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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

雰囲気が似てると思う(思い込み?)

2025年04月30日 09時27分22秒 | 音楽

ほんの思い込みに過ぎないかもしれないが、ビートルズの「ナウ・アンド・ゼン」を聴くと
つい思い出してしまうのが、ベートヴェンのヴァイオリン・ソナタ2番の第2楽章
「ナウ・アンド・ゼン」はジョンの曲らしい雰囲気に満ちているが
その雰囲気との共通性をこの曲に感じてしまうのだ

どんな風の感想を持つか、2曲の動画を挙げみる

The Beatles - Now And Then (Official Music Video)

ベートーヴェン ヴァイオリンソナタ 第2番~第2楽章

GWの中の普通の日、テンションはお休みモードということで
お気楽な話題にした

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しっぺ返しはやってくる

2025年04月29日 09時09分51秒 | まとまらない話

今年の大河ドラマ「べらぼう」は見ていない
始めのうち少しだけ見たが、なんとなくわかりやすいのが
つまらなく思えてしまった

蔦屋重三郎の時代は松平定信とか田沼意次が活躍した頃で
ドラマにも登場している
田沼意次は評価の分かれる人物で、政治的手腕の優れた人物
という評価と賄賂政治の典型みたいな捉え方がされている
池波正太郎の剣客商売では肯定的な捉え方がされている
(良い方の捉え方では田中角栄みたいなイメージで理解されているみたい)

ところで、不意に思い出したのは歴史で習った松平定信の寛政の改革のひとつで
武士が借りていたお金を免除する(棄捐令(きえんれい)という政策
随分強引なことをするものだ学生時代も時も思ったが
結果的にお金を貸していた人たちは、次に武士にお金を貸す時は以前よりも高利で
貸すことになって、それでお金が回らなくなったという顛末に
そりゃそうだよな!と思ったことを思い出した
(毎度のことだが覚えているのは本当に変なことばかりだ)

倫理観をもって質素倹約に努めるように望んだ松平定信の改革は
生活者としての庶民にあまりウケなかったのかもしれない
つまりは社会は理想通りとか理屈どおりにはいかないということで
今の言葉で言えば「複雑系」こそが社会・経済ということだろうか

現代社会も複雑系で成り立っている
マクロ経済学が科学的に見えようが現実には不確定要素が多すぎて
数式が成り立つにはありえないような前提が存在するらしい
(先日読んだ政策の哲学によれば)

もしかしたらMMTを信奉する人たちも極度に簡略していないか?と思ってしまった
MMTを勧めるひとは現在の経済的停滞の理由をお金の流通が不足しているとして
紙幣を刷ることで社会に回していけば良くなるはずだとする考え方だが
それは既に赤字公債を多く生み出している現況と同じことではないだろうか

そしてなんとなく違和感を覚えるのは
自国通貨だからといって際限なく刷ってしまうことは
何らかの基準を設けて国の経済状況を評価しようとする世界の判断に
マイナスの影響を与えないかと思えたこと

と言ってもこのあたりはとても難しくて、はっきり言ってわからない
ただMMTに対しては漠然とした不安が消えることはないということ

ということで、自分のキャパを超えた問題なのでまとまらずに終わってしまった


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「ファシズムの教室」を読んで

2025年04月28日 10時08分09秒 | 

ファシズムとかナチズム、全体主義などは何故それなりの支持を受けたのか
こうした疑問はずっと頭にあった
「全体主義の起源」「イスラエルのアイヒマン」「自由からの逃走」「普通の人々」
を読んでも、スッキリはしなかった
日本でも戦前の厭戦気分から急に空気が戦争へと向かったのは何故だったのか
それもイマイチ理解しがたい
そして今、兵庫県で起きている分断、第三者委員会の結果が出た後でも
頑なにそれを認めないとする、まるで意地のような対応は起こっているのは
何故なのだろう、、と少しばかり絶望感を覚えながらいる

おそらく人は集団になると個人はどこかタガが外れるような
行動をするのではないか?と漠然と思っていた
個人の集合体が大衆となるのではなく、大衆はその集団として
独自の動き方をする、そんな漠然とした考えが長いこと頭にあった

新聞の書評だったか広告で見たのか忘れたが、急いで購入し
急かされるように読んだのは「ファシズムの教室」田野大輔著

教室のタイトルにあるように、この本では大学の授業でファシズムの体系を意図的に作り出し
そこに参加した人々の個人的な心理的変化をレポートして書かせるということを行った
(あくまでもそれはシミュレーションとして行うから一応気をつけて行った)
集団がまとまるための方法として制服、ロゴ等の決定とか挨拶などの規律
みんなで敵と思われる人々への暴言などを実際に行ったわけだ
学生はそれを嘘の体験だと理解しているが、その中に入って経験するうちに
予想もしなかった気分になる
それは高揚感、満足感、使命感のようなものを感じるようになるのだ
(それに従わない人を知らず知らず正義ではないとさえ思うようになる)

