パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

旅行費用アップ分を計算してみた

2024年04月23日 08時31分16秒 | あれこれ考えること

現役の頃はGWは東京のラ・フォル・ジュルネ
夏は登山、秋は京都へ紅葉狩りが定番だった
今は家を長時間離れることはしたくないので
つくづく行ける時に行っとかないとダメだなと思う

行ける時に行っておいたのは約10年前のドイツ・オーストリアへの旅
若い頃訪れたところを再訪する旅で有名どころを訪れるものではなかった

今は円安、ドル高、ユーロ高だが、その時の費用などの記録があるので
価格とどのくらいアップしているか比較してみた

旅行はネットの旅行会社に依頼したオリジナルの工程で付き添いはいない
飛行機、ホテル、ジャーマンパス、空港までのタクシー代石油チャージ代などを含んだもので
2013年では330,855円だったが、現在ならユーロが130円から164円になっているので
換算すると416,877円となる
向こうでの滞在費用(食事とか入場券とか、、)は74,451円が93,961円だ
合計して比較すると、405,306円が510,838円になっている

同様に2015年は旅行会社分は358,150円だったのが451,269円
滞在費が55,886円が70,502円
合計は454,641円が570,903円となっている

つまりは現在同じような旅をすると
当時より1.25倍から1.26倍かかることになる
そして向こうで8泊する旅は、50万から60万位かかるようだ

自分で安いホテルを探して、安い飛行機を探して云々するより
ネットの旅行会社の企画旅行のほうが安くつきそうな気がしたが
どうなんだろう
(自分で探すと飛行機代だけで結構するみたいな気がしてる)

ところで、向こうで使ったお金はだいたいこんな感じ(2015年当時)


今になって恥ずかしいが、ドイツ・オーストリアではチップの文化があって
それをしなければならなかったのだが、知らない者の強みで図々しくも渡すことはなかった

今は旅に行けないので、こうした振り返るを楽しむだけになっている


ところで6泊8日の中央ヨーロッパの旅は、58万円から65万円くらいのようだ
やはりお値打ちに行けていたのかもしれない


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今朝の中日新聞の記事(視座)は参考になった

2024年04月21日 09時12分18秒 | あれこれ考えること

日曜日は新聞をじっくり読む人が多い思われるかもしれないが
現実はそうではなくて、むしろ月曜日に閲覧時間が長い
という話を目にしたことがある
日曜日は休みモードで何もせずにいたい
月曜日は仕事モードに入って情報収集に努めなければ!
と思う人がいるからと勝手に想像した

日曜日の中日新聞で必ず読むのは2面の「視座」と
新聞の真ん中あたりに掲載されている書籍案内コーナー
「視座」は数人で掛け持ちで、内田樹さんや目加田説子さんなどが担当しているが
今朝の「視座」は宇野重規さん
その内容がとても共感できるものだった

宇野さんが対話した橋本治さんによれば、論理は一種類だけでなく
「心のない論理」「心のある論理」があると紹介している

相手を屈服させるための整然とした論理である「心のない論理」
一方「心のある論理」は「心のない論理」が切り落とした心情の部分を拾おうとして
結果としてダラダラと長くなってしまう論理
そして心情そのものである「心の論理」があるとしている

最近ネット上で良く使われる「論破」という言葉は、
相手の言い分を全く聞こうとせずに、一方的に宣言するタイプのものだが
現実には対立する論理はお互いに自分たちが正しいと信じ込んでいる
だからこそ意を尽くして相手に理解してもらおうとする「心の論理」
(もしかしたら心の余裕)が必要だとしている

少しばかり雑な扱い(区別)かもしれないが
現実世界はこうしたアバウトなところと相手を思いやることが必要と実感する

ということで今朝はとても参考になったのだが、宇野さんとは相性が良いな!
と実感すると同時に、このような考え方をする宇野さんが
日本学術会議のメンバーとして政府に承認されなかったのは何故なんだろう?
と改めて思い出した次第

