パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

平和な世界

2024年02月28日 08時46分35秒 | 妹のこと

妹の棺に収められた「平和な世界」と書かれた習字
孫たちが書いたものだが、今思えば「平和な世界」は
妹が住むことになる世界がそうあって欲しい!
との願いを込めて収めたと想像できる

だがあの時、その言葉は妹のための言葉というより
妹が望んだ現世の世界の姿と自分は思い込んでしまった

妹は自分のことより他の人のことを思うような
優しい人だった
自分の思いは勘違いだったのかもしれない
とも思えるが、あの時の実感は間違いなく「世界平和」だった

最近、死にゆく人は話すことはできなくても、言葉は聞こえている
といったような話を目にした
これが本当かどうかはわからないが、そうあって欲しいと思う

妹にかけた最後の言葉は「ありがとう」だった
母も同じ言葉を伝えていた
それが妹に聞こえていたとすれば、、、

時間の魔法が寂しさを癒やしてくれることになるが
フト思い出すと熱いものが滲んできてしまう

今は平和な世界で暮らしていて欲しいと思う

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2024年02月05日 08時57分40秒 | 妹のこと

妹が闘病中、夢に出てきた
妹は小声で「〇〇(夫の名前)さんは3年だって」と告げた
その数字は、すぐに彼の余命と思われた
病気でもなんでも無い彼には縁のない(根拠のない)数字だが
それは次のような妹の願いのように思われた
〇〇さんを大事にしてあげて、彼が私にしてくれたように、、

義理の弟は、少しばかり運のいい育ち方をしていなかった
ストレスの多い、報われることのない時間が多かった
だが、徐々に生活が妹のペースになっていき
お互いが「お父さん」「お母さん」と呼び合う
穏やかな暮らしができるようになった

妹がホスピスで眠っている時、一緒に部屋にいた〇〇さんに
「夢に妹が出てきて、妹は〇〇さんをよろしくおねがいします
 と言ったから、これからは困ったことがあったら、、」
と夢とは少し違ったニュアンスで告げた

いつかは忘れてしまうこうした小さなこと
それを少しでも妹のために残そうと思う

時間は少しづつ、仕方なかった、、
と思えるようにしてきている


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受け継がれた優しさ

2024年02月04日 09時03分18秒 | 妹のこと

親が子どもの将来とか夢を託してつけた(現世の)名前に対し
戒名はその人の一生を表す言葉が使われる
と先日のお葬式で和尚さんの説明があった

妹の戒名は忘れることのない「優情純深大姉」
この文字から連想される、まさにそう言う人だった
優しくて、情が深くて、純粋で、しっかり者で、、

妹の優しさは二人の息子に受け継がれた
お葬式の日、老齢の母は棺に花を入れる時
椅子から立ち上がることができないほどショックを受けていた
そこでみんなで、手を添えて連れて行って最後の別れをした

そんなことがあって、一通りの式が終わった夕方
妹と同居していた甥から「そっちに行って良い?」と電話があった
すぐに甥は母(彼にとっては祖母)を気遣って来るのだろうと想像した
彼は家に着くなり母に寄り添って声をかけていた

そうして少し会話をした数分後
「弟の家族(奥さんと双子の6年生と子どもと3年の息子)も来て良い?」
と聞いてきた
彼の弟も母(彼らにとって祖母)を気遣って来ようとしているのだろう

お葬式で火葬している間、無邪気な子どもたちはその行動で笑いを取って
落ち込みがちな空気からみんなを救った
その一瞬でも悲しみを忘れさせたことを思い出し、もう一度沈みがちな母に
元気を出してもらおうと考えたのだろう

彼らは少ししてやって来た
そこからの時間は、無邪気な子どものマイペースな我儘が笑いを取って
数時間前の鎮痛な気持ちは忘れることができた

翌日の朝、二人にお礼のメールを入れた
「おはようございます。昨日はおばあちゃんを気遣って来てくれてありがとうね。
また思い出して悲しむことはあると思うけど、あの一瞬は忘れられたと思います。
すみ子さんは優しい息子を育てたと思います。戒名の「優情純深大姉」はピッタリでした。
いろいろありがとう。」

二人から返信があった
3人の子どもを持つ甥からは
「おはようございます。
 あんな事しか出来ず、すみません。
 ありがとうございました。」

地元に住む甥からは
「こちらこそ何度もお見舞いに来てくれてありがとう。
 お母さんからおばあちゃんの事は頼まれてるので、また時々顔を出させてね。
 こちらも手伝う事があれば手伝うので何でも相談してね。」

