最近、目にしたり耳にするのが「ナラティブ」という言葉
この言葉を使う人は、もう当たり前の概念としているが
自分は馴染みがなくさっぱりわからない
そこで、「ナラティブとはなんですか?」
とお利口さんの生成AIに聞いてみた
「ナラティブ(narrative)」は、日本語では「物語」「語り」と訳されることが多い概念です。
ただし、単なる「ストーリー」とは少し違った意味合いがあります。
基本的な意味
出来事を順序立てて意味づける語り
ある出来事や体験を、原因・結果・登場人物の意図などを含めて「ひとつの筋道のある話」として表現すること。
人や社会が出来事に意味を与える枠組み
客観的事実そのものではなく、それをどう解釈し「どんな意味を持つ話」と捉えるかを示すもの。
「ストーリー」との違い
ストーリー(story):事実や出来事の単なる時系列の並び
(例:Aが起きて、その後Bが起きた)。
ナラティブ(narrative):その出来事をどう語り、どんな意味づけをしているか
(例:Aが起きたからBが必然的に起きた、と人が解釈した筋道)。
使われる文脈
文学・物語論
小説や映画などで「語りの構造」や「視点」を指す。
社会学・文化研究
社会が共有する物語(例:「日本は平和国家である」という国民的ナラティブ)。
医療やカウンセリング
患者が自分の病気体験を「物語」として語ることを通じて回復を支援する「ナラティブ・セラピー」などがある。
ビジネス・政治
ブランドや政策が「どんな物語で語られるか」が人々の共感や行動に影響する。
知人が兵庫県の知事選での混乱を見聞きして、立花氏のストーリーだての演説は説得力がある
と言ったことを思い出した
わかりやすい(感情を刺激する)語りは「ナラティブ」なのかもしれない
また源氏物語の「蛍」の巻で物語論を述べて、単なる歴史的事実の羅列より説得力があるとしたのは
このことだったかもしれない
人は事実の積み重ねより、感情を動かされる説明の方が理解しやすいようで
明治維新の実態がどうであったのかを知るのは、司馬遼太郎のフィクションに
左右されていることが多い(司馬史観というらしい)
自分以外の人のことを語るのは専門家と言えども、実は語る方の勝手な思い込み
かもしれないと思ったりする
囲碁将棋の対戦の解説者は、一手一手ごとに解説をするが、それは同業のプロとして
現時点で考えていることを想像して(それは当たる確率が高い)説明する
時には対局者は解説者より必死に考えているので、違う手段を考えているかもしれない
と正直に発言するが、この解説は理解しやすい
でも時々本当かな?と思うのは専門家の意見としてでてくる政治の話
ジャーナリストとか学者とはそういう肩書の人は、自分だけが所有している(?)情報をもとに
政治家は(石破さんとかトランプさんとかは)こう考えている、、と解説する
でも、それって解説者の意見とか考えではないのか?と思うことが少なくない
そしてそれはあるところには有利となる方向性をもっている(テレビに出る意味はそこにあるのか?)
問題なのは、そうした専門家の解説(思い込み)が社会に与える影響で
知らず知らず大衆はそれで知った気になっていないだろうか
専門家の解説は科学の分野などにおいては問題ないが
社会的な政治的な分野においては専門家という人々の解説は
無条件に受け入れるより一旦疑って(一歩ひいて)見るほうが良いような気がしている
まとまらない話