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「既成事実への屈服」と「権限への逃避」

2024年04月19日 09時43分56秒 | あれこれ考えること

二三日前から読んでいる丸山眞男の「現代政治の思想と行動」
その中に「日本ファシズムの矮小性」という章がある
これを読んで驚きを覚えた
そこで紹介されていることは現代でも悲しいくらいよく見かけることだった
それは「既成事実への屈服」と「権限への逃避」の2つだ

戦争の是非はともかく、始まってしまったら心構えは
現状を肯定しそれに従うしかないということで(これが既成事実への屈服)
それに反対する人は力でもって対処することも正当化される
だがそもそも戦争が始まってしまった大きな理由は、上からの先導もあるが
庶民の盛り上がりも馬鹿にできなかったとしている
ところがこの庶民の盛り上がりというのは全体的な声というより
ヤクザとか極右とかハンナ・アーレントならモッブと呼ぶ連中のことで
この連中は「天皇機関説事件」で大きな声を挙げた一部の声だ
つまりは全体としての声というよりは偏った連中の大声で
世界はまるで彼らの訴えるようになっていると勘違いしたり
そのほうが都合の良い連中がいたりして無鉄砲に進んでしまった

その結果は無惨なものだったが、今度はその責任を問うと
「自分の立場は命令する権限はなく、上からの司令に従っただけだ」
(この弁明が権限への逃避)
とほとんどのかつての支配層は弁解する
これはアイヒマン裁判におけるアイヒマンの弁解に似ている

とても大きな失敗をしたわけだが、一部の偏った思想を信じ込み
それを全体の方向性と見誤り、始まった以上は現状肯定するしかないとし
そこで多様な意見を封じ、最後の段階ではこうした判断を遂行していた人物は
権限もなかったから責任もない、、としている

この姿を最近の光景に落とし込むと、オリンピックも万博も
計画がスタートしてしまったからには現状肯定で進めるしかないと
思い込もうとさせる空気と似ている

そして責任の所在の不明さは例のキックバックの問題やら森友事件の
官僚の曖昧な責任に通じる

そして一部のモッブと呼ばれる連中の大声は、ネトウヨとか
新聞広告に出せるほど儲かっているとは思えない2つの月刊誌
「月刊 HANADA」「WILL」の極端な主張を連想させる

人は過去から学ぶことで、失敗を未然に防ぐことができるとしている
しかし、今のこの国は本当に過去から何かを学んでいるのだろうか
と思わざるを得ない

現実問題として田舎の一庶民が、どうこう言ったところで世の中は
変わるとは思わないが、それでも何らかの警鐘を鳴らし続けることは
無駄ではないと信じたい


※ 偶然に見つけたものに「アレントのモッブと戦前日本のファシズムの近似性」
  があったそれはこちらから↓
アレントの「モッブ」と戦前日本のファシズムの相似性 | 松下政経塾 (mskj.or.jp)

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人気投票と世論調査

2024年04月18日 10時06分11秒 | あれこれ考えること

常々、メディアによる選挙前の世論調査の公表は
勝馬に乗りたがる人の多い日本では投票に良い影響を
与えないと思うし何らかの制限はあったほうが良いと思っている

初めて知ったことだが、世論調査と似たような性質の
人気投票は法律で禁止されているようだ

「公職選挙法(昭和25年法律第百号)
(人気投票の公表の禁止)
第百三十八条の三 何人も、選挙に関し、公職に就くべき者
(衆議院比例代表選出議員の選挙にあっては政党その他の政治団体に
係る公職に就くべき者又はその数、参議院比例代表選出議員にあっては
政党その他の政治団体に係る公職に就くべき者またはその数若しくは公職に
就くべき順位)を予想する人気投票の経過又は結果を公表してはならない

カッコの中の文章がわかりにくいが、カッコを省いて読めば
「何人も、選挙に関し、公職に就くべき者を予想する人気投票の経過
又は結果を公表してはならない」
となり、人気投票のようなものは目に触れるようにしてはならないようだ