ふたりともやはり気遣って来てくれたのだ
そして彼らは妹が望んだように優しい人間になっていた

妹と同居していた甥は妹の行動を見ていた
ある時、家の近くで知らないおばあさんはうずくまって(?)だったか
どうだか忘れたが、兎に角困った状態にあった
それを見た妹はすぐにおばあさんに寄り添って手助けをした
そのシーンを覚えていた甥は母を尊敬すべき人物と思い、
祖母に向かって「ホスピスで会ったら、お母さんを褒めてあげてね!」
と言った

妹は行動で二人の息子を優しい人間に育てた

今朝も寝ていても自然と涙が滲んだ
涙は自分を悲しみから救うための生理作用かもしれないが
故人に対する感謝の念の表現かもしれないと思う

やがて時の魔法で癒やされることになるが
今は、妹の思い出に浸ろう



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戒名と棺に収められた言葉

2024年02月03日 11時15分01秒 | 妹のこと

我が家は長女、長男、次女、三女と続いた「きょうだい」
(きょうだいという漢字は我が家に適応するものがない)
行動的な長女、夢想家の長男、何故か金銭的に運が良い次女
最後はしっかり者で優しい三女で、母が一番頼りにしたのが三女だった
それは近所に嫁いだという理由だけでなかった

長女と次女は父系統、長男と三女は母系統の性格を持っていたようで
自分と三女は本をよく読んだが、現実対応主義の長女と次女は
生活力がたくましかった

三女はとても優しい人で、小さな時、お人形さんを背負って遊んだり
パンダのぬいぐるみを何度も洗って、長いこと大事にしていた

三女も結婚して、それからの時間のほうが長くなって
二人の男の子の母になっても、相変わらずしっかり者で優しい人で
老齢の母を気遣って定期的に我が家にやってきた

その優しい妹が1月31日、永遠の眠りについた
膵臓癌のステージ4とわかったのが7月、それから治療を受けたが
悪性の癌の進行は速く、抗がん剤治療は効果を発揮しなかった

死の数日前、義理の弟が、妹が意識のある内に会ったほうが良い
との医師からのアドバイスを受けて、母とすぐ下の妹とホスピスまででかけた

妹は苦しそうに眠っていた
妹のそばに行って手を持ってかけた言葉は、母も妹(次女)も
「今まで、ありがとうね」だった
一瞬、目を覚ましトイレに行きたいと口にし、看護婦さんの手を借りて
トイレに行ったが、僕たちを認識したようには思えなかった

自分はそれから翌日も、顔を出すようにした
行くといつも苦しそうに眠っていて、自分が知っている妹の顔ではなかった
呼吸が止まってしまうのが怖くて逃げ出したくなるときがしばしば有った

1月31日、すぐ来るようにと義弟から電話があった
この日が運命の日だと医者から言われたそうだ
部屋に着くと妹はいつものように眠っていた
でもいつものような人相ではなく、自分らが知っている妹の顔だった

そしてそれが生きている妹の最後の姿だった

2月1日、通夜
2月2日、葬式が行われた
自宅まで運ばれた妹は、奇跡なくらいきれいだった
丁寧にお化粧してもらえただけでなく、妹の内面が滲み出ているような気がした

昨日のお葬式は2つの印象的なことがあった
一つは戒名がわかったときのことで、妹のそれは「優情純深大姉」と書かれていた
それを確認した刹那、この戒名は妹を奇跡的なくらい現していると泣きそうになった
優しくて情が深く、純粋だった妹、、見ている人は見ている、、
それは妹への最高の贈り物のように思われた

もう一つは最後のお別れで棺に花を飾る時、そこには孫たちから送られた手紙に混じって
胸から足にかけての習字の大きな文字がかけられていた
そこに書かれていたのは「平和な世界」という文字だった
穏やかな妹、これもまさに妹を現していて、この文字が偶然選ばれたとしても
このときに使われることになったことに、運命の不思議さを感じた
広い視野をもった妹、彼女も世界がこうであることを願う人だった

妹は今まで他の葬式で見たような別人となった例とは違い
奇跡的なくらい品のある穏やかな、いつもの妹の顔をしていた
そして泣けて仕方ないと思う反面、ものすごく広い視野の持ち主が
すべてを考慮した上でのはからいのような気がしてしまった
そしてそれらはあるべきところにある、、そんな気さえした
(自分は神の存在を信じているのだろうか?)

