朝からニュースはアメリカのラスベガスの銃乱射事件一色
現時点で死者59名、負傷者527名との報道があるが、気の滅入る話だ
どんな理由があろうと人を殺傷する道具を軽微な規制で簡単に手に入ることは、異常としか思えない
人は残念ながら、持っているものは試したくなる
江戸時代の試し切り、もしかしたら広島の原爆投下
人のなかに潜むどこか気持ちの悪い衝動、その存在をコントロールできるのは
理性ということになるが、今までの歴史の中でそれらが実現されてきたか
人は自分たちで思っているほど理性的な存在ではない部分があることは頭に入れておくべきだ
(アメリカはどれだけの人が亡くなれば銃規制を考え直すのだろう)
ところで、話は変わって話題は「嘘について」
先日読んだ本のなかに「人間嘘発見器」と言われるアメリカの教授の話があった
この人の的中率は95%以上
普通嘘を見抜くのは警察、裁判官、弁護士、精神科医が得意とするところ
それは基本的に話していることの矛盾点を把握するところから始まる
ところが、この「人間嘘発見器」なる教授は、話の内容(矛盾点)と言うよりは
顔の表情の変化、ボディーアクションから判断する
自分の意識と違う時に見られる微妙な顔の表情の変化、つい出てしまうボディーアクション
それらを何十年も渡って詳細に研究した結果、身につけた特技、知識でこれが可能となったとのこと
人は多少の思い込みや間違いがあるかもしれないが、この教授のようになんとなく嘘を言っているのは、
わかるという気持ちを持つ(知らず知らずこの教授のような見方をしているのかもしれない)
国も市も選挙が近いので今問題となるのは、庶民は政治家という人達の話すことが本当かどうか を見分けられるか?ということ
この肯定的な例としては、最近では森友・加計学園では誰が嘘を言っているか説得力のない話をしているかは
素人でもだいたい分かると実感し、それは現に世論調査でも数字に現れている
一方、一部の方々は頑なにある種の見方をあっさり信じてしまっている(おまけに個人の判断というよりは組織の統一見解として)
そしてそれは理性的(合理的)な真っ当な説明だと言い切っている
しかし、それが信じられないというのが庶民の感覚で
なにかおかしい、、ほら水ばかり飲んだり、早口になったり 、表情に出てくる何から感じられるのもは力強く
理性的な言い訳のような説明は説得力を持たない
ところが、ここからが問題で、政治家の嘘を発見できないことがある
それは未来に関することだ
現実的には誰も未来のことは分からない
だからなんとでも言いようがある
そしてそこでは嘘を言っているという自覚はない だから表情・ボディーアクションには兆しは見えない(?)
(そこで話されることを嘘という言葉が適切かどうかは問題だが)
政治家は未来を語る、しかし未来は現実的には分からない
先のことは分からない という無責任なことはいけないので
期限を区切った約束を政治家は庶民に語りかける
期限は区切った、約束をした、(できそうもないけど勢いだ)
これらを話す政治家さんたちを、庶民は一体どのように判断するのか
ここでは嘘を言ってるわけではない ただ先の分からない未来のことを言っているだけ
この中で選ばなければならないとしたら、、、
一体、人は何を根拠に選ぶのだろう
誰の描く未来に実現性・リアリティー・夢を感じるか ということなのだろうか
それとも、その人の全人格的な要素なのだろうか(この人なら間違いはしないだろうという)
人はもしかしたら自分には一票しかないということにホッとしているかもしれない
全責任を負うなんてことはしんどくてたまらない、、
他の人だってそう判断したじゃないか、、と言い訳したくなる気持ちわかる気がする
(これは「自由からの逃走」や「カラマーゾフの兄弟」の大審問官の章に通じそう)
相変わらずまとまらない話、いったい何が言いたいんだか、、、