これはインターネットを用いた人気投票でも同じことで
最近はSNSで安易にできるこうした調査もこれに該当するものがあるようだ
月刊HANADAが東京の補選の人気投票みたいなものをXで行っており
それに対して違法ではないか、、との声が上がっている

この法律文によればかなり違法に近い気がするが、同時に思ったのは
世論調査はなぜこの法律に抵触しないのだろうかという点
人気投票と世論調査
そもそも目的と方法が違うからこの法律には抵触しないとされるようだが
実態としては(素人の)大衆には同じ様な作用を及ぼすのではないか
文言としての違いとか調査方法の違いによって、この2つは法に詳しい人によって
区別されているとしても、その果たす機能(世間に与える影響)は似たようなものだと思う

選挙前の投票先はメディアが調べなくても各党が独自にしているだろうし
その数字の正確さも、メディアが行うよりも正確らしいとの噂もある

もし、選挙前にメディアの世論調査の数字の発表がなかったら
庶民はより自分の意志が反映される人を、不安を覚えながら投票行動に
出るのではないだろうか
普段は結世論調査で結果は見えているので放ったらかしにして
投票に行かない人も、数字が見えないとどこか気持ちの置き場がなくて
とりあえず投票に行ってみるか、、と考えそうな気がする(希望的観測だが)

そして投票結果はより庶民感情に近いものだ出てくるような気がする

やる前から答えがわかっているものには、人はなにかしようとは思わない
わからないからこそ、それにかける行動をする
投票率を下げているのは本来なら結果を見るまではわからないものを
おせっかいどころかある種の意図があるとさえ思えてしまうメディアの
世論調査のような気がするが、考えすぎか

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ひねくれて想像してみると

2024年04月12日 09時43分38秒 | あれこれ考えること

現在、多くの時間を気分的に支配しているのは下山事件で
事件そのものの奇妙さだけでなく、その時代背景とか
現実的であったとしてもそれらは良い選択だったのかが
つい気になっている

「謀殺 下山事件」矢田喜久雄著に続いて読んだのが
「葬られた夏」諸永祐司著

この本は再読になるが、矢田喜久雄氏の本を読んだばかりなので
いろんな事件や登場人物や関連性も頭に入っているので
以前読んだ時よりは楽しめるものになった

下山事件はハマる人が多くて、自殺説、他殺説の両論で昔から論争が続いている
今まで自分が読んだのは他殺説のほうが多いので、今回念の為に自殺説の
「下山事件の事実」事例研究所をAmazonで注文してみた

ところで今日のテーマは下山事件の内容ではなくて
その当時の世の中の流れとか雰囲気が、現在と似ていないかということ

岸田さんがアメリカに国賓待遇で招待され、月面着陸に二人の日本人に
チャンスが与えられたといった一見喜ばしい報道がなされているが
その裏で何が進んでいるか、、を疑いながら見るとそう安易に喜んでいられないようだ

アメリカは大統領選を控えて多数派の共和党がウクライナ支援の更なる支援を否決した
そのままではウクライナが不利になることは自明であり
ロシアの力による支配が現実化されてしまう
アメリカはお金を出せない、、そのかわりに出せるところは、、
そう考えたときにアメリカは良い口実を設けて日本に働きかけた
アメリカと日本の民主主義国家の連帯は、周辺国(中国、北朝鮮、ロシア)
との有事を想定すると一層緊密になることが求められる
緊密な関係とは現実的にはお金の供給のことで
それは直接的な兵器ではないにしても、どこかそれに関連することであったりする
これが可能とするためにアメリカは日本に法的な根拠を変更するようにさえ求めている

こうした強引な手段はストレートに表面化すると大騒ぎになるので
それをカモフラージュするために
手段として口当たりの良い国賓待遇の招待というものを計画した
そしてお土産に日本人に対する「サーカス」と計算したのが月面着陸の二人というアルテミス計画だ
ところがこの招待を批判的に見る人達は、空港で岸田さんを出迎えた人の顔ぶれを見て
政府関係者の重要ポストにいる人がいないことから、口だけの国賓待遇ではないかと見ている

