パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

神秘感を感じることは大事

2024年04月25日 09時06分36秒 | ダイアリー

かつて月面着陸をした飛行士は月から宇宙に浮かぶ地球を見て
言いようのない神秘感に襲われて、神の存在を確信したそうだ

若い脳学者は標本にされた人間の脳を手でもった時に
この軽い物質の中にその人の人生の記憶が詰まって
人生そのものがそこにあることを感じた時に
やはり驚きに似た神秘感を感じたそうだ

それほどの人ではない自分にしても、水族館に出かけて
水槽の中を泳ぐ様々な形、色をした生き物を見ると
その多様性やら生き伸びるために進化したひたむきさに
一種の神秘感を覚える

最近では、植物の根っこで起きている菌との共同生活を知るにつけ
世界は不思議に満ちていると感じる
そして人は地球における万物の霊長とされているが
実は何も知らないのだと深く実感する

世の中に存在する人が年下のほうが圧倒的に多くなって
今では「歳のせい」で片付けられそうな情けない事柄が
毎日のように起きる
ボケないためには!と気にするが、そのためには単純に
何かに驚くことが必要と実感する

ということで少し驚くことがあると
まだ自分は大丈夫かもしれない
と思い込もうとしている

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石が2つ無くなっていた

2024年04月23日 16時48分47秒 | ダイアリー

自分の住む地区は月曜日と木曜日に可燃ごみの収集がある
市の指定の黄色いゴミ袋には食べ物の残りが封入されていることも多く
透けて見えるからか匂いがするためかわからないがカラスが袋をつついて
辺り一面がそれらがぶちまけられた状態になってしまう
そこで、地区の人は可燃ごみにネットをかけることで
カラスから守るようにした

しかし、そのネットも集まるゴミの量が多いために全体を被せることができず
はみ出た部分をカラスがつつくようになっていた
そこで一月ほど前、それに我慢できなくなった同居人が新しくネットを手に入れ
カバーできるようにした
だが、まだそれでは足りない状態だったので、それを見かねた他の人が更に
ネットを追加して、これでほとんど可燃ごみを覆うことができるようになった

ところが困ったのはゴミを収集車が持っていった後のこと
大きなネットは軽いので風に吹かれるとだらしなく広がってしまった
そこで何事もきっちりしないと我慢できない同居人は
石を持ってきてまとめたネットの所々に石を置くようにした



上の写真のように石を置いたわけだ
ところが、先日までは4つあった石が昨日は2つしかなかった
あんな石を持っていってどうするのだろう?
理由はわからないがとにかく石は2つ無くなっていた

同居人は頭にきてもう一つ重しを持ってきて上の写真のような状態にした
同居人はまた持っていかれたらどうしよう?
と、今度は何らかの形で石を固定することを考えている

世の中にはいろんな人がいるものだが、なせ石が置いてあったのかを考えて
その気持ちを無駄にしないようにしてほしいと思う
誰かがしたのだと犯人探しをするのは、気持ちよくないものだ

それにしても、あんな小石2つ、何に使うつもりなのだろう?

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キャッシュレス支払い

2024年04月17日 09時03分29秒 | ダイアリー

田舎のAコープでもセルフレジが使われるようになった
まだ支払いの部分だけだが、お年寄りの多いこの地区でも
ようやく慣れてきたようだ

それでも支払いは現金を選ぶ人が多い
時にはカード支払いをする人もいるが、端数の支払いで
財布の中の小銭を探している人を見るにつけキャッシュレスは
時間もかからず便利だと実感する

自分がキャッシュレス決済をするきっかけになったのは
岐阜のバスに乗った時のことだった
自分よりも年上のおばあさんが交通系のカードで難なく支払いを済ませていた
正直、これはショックだった(自分は現金で払っていた)
自分は遅れているかもしれない!と焦りを覚えた
比較的ITにも慣れていると自負していたが、実態は全然そうではなかったのだ