この本の最初の部分にファシズムの鍵は、集団行動がもたらす独特の快楽
参加者がそこに見出す「魅力」としている
大勢の人が強力な指導者に従って行動する時、彼らは否応なく集団的熱狂の渦に
飲み込まれ、敵や異端者への攻撃に駆り立てられる
重要なのはその熱狂が思想やイデオロギーに関わりなく、集団的動物としての
人間の本能に直接訴える力を持っていることも挙げている

ファシズムの運動は複雑化した現代社会のなかで生きる人びとの精神的な
飢餓感に訴える本質的な特徴があって、強力な指導者のもと集団行動を
展開して人びとの抑圧された欲求を解放し、これらを外部の敵への攻撃に
誘導するという手法をとっているとも解説している

兵庫県でもオールドメディア云々とする人たちは
彼らなりの正義感に従っているということもある
(それが全体的な支持を得るかどうかは別として)

アイヒマンの残酷な行為は何故できたのか?と実験で調べたものがある
ミルグラムの電気ショック実験(別名アイヒマン実験)がそれで
質問の答えが間違った人物に、実験対象者は上司の命令に従って
電気ショックのボタンを押すというもので、声や姿が見えない時は
なんら罪悪感も覚えずにそうした行為を行ってしまうものだ
(行為者は単なる部分的な作業者として意識して)

この本で展開されたファシズムのシミュレーションでも罪悪感とか責任感は
集団のなかで希薄化されるとされており、その実態は丸山眞男も
似たようなことを報告している

道義的に問題有りとされたが、極めて深刻なテーマの実験があった(アメリカの小学校)
それは「青い目と茶色の目」とする実験で、青い目を優秀と仮定し
茶色の目の人に向かう意識・行動を調べたもので、ここでも集団となると
情けない行動を起こすようだ
次は立場を入れ替えて茶色の目を優秀として、その行動をチェックすると
今度は蔑まされた経験のある茶色の目の人物は、青い目の人が行ったほど
過激な行動はしなかったらしい

この「ファシズムの教室実験」当事者はできる限り安全策を昂じているが
大衆の行動はブレーキが効かず、変な方向に向かう危険性は否定できない
そのせいか継続的に行なわれることはなくなったようだ

集団になると責任感の希薄化、ルールとか規律に従わない人への嫌悪感
一方向からの正義感、そしてそれらを実行する高揚感と満足感
人はそうした感情に取り込まれてしまうので
一旦ハマった集団から抜け出るのは難しいかもしれない
兵庫県の分断を見るにつけ、困ったものだと思う

この本の評価は「優」としておいた

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久しぶりの名古屋と宗次ホール

2025年04月27日 08時30分23秒 | 音楽

名古屋に出かけたのは、多分去年の7月1日以来
最近は田舎生活ドップリで大した刺激もなく
ウダウダと自分とのおしゃべりに終止している

それじゃダメだ!と思い宗次ホールを目的のメインに据えて
JRの割引券を使って名古屋に出かけた
出かけたついでに春から秋用のズボンを購入することにした

安物買いの銭失い!を何度も実感しているので
総竹梅の真ん中あたりの商品を手に入れようと
JR高島屋の紳士服売り場に向かった

しかし、その階では迷うことばかりで、一向に店に入ることができない
店のブランドは全く馴染みがない(というか今まで関心がなかった)
今の若者とか現役は、当たり前のようにこれらのブランドを知っているのか
と自身が田舎者だと実感した

田舎者は名古屋駅の人の多さにも驚く
改札口を出ると誰かにぶつかりそうになる
あまりにも多くの人が動くので目が回りそうになる
やはり都会は合わんな!と少しイライラしてくる

パンツはある店で購入した
裾上げがあるので商品は郵送にしてもらうことにした
価格は見ずに決めたが、払う段になってちょいと驚いた
でも高島屋に入っているうちでは真ん中くらいだそうだ

昼頃だったので宗次ホールに向かった
当日券購入には時間があったので、昼ご飯を近くで取ることにした
ラーメンくらいで良いか!と思っていたところ
「横浜家系ラーメン」という文字が目に入った
なんだか聞いたことのある言葉だと思いつつ
それがどんな傾向のラーメン化は全く知らない
自分は最近のことは何にも知らないな、、と改めて思い知らされることになった