世の中は現実的な国益最優先で動いている!と実感するこれらの事件だが
ここまでひねくれて想像したしまったのは
冒頭に挙げた「下山事件」のアメリカの関与の仕方が
現在のそれに似ていないかということ

戦後の日本は共産党の勢いが強くなった
国会議員も一桁台から40数人まで増えて、GHQが求めた国鉄職員の首切りも
ストという手段で難しい状況になった
中国では毛沢東、北朝鮮は金日成、そしてロシアの共産主義国家の勢いが
日本にも及んで来るのではないかと恐れたのがアメリカと日本の一部だった

そこで現実路線のアメリカはいろんな例外を設けた
最初は自衛権すら認められなかったようだが
軍とは言わないが兵力を所有する警察予備隊(のちの自衛隊)を認めるとか
731部隊のCIAに情報提供することを約束に彼らを罰しないとか
アメリカの北朝鮮との戦いに備えて国鉄による武器輸送を円滑にするための
制度づくりとか、、反共を進めるための現実的な方法とか
(そこには例の統一教会の反共運動がある)

戦後のその時期の雰囲気はよくわからないが
国鉄のストを起こす人たち(共産党員?)は、世界同時革命みたいなものを
現実化できるかと考えていたかどうか、、といえば
どうもそれは無理!と考えていたようだ
ガチガチの共産党員はイケイケの態度だったらしいが、現場の雰囲気を知る連中は
同じ国鉄職員の中には共産党に反対する人のグループもいて
物事はそれほど簡単ではないと思っていたようだ

下山事件は松本清張もアメリカの関与があるとしている
そして、この事件は結局のところ、いろんな理由はあろうが事件後には
一気に共産主義の力が衰弱してしまった
そしてそれはアメリカの望んだことだった
多分、日本人もそれを望んでいたのも事実だ
国鉄職員の中にも共産党の考えに反対する人がいたからだ

だが、下山事件の肝心なところが、アメリカの重要ポストにいた人物の
口を閉ざしている事実を知るにつけ、世の中はわからないままに
なにかに都合よく進められていくものだと思わざるを得ない
その秘密裏に行われることが最終的に良いものであれば良いのだが
どうもそう簡単に性善説で受け入れることはできそうにないのも現実だ

岸田さんの国賓待遇でのアメリカ訪問
そう単純に喜んではならないのが現実のようだ




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孤独の違い

2024年04月06日 09時42分17秒 | あれこれ考えること

何の根拠もないが、昔、フランスの屋根裏の部屋に泊まった時
日本人の孤独とヨーロッパ人の孤独は違うと感じたことがあった
ただそう思った!というだけのことだが、それでも間違いないと妙に確信をもった

日本人の孤独は秋の夕暮れに感じる寂しさに似ていると思う(自分は)
それは感情的、情緒的で人との関係において理解し得ないことがあっても
絶望の淵までは行かないように思えた

一方、ヨーロッパ人の孤独はサルトルの嘔吐のロカンタンのような行き場のない孤独
自己の存在自体がほったらかしにされた世界にいるようで、希望さえないように思えた

と、小難しいことを思い出したが、その感じ方の違いは
もしかしたら家の違いにあるのではないか?とも思ったりした

日本家屋はほとんどが木で作られている
木に囲まれた住居はどこか安心感を覚える
一方ヨーロッパの家は石で作られている
内装は木で覆われている場合が多いとしても、視野にはいるのは
固くてそっけない印象の固形物
だからだろうか、ネズミを用いた実験で、木の囲いで育ったネズミと
石で囲まれた空間で育ったネズミでは、木で囲まれた空間で育ったネズミのほうが
長生きしたというエピソード(実験)があって、それを覚えている