そこで直ぐにまずは交通系のICカードを購入した(この地方ではトイカ)
時々チャージをするタイプで、使ってみると本当に便利だった
電車、地下鉄、バス、しかもそれが京都でも使えるし
ドラッグストアでもコメダでも支払いができる
この状態で満足していたのが先日まで

ところが今度もお年寄りが飲食店でスマホのPayPayを使っているのを見て
ちょいと焦りを覚えてしまった
スマホにはクイックペイのアプリで支払うことはできるが
よく耳にするPayPayとは何ぞえ?と不安になった

そこでPayPayの導入と使用法などをネットで調べて
使えるようにした
今回も銀行とは連想せずにセブンイレブンでチャージする方法を選んだ
チャージは交通系のカードの方が簡単だが、そんなに大きな違いはない

使えるようになると、なにかに使いたくなるのが人情
そこで無理やり今までは現金で払っていた店でもPayPayで支払うことにした

やっぱり便利だな!
素直な感想はこの一言
小銭部分の支払いとかお釣りの受取がなくて済む
もう少し早く使えるようにしておけば良かった
と今更ながら思う

キャッシュレスになると使い過ぎの心配の声もあるが
とりあえず家計簿をつけているので、使い過ぎはせずに済んでいる

ということで、やっと若い人と同じような便利な生活になれたということ
(こんなのは話題にすること自体が恥ずかしい?)

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急に頭に浮かんだ「丸山眞男」

2024年04月16日 09時15分51秒 | ダイアリー

天気が良くないと、なんとなくやる気が起きない
言い訳を探してそこから何も進めないのが情けないところだが
それでもまるで必然のように何かとの出会いがある

生活には精神生活、法的生活、経済的生活があるとしたのはシュタイナーさん
流し読みしたので正確な理解はできていないが、そんなものかと納得した

自分の生活は最初の精神生活が大きなウェイトを占めている
現役ならば経済的生活、それに関連する法的生活がほとんどだろうが
現役を終えた今、暇と退屈の誘惑があるが、それでも自分とのおしゃべりは
生産的ではないとしても飽きることはない

最近はフィクションよりは小難しい社会的とか歴史的なものに興味がある
きっかけはNHKスペシャル「未解決事件ファイル 下山事件」だが
この本を読んでいるうちに、それがおきた時代背景とか
その当時蔓延していた空気とか支配していたイデオロギーなどが気になってきた

そうするうちに頭に浮かんだのが「丸山眞男」という人物のこと
小難しいがマックス・ウェーバーみたいなことを書いている人と思い込んでいるが
急に思い立って図書館から「現代政治の思想と行動」という分厚い本を借りてきた
最初の目次はこんな感じ

ページいっぱいに文字が並んで、読みやすい内容ではない
だがなかなか面白い
この中には今と全く同じようなことを問題視していた人がいたことがわかる
それは田舎と都会との差で、都会集中を危惧して訴えている人の存在
そして読んでいて、興味を覚えたのは
右翼という人たちと左翼と言われる人たちは、どちらかというと反資本主義的であること
そしてある程度は国家主導的に進めるほうが良いとしていること
この国家主導的のトップが天皇制的な(人たちによる)ものにするか
それとも選挙で選ばれた人たちによる人たちに任せるか
の違いだけのように思われたのは少し衝撃的だった

コロナ禍で日本人の多くが実感したのは、ある程度の国家主義的なものは必要だということ
何でもかんでも規制改革をして民営化するのは現実的ではないということ
(最近ではショック・ドクトリンという言葉で新自由主義を警戒する流れがある)
これは左の人たちがコモンとかシン社会主義と称するもののようで
これは日本だけでなくアメリカを含む世界で広がりつつあるような傾向のようだ

人間の行うことはどこか欠点があり完成形ではない
だから試行錯誤でいろんな試みにトライする
社会主義も資本主義も、その選択肢の一つに過ぎないとして
ニュートラルに選ばれるなら良いのだろうが
残念ながらこれらはその属性(共産主義、右翼という言葉)のために
まともに選択のまな板に載ることはない