でも、今の年齢ではそんなことに焦りは感じない
むしろ自分だけの世界で十分だとさえ思う

宗次ホールでは当日券が手に入った
下の階は思いのほか混んでいた
(いつももう少し空席があることが多い)

この日のプログラムは




久しぶりの生演奏を聴く機会だ
特にフランクのヴァイオリン・ソナタはこのジャンルでは一番好きな音楽かもしれない

久しぶりなので音楽に集中するにもすんなりとはいかない
聴く方もコンディションの調整が必要だ
最初にモーツァルトを持ってくるのは、なるほど耳慣らしとか
聞き手のコンディション調整に良いかもしれないと思った

一番不満だったのはブラームスのヴァイオリン・ソナタ
それが演奏がどうのと言うより曲自体の話で
曲自体がなんだかモヤモヤしたままスッキリしない
それを思うとモーツアルトはどこか直感的でスッキリしている

ほんとモーツアルトは良いなあ、、とブラームスを聴きながら思う

休憩の後、フランクのソナタ
旋律が美しいというタイプの曲ではない
どこか内省的な味わいの曲で、循環形式といわれる様式で作られており
各楽章にそのテーマが現れる

昨日はせっかくの目前の実演なのだからと、ヴァイオリンの弾き方
ボーウイングに注目して見た
アップとダウンとリズムの刻み
それらは今まで気にしたことはなかったが、先日レコードを聴いていた時
奏者は実際どのように演奏するのか?と気になって仕方なくなった

それに注目すると、奏者の熱気とか集中の度合いとボウイングは
とても必然的なように思えてきた
この曲のピークは第3楽章だと自分は思うが
盛り上がっていくところ、ピアノの幻想的な伴奏と弱音でのやり取りは
どの演奏を聴いても恍惚感を覚える
そして昨日も圧巻だった

名古屋は人が多くて疲れるが、それでもたまには刺激を受けるようにしないと
ダメかな、、と帰りの電車で思ったりした

フランクのヴァイオリン・ソナタの第3楽章はこのような曲

フランク ヴァイオリンソナタ(第3楽章) Franck Violin Sonata ~ 3rd mov.


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電車の窓から見えた景色

2025年04月26日 08時56分53秒 | 徒然なるままに

久しぶりにお出かけしようかなという気分になった
候補は宗次ホール
今日はヴァイオリンのコンサートがある
プログラムはフランクのヴァイオリンソナタがメインで
他にモーツアルトとブラームスがある

チケットは手元にないが当日券が購入できたら
それで済まそうと思う
売り切れていたらあっさり諦めることにする

その時は、丸善に行って変てこな本を探して
アップルストアに行って気になることを聞いて
つまりは目的もはっきりしないお出かけというわけだ

たまにはこういうのも良い
自分は電車が好きだ
乗り鉄とまではいかないが、窓の外の風景を見て
ボーっとするのが気持ちいい
過去を振り返ったり景色から導かれる思いにふけったり

今覚えている電車の窓からの景色は
冬本番の時期に郡山から会津若松に向かう電車の中から
見えた弱々しい太陽の光に照らされた雪景色
それはシューベルトの冬の旅を想像させるものだった
(レコードとかCDのジャケットにあったような風景だった)

もう一つはドイツでヘッセの誕生の地カルフに向かう電車から
見えた霧に包まれた光景
不意に「霧の中」という詩を思い出した
ヘッセは頭の中で浮かべたのではなく、実在する風景からインスパイアされて
あの詩を作ったのかもしれないと思ったりした

あとは東北新幹線で仙台近くで見えたお墓の石が
こちらではあまりない黒い石が多かったことが印象に残っている

ところでヘッセの霧の中はこんな詩

霧の中  

ヘルマン・ヘッセ詩 高橋健二訳  

不思議だ、霧の中を歩くのは!
どの茂みも石も孤独だ、
どの木にも他の木は見えない。
みんなひとりぽっちだ。
私の生活がまだ明るかったころ、
私にとって世界は友だちにあふれていた。
いま、霧がおりると、
だれももう見えない。

ほんとうに、自分をすべてのものから
逆らいようもなく、そっとへだてる
暗さを知らないものは、
賢くはないのだ。

不思議だ、霧の中を歩くのは!
人生(いきる)とは孤独であることだ。
だれも他の人を知らない。
みんなひとりぽっちだ。
 







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初めてビートルズの音楽を聴いた人はどう感じるのだろう

2025年04月25日 09時39分16秒 | 音楽

少し前からボケ防止のためにピアノ(鍵盤楽器)を使った音楽教室に通っている
(月に2回の脳トレピアノという教室名)
鍵盤楽器は小学校の器楽でアコーディオンを経験した以来触っていない
つまりはド素人が右脳を使う機会を増やしているわけだ
(この教室は演奏というよりボケ防止、気分転換を目的としている)

最初は初級の本に従って簡単な曲の演奏をする
殆どが知っている曲で左手の伴奏も単音で
それも全曲通しても3つか4つの音しか使わない
だからなんとかゴツゴツしながらも演奏できる感じだ(?)