尤も科学的に証明できた話ではないので思い込みの世界だが
なんとなくそうだろうな、、と思ってしまう

現代の都会の人の住まい(マンション)は、田舎の人間から見ると
数億円価値があるとしてもそんなに住みたいと思えるものではない
家は非日常ではなく、どこかのんびりした日常が好ましいと思う

でも都会で生活している人の実感としては、無機質なものに囲まれる
方が安心するという人も少なからずいるのだろう

ということで、昔思いついたことを思い出したということ
(ネタ切れなのでこんな話になっってしまった)



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NHKスペシャル「未解決事件ファイル 下山事件」第一部を見て

2024年03月31日 08時45分23秒 | あれこれ考えること

ハマる人が多いとされる「下山事件」
1949年7月、初代国鉄総裁の下山定則氏が突然行方不明となり
翌日轢死体で発見された事件で、当初捜査一課の自殺説と
捜査二課の他殺説が、また死体解剖においても東大医学部と
慶應義塾大学医学部の解釈の違いがあった

他殺説を唱えるグループは死体に血液がなかったこと
轢かれた時の体の反応がなかったことから、轢かれる前に
死んでいたとする解釈
自殺説は死亡現場近くをトボトボと歩いていた下山氏を
見たとする証言が多いことから自殺と判断したようだ

この事件は妙なことが多くて、その中には不自然なほど
下山氏の目撃が多い(アリバイ作りの説がある)
また事件前には下山氏の死を暗示するような文書が見つかったとされている

森達也氏の「シモヤマケース」を読んで、自分もハマった人間だが
松本清張も日本の黒い霧の中で自説を展開している

この下山事件が昨日のNHKスペシャル「未解決事件ファイル 下山事件」
として放送された
おおよそ知っている事件なので、どのような論旨で進められるかと思っていたら
冒頭はロッキード事件に関する田中角栄氏の逮捕だった
「なんで、田中角栄の事件がここで登場するのか?」
と疑問を覚えたが、どうやらロッキード事件も下山事件もアメリカの影響下に
あった事件として捉えていて、日本はそれで良いのか?
を問おうとする内容にしたかったと想像した

この番組はドラマ仕立てでドキュメンタリーではない
だが内容は事実を下書きにしていて、佐藤隆太演じる朝日新聞社の矢田喜美雄氏が
重要な情報提供者として、また捜査検事と協力して事件解明に励む姿が描かれている
この矢田喜美雄氏の「謀殺 下山事件」はこれだけ読んでいても非常に興味深い
本棚から引っ張り出したのがこれだ

内容は

ここには轢かれる前についたとされる血痕を見つけたエピソードが書かれていて
それは昨日の番組でも報じられた

この事件は変なタイミングで警察関係の人事異動があって
上層部が何かを隠そうとしていると想像しても無理はない
そしてそこにアメリカの影響力があったのではないかとしている

アメリカは大量の国鉄職員の首を切ろうとした下山氏を
共産党系の労働組合の誰かが他殺したストーリーを進めたかったようで
この事件は自殺他殺の両論の存在で、思惑通りには進まなかったが
結果として共産党の影響力は日本国内では一気に縮小した

下山事件のものすごく参考になった本はもう一つある

著者の柴田哲孝氏は、森達也氏の「シモヤマケース」の登場する事件に関係している
とされた人物の親族で、その内容は普通では知り得ない情報に満ちている
NHKでも登場したキャノン機関とか矢板玄氏とか児玉誉士夫とか
とにかくいかにもなにかしそうな人物が列挙されている

これは他殺の方からの視点で、下山事件に関しては他にもいろんな本がある


つまりは今だに好奇心を刺激する事件だ
この事件をNHKがどのような視点で捉えるかが
昨日放送された第二部に明らかになるのだろうが
10時からの第二部の放送分は録画しておいて、今のところ見ていない

いずれにしても、731部隊とCIAの関係を扱った「未解決ファイル 帝銀事件」
といいい、アメリカの影響下のこの事件といい、NHKの一部のスタッフは
真に真面目な問題提起をしているように思われる

