刻まれた 

今回は本の帯に「新版」の文字がある
覚悟しながら恐る恐るページをめくったが、意外や意外、思いの外読みやすそう(さすが新版)
相変わらずセンテンスは長いが、以前ほど苦労はしなくて済みそうな予感
それでもそれなりの集中力は必要で、昨日は気合を入れてトライした

いつも気になるのは本質に関係のないことかもしれないのが情けないところだが
「全体主義の起源」(3)でも触れられていたし、
映画「シンドラーのリスト」や「戦場のピアニスト」を見た時に感じた不思議な事がここでも書かれていた

それは収容所のイスラエル人が10000人単位で、監視する人間が何百人単位ならば
どうせなら、、とみんなが立ち上がって蜂起することは何故起きなかったのだろうかということ
映画を見ている時は、その何もしないこと(できないこと)言われたとおりに処刑場に向かう姿にイライラした
さすがにこれは誰でも思うことらしく、ハンナ・アーレントもこのことを取り上げている
そしてそれができなかったのは、別の地区で蜂起した人々をナチスは
とても残酷な、いつまでも苦痛が残るような酷い殺し方を行い
それを収容者たちに知らしめたためだとしている
このいつまでも続くかもしれない苦痛への恐怖が人を行動から遠ざけたというのだ
これは今の北朝鮮を想像すると直ぐに納得がいく
彼の国では粛清という名で公開処刑が、それも極めて残酷な方法で行われる
単に殺されるだけではなく、とてつもない苦痛を伴う殺され方
(本当の問題はこれを死体製造工場の作業のように、粛々としてしまったアイヒマンのメンタリティー
 そしてそれが彼個人だけの問題かということだが)
そんな状態を目の当たりにすると、人間は人間性を失ってしまう
ここが一番恐ろしいところ

世の中は、何かの加減で動き出すとブレーキが掛けられなくなることがある
こんな馬鹿げた事が、「今の時点では仕方のないこと」とされないとも限らない
いや、きっとそうなるだろう
だから、そのような極限状態は絶対に作らないようにする、、というのが知恵だ

「イスラエルのアイヒマン」や「全体主義の起源」を読まなければならない
と自分の中に自然と湧き上がってくる何かは、現在のこの国への不安の裏返しだ
ある人は、今の日本の雰囲気は戦前に似ているという
戦前を知らない自分は、こうした本によって戦争に向かう雰囲気を感じ取るしかないが
こうした本を読むにつれ、「歴史は繰り返す」を地で行ってるような気がして不安で仕方ない

社会はあるところまで行くとブレーキはかけられなくなる
かけられるうちにかけなければ、、
今度の衆議院選挙、、この結果が、後々最悪の結果を導くようなものにならなければいいが、、

心配症の小市民のボヤキ、、、



 

コメント
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