少し慣れた頃、初級の本以外に弾きたい曲あったら
インターネットに「プリント楽譜」というシステムがあるから
そこから楽譜をダウンロードすることができることを
先生役の方から教えてもらった

難しい曲、速い曲はとても無理なのでゆっくりした音楽で
簡単そうな、それでいてお気に入りの曲を選んでみた
手に入れたのはビートルズの「and l love her」
A4で3枚の楽譜で、なんとかできそう!と思ったが
左手が重音で人差し指と薬指、中指と小指を使うのでなかなかうまくいかない
同時に右手で左と違うリズムで弾かねばならないので途中でパニックになる

まずはお手本で弾いてもらう
それをスマホで動画撮影してだいたいの曲の雰囲気を把握する
あとは慣れるだけと思うことにして、肩に力が入りながらも
ゴツゴツと繰り返す

まだ上手くいかないが、次はどの曲に挑戦しようかと思いついたのが
ビートルズの「ミッシェル」と前奏が琴の音のようで心地よい「平城山」
今挑戦しているものが上手くいかないのに早まったものだが
先生に弾いてもらった(動画撮影は忘れていた)

そこで少し驚いたのはビートルズの「ミッシェル」を彼女が知らなかったことだ
「and I love her」も彼女は知らなかった
もはや古典となりつつあるビートルズ、その楽曲は当然みんな知っているだろう
と思ったが、全く知らない曲があるという当たり前の事実に思いを新たにした

彼女は初めて目にする楽譜と弾いたビートルズの音楽をどのように感じたのだろう
今、関心があるのはそのこと
音楽家の目で耳で、ビートルズの音楽を初めて体験することになったら
それは「なかなか良い」と思うのか「今風でない」と感じるのか
その他どんなふうに感じたのか、、ちょいと聞いてみたい気がした

少し前「イエスタデイ」という映画あった
SF的な内容で、どういうわけか主人公は異次元のビートルズが存在しない
世界にはいりこんでしまった
ビートルズが存在しないこと以外は、親も知人も全く同じだ
彼は以前の世界では音楽家を目指していたので、ほんの思いつきで
「イエスタデイ」をギター伴奏で歌ってみると、恋人が涙を流した
有名な曲を演奏しただけなのに、彼女は初めて聴いた曲に感動した

そこで彼は知っているビートルズの楽曲を弾いてみると
知人たちは驚きと感動をもって彼をたたえた
彼は知っているビートルズの楽曲を自分が作詞作曲したものとして
発表して、その世界で名声と富を得る

でも、自分の作品ではないことは彼だけ(?)が知っている
そうした内的な葛藤はそう深く追求されずに
物語は肯定的なトーンで進められていく
そこで感じたのはビートルズの音楽は、別格の才能の賜物として
扱われていることだ(自分も音楽自体がすごいと思っている)

でも、時は流れる
歌は音楽は時代の空気感の現れかもしれない
とすれば、今の時代にビートルズは古典以外の意味を持つものだろうか
モーツァルトは専門の演奏家以外にも大きな意味を持ちうるのだろうか

一方で今ビートルズの音楽を知らない人は幸せなのかもしれないと思う
何故ならそういう人は膨大なビートルズの音楽を
これから知ることができるからだ

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今朝のおしゃべり

2025年04月24日 08時47分41秒 | 子どもたちのこと

月木の朝のお楽しみは、小学校校門までの子どもたちとおしゃべり
あいさつ推進運動の一環で7年くらい続けている

「鼻毛が見える」
急に手を繋いでいた2年生のIちゃんが言い出す
「それは君たちが背が低いから、下から見るからそう見えるんだよ
 君たちの絵はみんな鼻の穴が黒く描いてるね
 そう見えるから仕方ないけど」

するとそれを聞いていたKちゃんが
「あのね、この間、造形教室で絵を描いたんだけど
 先生が色を付ける時、鼻を黒く描いてはいけない!と言ったんだ
  それで、茶色で描いたんだ」
 「それは鼻くそ」間髪をおかずIちゃんが反応した