国益を優先せざるを得ないとしても
果たして日本は本当に独立国家なのか?と

でも第二部を見たら印象は変わるかもしれない



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「一平さん」と「バカヤロウ」

2024年03月26日 09時13分20秒 | あれこれ考えること

またもや今日のテレビニュースは大谷絡み
ただし今回は活躍や結婚などの明るい話ではなく
通訳の水原氏の違法賭博に関する話題だ

大谷翔平さんと藤井聡太さんの共通点は関わっている競技に
夢中になっていて、それ以外には関心もなさそうにさえ見える
だからこそ、大谷さんの関与がなかったことを信じたいし
それらがはっきりとされて安心してプレイできるようになることを
多くの日本人が望んでいると思う

ところで、今朝の会見で信じていた水原一平氏のことを
「信頼していた方」「一平さん」と表現していたことが印象に残った
裏切られた思いがあるなかで、彼の人間性は先日まで友人だった人物を
呼び捨てにすることはできなかったと思われる
これが良いか悪いかは評価に個人差があると思われるが
彼らしいと感じたのはきっと自分だけではないだろう

この反対の人間性を暴露した人がいる
自民党の二階さん
次の衆議院選には諸々の責任を負って立候補しないとする記者会見
そこで記者から年齢のこともあって立候補しないのか?との質問に
「年齢の制限があるか? おまえもその歳が来るんだよ」「バカヤロウ」
とのキレた発言をした

頭にきたとしても、それはないでしょう、まして政治家なら

だがこうした上から目線の発言を許しているのは
実はメディアも責任があるのではないか
二階さんに限らず麻生さんも人をバカにした発言を繰り返す
メディアはそれを「麻生節」といって問題視せずスルーする
それが暴言の連発に拍車をかける様に思えて仕方ない

大谷は人を人として対処して、二階氏は人を人とも思わない態度にでる
人間性が違うと言ってしまえばそれまでだが
最近の日本はこうした人間性を否定した攻撃的な言葉がはびこっている
と感じるのは思い過ごしなのだろうか?

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悪いのは誰か?

2024年03月20日 09時13分31秒 | あれこれ考えること

子どもの発想が斬新なのは、大人では当たり前の関係性ではなくて
大人では排除する関係性でも無邪気に結びつけているからかもしれない
それは生き物が生き延びるために、あらゆる可能性の突然変異を
起こすのと似ている気がする

生き物は意図を持って突然変異を起こすのではなく
手当たり次第に変化を起こし、その中で都合の良いものが
結果的に残るだけのことと考えるのが進化論の考え方のようだ

大人なら何かと何かは関連付けて記憶しているが
子どもはそうした知識がないために、
勝手に関係ないもの同士を結びつけてしまう
それが大人には斬新な発想と思えるのだろう

最近の囲碁、将棋の世界は若い人の活躍が目立っている
30代はもう現役のトップにはいられないかのようだ
それなりの経験を積んだ人は、直感的に良い手が頭に浮かぶそうだ
素人と玄人の違いは読みの深さではなく
最初に思いつく手の的確さとする調査もあるそうだ
(限られた時間内に手を選択しなければならないので、これは重要)

一方、経験の少ない人は手当たり次第にいろんな手を試みる
それはAIが様々な手を検討するのに似ているかもしれない
(もっともAIの方向性もプログラムを作る人の影響を受けているので
完全にあらゆる可能性を想像しているわけでなないと思うが)
そして従来なら顧みられなかった手も検討に値するとなって
経験以上の成果を得ることができるようになっているかのようだ
(これは想像でしかない)

これは他の多くの場合にも言えそうで
その世界の経験豊富な人間になるということは
実は良いことばかりではなさそうだ
特に最近の政治に関するメディアは、あまりにも通好みの内容になりすぎて
素人とか一般人が知りたい情報よりは、力関係のみを伝えている気がする
それは戦国時代の大名たちが誰と組んだら得か!
の判断を解説しているかのようだ
だが、肝心なのは組む相手の選択とか権力闘争ではなく
もっと根本的な「良し悪し」のはずだ

だが現実的には、これは話が遠いために、
断定的なわかりやすい権力闘争の扱いの方に流れてしまうようだ

ということで、世の中は「誰かが悪い!」
に集約されてしまう傾向にあるということ
でも、大衆はまさか「選んだ自分たちが悪い」
とは気づかないと思われる

例のごとく、まとまらない話!