戒名の「優情純深大姉」
そして棺に収められた「平和な世界」
これらはきっと一生覚えていることだろう
一つは妹を現している言葉として、
もう一つは妹が今望んでいることとして、、

妹は、このような人だった




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悲しい昨日のこと

2024年02月01日 09時02分01秒 | 妹のこと

悲しことがあった昨日
楽しいことは避けようと思った
妹がそれを望んだかどうかは分からないが
そうした方が良いと自分で決めた

サッカーアジアカップ、バーレーン戦の結果がわかったのは
つい目覚めてしまった時刻だった
3−1で勝利していた
それはとても秩序だった出来事のように思われた

しっかり者で優しい妹は、昨日午前に亡くなった
その10分ほど前は自分は病室にいて、妹は穏やかな顔をして眠っていた
でも家で一人で待っている老齢の母親が気になって(電話したときは鳴き声だった)
付き添いの義理の弟、甥っ子、そして眠っている妹に
「お母さんが心配だから出かけるね
 お母さんは僕がしっかり見るから安心してね」
ときれいになった顔を触りながら告げた


その少し前のこと
妹の脚はベッドの中にいるにも関わらず、とても冷たかった
それで温かい手で温めることにした
少しづつ暖かくなった
妹は時折口が動いた
何か言おうとしているような気がした

妹の死が伝えられたのは家に向かって運転中のことだった
自分が部屋から出て10分ほどすると、急に呼吸が荒くなって
最後に何か叫ぼうとして息を引き取ったと甥は言う

甥は「心配性の母(妹)は全部わかっていて
 おじさんがおばあちゃんのところへ行くのを待って
それまで頑張っていたと思う」と涙ながらに話した

そして、それは自分と全く同じ思いだった
優しい妹は最後まで優しかった

こうした個人的なブログでも形に残すということは
妹が確かにこの世界に存在した証となる
自分ができるのはこのくらいしかできない
だが、これからは妹が喜ぶか否かがいろんな判断の基準になる思う

今晩が通夜
明日がお葬式
すみちゃん!お兄ちゃん!とラインで頼ってくれたときは嬉しかったよ

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雲隠

2024年01月31日 13時39分25秒 | 妹のこと

1月31日  10時50分頃

 

 

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何ができるのだろう

2024年01月29日 08時59分47秒 | 妹のこと

やる気が出ない
気分が沈みがちだ
音楽も聞く気になれない

理由はわかっている
高校時代に習った宮沢賢治の「春と修羅」の中に
「永訣の朝」という悲しい歌がある

「あめゆじゅ とてちて けんじゃ」
妹が兄に願った最後のこと

自分は妹に何ができるだろう
横にいて手を握ってあげるくらいしかできない
言葉はもう通じない、、
でも手の感触は伝わっていると医師はいう

できること、妹が喜び、自分も納得できること
それをするしか無い、、

こうして何かに残すことは、妹が存在したことの証

今はできることをするしか無い

 

永訣の朝

けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

うすあかく いっさう 陰惨(いんざん)な 雲から
みぞれは びちょびちょ ふってくる
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

青い蓴菜(じゅんさい)の もやうのついた
これら ふたつの かけた 陶椀に
おまへが たべる あめゆきを とらうとして
わたくしは まがった てっぽうだまのやうに
この くらい みぞれのなかに 飛びだした
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

蒼鉛(そうえん)いろの 暗い雲から
みぞれは びちょびちょ 沈んでくる
ああ とし子
死ぬといふ いまごろになって
わたくしを いっしゃう あかるく するために
こんな さっぱりした 雪のひとわんを
おまへは わたくしに たのんだのだ
ありがたう わたくしの けなげな いもうとよ
わたくしも まっすぐに すすんでいくから
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

はげしい はげしい 熱や あえぎの あひだから
おまへは わたくしに たのんだのだ

銀河や 太陽、気圏(きけん)などと よばれたせかいの
そらから おちた 雪の さいごの ひとわんを……

…ふたきれの みかげせきざいに
みぞれは さびしく たまってゐる

わたくしは そのうへに あぶなくたち
雪と 水との まっしろな 二相系をたもち
すきとほる つめたい雫に みちた
このつややかな 松のえだから
わたくしの やさしい いもうとの
さいごの たべものを もらっていかう

わたしたちが いっしょに そだってきた あひだ
みなれた ちやわんの この 藍のもやうにも
もう けふ おまへは わかれてしまふ
(Ora Orade Shitori egumo)

ほんたうに けふ おまへは わかれてしまふ

ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ

この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ

(うまれで くるたて
  こんどは こたに わりやの ごとばかりで
   くるしまなあよに うまれてくる)

おまへが たべる この ふたわんの ゆきに
わたくしは いま こころから いのる
どうか これが兜率(とそつ)の 天の食(じき)に 変わって
やがては おまへとみんなとに 聖い資糧を もたらすことを
わたくしの すべての さいはひを かけて ねがふ

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