思わず声に出して笑ってしまった
ただただ可笑しかった
こんなちょっとした会話で、今日は一日良い日になる予感がする

こうした会話ができるのもあと少しの間だけ
そのうちにみんな成長して無口になっていく
成長するというのはそういうことだ

それにしても、このおしゃべりの威力はすごい
なんか心が軽い


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引っ越し完了

2025年04月23日 08時19分40秒 | ダイアリー

一週間ほど時間を要するとあったが、昨日の夜、
わずか2日ほど経過しただけでブログの引越しが完了した!
とアメブロから連絡が来た

朝になって、どれどれと確認してみた
確かに全てのGOOブログはアメブロの方でも見られる
テキストは問題ないと思っていたが、
写真も動画もGOOブログのように見られる

作業としてはGOOブログで引っ越し用のデータを作成し
それをアメブロの方にアップロードしただけだ
具体的にどうしてそれが可能なのかはわからないが
なんか、すごいな、、と感心する

ただカテゴリー分けはされていなかった
過去の投稿は全て「ブログ」という括りだった
できるところからカテゴリーに移す作業をしなければいけない
全部行うのはしんどいから、気になるところだけで良いかもしれない

ということでまずは一安心
だが、慣れたこの方でを覗いてくれる人もいるから
これはもう少しの間、続けるつもり
こちらが終了まで、同じものをこちらとあちらでアップすることにした

でも、20年近く付き合っていたものから離れるのは少し寂しい感じ

アメブロは→https://ameblo.jp/amebitte1107/

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江川の速球

2025年04月22日 09時36分35秒 | 徒然なるままに

youtubeに全盛期の江川の投球がアップされている
見慣れたのものあるので、今はさほどに驚かないが
彼の投球を始めてテレビで見たときは衝撃的だった

春の大会で北陽高校だったかと戦った時
こんなの打てるわけがない!と素人がみてもそう感じた
観客も似た印象のようでバットにあたったとか
空振りせずに打球が前に飛んだだけで、よくやった!
といった驚きの声があがった

球速は今の機械と違うので数字的にはそんなに驚くほどではない
しかし、今でも頭に残っている印象は
打てっこない!と思わざるを得ない球筋だった

科学的に分析すれば、彼の投げるボールの回転数が圧倒的に多かったらしい
普通は引力でキャッチャー付近は減速して落ち気味になるのが
桁外れの回転のせいで落下せずにミットに収まったらしい
空振りのバットはほとんどがボールの下を振っていた

印象とか記憶は時間とともに美化されるものだから
今の速球を投げる人の動画を見ても江川と比較してそんに速く感じない
数字上は大谷とか佐々木朗希のほうが上でも、打てっこない!
という印象まではならない

よく記録に残るとか、記憶に残るとか分けて語られるが
江川は記憶に残るとんでもない速球を投げるひとだった

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予想より低い支払い率

2025年04月21日 08時59分16秒 | あれこれ考えること

現時点で4%
予想したより(期待したより)少ない数字
せめて20%くらいはあってほしいと思ったのだが

先日のETCシステム障害による料金の後払いを申し出たのは
この数字のまま推移してしまうのだろうか

ETC料金の支払いはホームページで確認して支払って欲しい
との報道を目にした時に、一番最初に思い浮かべたのが
どくくらいの人がちゃんと払うのだろうか?という思いだった

スマホや財布を落としてもちゃんと戻って来る日本社会だから
淡い期待を持ったのは事実だ
でも、現実的なところはこんなものなのかもしれない

豊橋から新城につながる柿の木街道は季節になると
柿の無人販売がいたるところで行われる
透明のビニール袋に5つ入って200円くらいで
設置してある料金箱に購入した分を支払うようになっているが
今のところ、被害にあったという報道は目にしたことはない

そのことがあったので、期待したのだが現実は甘くなかった

話は変わってドイツの鉄道には改札がない
もちろん乗車には切符が必要だ
日本のように改札で料金の確認をするのではない
電車の中を回ってくる乗務員が乗車券を確認して
持っていないときには60€を罰金として払うことになる

見つからなければ、ただで乗ってしまうこともある
これでどくくらいの不正が存在するかといえば
平均的な損失率は4.1% 中央値は3%だそうだ

改札有りのシステムより、見つかった人が罰金をはらうとか
とりあえず人を信用するシステムのほうが経済効率がいいらしい

最近の日本人の法に抵触していなければ、道徳的に違和感があっても
何でも有りの世界を見るにつけ、昔の日本人だったら
このETCの後払いの達成率はどうだったのか?
とつい思ってしまう

なんか、いろんなことに余裕がなくなっている社会




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