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何かで発散しないと、気が滅入りそう!

2024年03月19日 09時33分36秒 | あれこれ考えること

世の中には適度な怒りは必要だと思う
一方的な思い込みによる怒りは好ましいものとは言えないが
それでも怒りのエネルギーは、その強さゆえに意味がないとは言えない

最近怒りを覚えるのは、政治倫理審査会でも問題の人たちの言論
追求が稚拙云々よりもはっきりしているのは
知らぬ存ぜぬという方針を徹底しようとする問題の人たちの意志だ
最初から本当のことを話す気がない人には
自白のような言葉を期待するのは難しい

責任には説明責任、道義的責任、結果責任があるとされているが
彼らはそのどれに対しても責任を果たそうとしないように見える

彼らがそれで良しとする根拠は推定無罪という考え方のように思える
「悪いことをしたとする証拠はあるのか?
    ないなら推定無罪の原則で無罪だ」
推定無罪は刑事裁判で使われる言葉で被告としての有罪が確定するまでは
「推定無罪」の原則に則り、犯罪者のように扱ってはならないとする考え方だが
政治家のような公人に対してこの理屈を使うことは適切なのだろうか

公人である政治家などは、公金の不正使用や私物化などの疑いを
持たれないように、公的記録で潔白を証明する義務を負っている
一般の裁判では「犯罪の疑い」が濃厚でも、推定無罪の原則に基づいて
「無罪」として扱われることがある
それは潔白という意味合いではなく単に「グレーゾーン」との意味でしかない

上記の説明は「詭弁社会」山崎雅弘さんの本に書かれた一部で
まさに現在このテクニックが過度に使用されている気がしてならない

こうした場合、もやもやが鬱積する庶民の怒りはどういう形で現したら良いのか?
となるのだが、それは世論調査で支持率を下げるだけでは十分ではない
もっと強い気持ちを具体的に示すことが必要だ
つまりは選挙において、該当人物に対してキツイ結果をもたらすことが
必要だと思われる

だが、昨日近くの公民館で自民党代議士の国政報告会があったが
その場の雰囲気は、そうしたキツイ結果を出すようには思われなかった
そこに集まった人々は自民党関係の人々だったように思う
少し前に八名地区で行われたものよりは批判的な質問をする人がいたが
どうも「現実論として自民党を支持するのがベター」
と考えている人が多そうな雰囲気だった
自民党の底力を感じることになったが、こうして少しばかり大目に見ることが
日本にとって良いことかは大いに疑問を覚えてしまう

実は帰り道で、「口には出さなかったが代議士は麻生派の人間で
派閥も解消しないグループの人間だ、全部が全部肯定的には思えない」
と本音を漏らす人もいた
あそこにいた人々が報告の後の拍手と異なる判断をするならば
社会は少し変わると思われるが、人の心はどうなのだろう


ところでキックバックをやめるように安倍さんが言い始めたとする話
個人的にはにわかに信じ難いと思っていたが
昨日エックス(旧ツイッター)で、なるほど!と思われる投稿を見つけた
それはキックバック問題が明らかになる前のこと
キックバックを調査している上脇教授という人物がいて
追求されるとヤバいことになりそう、、との誰かから(この誰かが問題だが)
のアドバイスを受けて、安倍さんがやめるように言い出したとするものだ
なるほど、これならあり得ると妙に納得してしまった

もっともこれは逞しい想像の世界のことかもしれないが
そう考えるほうがスッキリするのは、仕方ないと思う

嘘をつこうとする人に、本当のことを話させるのは本当に難しい
最近はこれを痛いほど経験している

まとまらない話



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