パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

その体質

2017年10月10日 08時38分32秒 | 住民投票・市庁舎・リコール・市政

寝付きが良いのが自慢だが眠れぬ夜もある
その例で今でもすぐに思い出せるのは、住民投票と市長リコールのときのこと
前者では防災無線の突然の妙なメッセージの放送
市民まちづくり集会での圧倒的に理不尽な設定と進行
何よりも訳の分からない住民投票の選択肢の文章
後者では署名閲覧に関する脅しのようなチラシが入っていたときのこと
これらは、言いようのない怒りで興奮して寝付けなかった

それが昨日も選挙を前にして(国政・市政)妙に気持ちが昂ぶって眠れないこととなった
選挙は自分の住むこんな小さなところでも、バカみたいな、どうでもいい噂とか
ネガティブキャンペーンに近いことが、ひっそりどころか堂々と行われる
昨日ある会合で目にした2つの印刷物は、ひどいものだった
怪文書という類で、見なければよかった  とさえ思わせるような内容だった
一つはゴシップ、もう一つは一方的な攻撃的批判、(市議選と市長選に関すること)
これらの印刷物の目的は一体何なのかを疑うくらいのものだが、発行者の
勝ちさえすれば何をやってもいい、、という開き直りの品のなさを見せつけるもので
勝たなければ意味がないがないかもしれないが、とても肯定的に受け入れられるものではなかった
(昨日の印刷物の発行者は一体誰たちなのかよくわからなかったが)

この勝つためにはなんでもやってしまう進め方に対する違和感は
どうしても拭い去ることは出来ない 
でも、やってしまう人がいる(過去にやってしまった人がいる)
事情を知らない人には嘘を言っても、嘘とまで言わないとしても、事実と違うことを言っても分からない
だから、平気でそのように話す
ある人物は、新城市の住民投票は、3.11の震災で物資が高騰したので計画通りの予算ではできそうもないので
市民に見直しの選択をしてもらうために行った  と話し、それを一種公的な文書として残す
ところが、現実を知っている側から見れば、住民投票のきっかけは、身の丈にあっていない規模の
庁舎と建設費に対する見直しの提案で、その方法として署名を集めて住民投票を提案したもので
結果的にそれが実現したものだ(いつの間にか誰かの手柄になってしまっている)
また、よく知らないであろうと思われる人たちを前に、その人物は、住民投票が終わったあと
見直しのための実務協議を6ヶ月間行ったと口にしたが、現実に実務協議が行われたのは
たった4回でほぼ1ヶ月で終了していて、6ヶ月も費やしていない(しかも共通の意識を持つには至らなかった)

この人物の(心配な)性格を一番はっきりと見せるエピソードは、一昨年12月の市議会の冒頭の
突然開かれることになった、そしてその時しか行われない「行政報告」だ
この行政報告は「新庁舎建設見直しの経過報告と今後の考え方」がテーマで(結局はリコールの話に終止したが)
なんと13万円の費用がかかるケーブルテレビの中継も行われた(この予算は専決処分?)
この突然行われた「行政報告」は、その前にちょっとした事件がある
実務協議は、結局物別れの様な状態のまま数ヶ月経過し、より多くの削減した案を求める
団体はその具体的な案を行政に提出していた(また各地でその案の説明会も行っていた)
その案に対する意見等には何も反応していない状態で、その人物(行政)は自分たちの具体的な案を
記者発表して新聞にも紹介された
その後で、「少し聞きたいことがあるので、指定した時間に指定した場所に来て欲しい」
と声がかかった
既に自分たちで実行計画を記者発表した後で、今更何を聞くのか、、と思いながら
メンバーは指定された場所に赴くと、そこには予想もしなかったメディア(新聞・テレビ)の人たちが
待ち構えていた
そしておもむろに提案された案についての疑問点を切り出した
疑問点についての答えを印刷した形で用意したメンバーは、この様なシチュエーションは
予想していたので、印刷物を残し、メディアに計画発表する前ならば話し合う用意はあるのに
既に実行案が公にされている以上は、特に話し合っても意味はない  と判断しすぐさま退席した 
その人物にしてみれば、思いっきり試みが外された、、ということになる(メディアの前でイメージダウンを狙ったのに)
そしてその怒りは、どうやってもコントロールできなかったものらしく、突然の数日後のが行政報告という成り行きに繋がった 
もちろんこれは想像の範囲のなかで、急に行う事になった理由は、まことしやかな、それなりの言葉が用意されていた
しかし、本当のところは、、
(この行政報告はやたら興奮していたようで水をよく飲み、傍聴者のヒソヒソ声にも反応して声を上げ
  傍聴者のほうがびっくりしたという) 

こんな事、大したことじゃない
そうかもしれない  単なる被害者意識で細かいことを挙げているのかもしれない
しかし、一番の問題はこれが「政治体質」ということだ
この人物の進め方は、結局のところいつもこうだ
新城市の人でまだ良く知られていないことに、いま進行中の「裁判」がある
庁舎建設用地外の物件に対し、不当な保証金を支払ったので返却を求めるものだが
ここには「住んでいない人」が 「住んでいた」と書類が作成されたが
裁判は証拠主義なので、現時点では「住んでいなかった」という具体的な証拠が
いくつも挙げられていている
この進め方、体質がそれで良いのか、、が自分にはどうしても疑問が残る
いくら雄弁であっても、このような人は最後の最後で判断を誤る
(既にいくつも例が出ている)
人への判断は全人格的なもので、部分的な専門職としての知識だけではない
まして、未来をリードする立場の人へのそれは人間性が要求される と思うのだが
(と言いつつも、自分もネガティブキャンペーンをしているのかもしれない
  でも、どうしても心のなかにしまっておくことはできなくて、、) 

 

 



 



 

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