未来は想像することはできるが、そのとおりにならないことが多く
現実的には正しい選択というのは難しい
それでも、過去から学ぶことは少しでも間違いを少なくするには役立つ
という思想はあっても不思議ではない
それが本来の保守主義と言われるものらしい

このあたりになると、この本だけでなく今までいろいろ読んだものが
邪魔をして頭がまとまらなくなるが、それでも面白いとか参考になる
という気持ちを覚えることがあるので、文字ばっかりでしんどいページを
読み進めることになる

本は消化不良でも、面白いか面白くないかは、わかる気がしている


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祖母と孫、母と息子

2024年04月09日 15時23分18秒 | ダイアリー

ジョージア出身の大相撲力士、栃ノ心の断髪式をテレビで偶然見た
ジョージアからその式のために来日して、土俵に上がった彼のお父さんは
耳元で何か囁いた
栃ノ心は軽く頷いた

お父さんは何と言われたのですか?
誰もが聞きたい問の答えは、式の後のインタビューで答えられた
お父さんは「お前の父で良かった!(誇らしい)」と言ったそうだ

自分も同じようなことを言ったことがある
それは大好きだった祖母のお葬式の挨拶の時のこと
明るく冗談が好きで優しかった祖母は、母にも優しくて
嫁と姑と言われる険悪な関係を感じたことがなかった
むしろ、仲良くやっていた

父が早く亡くなったので、祖母と母は父を介さずに暮らすことになったが
相変わらず本当の親子のように暮らしていた
自分は年老いた祖母に一度運転免許証を忘れたので岡崎まで
電車で持ってきてもらったことがあった
また、祖母は好奇心に富んでいて自分がけったいな食べ物を購入すると
何にでもチャレンジして、美味しい美味しいと喜んでいた
まだカマンベールチーズが今ほど普及していない時
祖母は北海道土産にカマンベールチーズを買おうとした
こんなおばあさんがカマンベールチーズを知っていたことに
店の人は驚いていたそうだ

祖母はいい人だった
何かを成し遂げたわけではないが、いるだけで安心できる人だった
お葬式のあいさつに自分は「おばあちゃんの孫で良かった」と言った
いろんなことは忘れたが、このことだけは覚えている

そして今は母に対しても同じことを言える
「母の息子で良かった」と

飲食店で食事して支払いをした後、母は必ず「ごちそうさまでした」と言う
また家に品物を運んでくれる人には必ず「ご苦労さま!」と言う
そしてそれがとても自然にできている
それだけで、自分は母が誇らしいし「母の息子で良かった」と思う

それに比べ、今の自分は、、、まだまだだな!

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ウォーキングを兼ねての花見

2024年04月08日 09時24分23秒 | ダイアリー

少し前の予報に反して昨日はいい天気だった
特に予定もなかったのでウォーキングがてら桜淵公園まで花見に出かけた
自宅からは1キロちょっとの距離
桜淵に繋がる新さくら通りの桜は散り始めている

桜淵に来る人の大半が撮影するのは笠岩橋が見える場所

明るい日中のスマホは画面が何も見えない
いい加減にシャッターを押すので何が写っているかわからない(センスもないが)

橋を渡るときに上流右岸に見えるのが

そして下流は船を漕いでいる人が見える

昨日は暑いくらいだったので船は気持ちよさそうに見える

橋を渡ると目に入るのは満期の桜
桜は一気に咲くから迫力がある

新城の桜まつりは開花が遅れたので、期日を昨日まで延長して
屋台、キッチンカーはラストチャンスにかけている
気温のせいか水物(ジュース、アイスクリーム)は列をなしている
待つのが面倒なのでスルーして辺りを歩く

どうも腰の調子がイマイチで、気持ちは早くも休むことを求めている
仕方ない  結構歩いたからもういいいか
とあっけなく帰宅することにした

「昨日桜淵に行ったよ!」
今朝の近所の子どもたちとの校門までのウォーキングで5年生の子が口にした
「僕も昨日行ったよ」
「私は一昨日行った」

やはり新城の子はとりあえず桜淵には行くようだ
でもきっと「花より団子」だったろうな




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新城市川の桜(お酒なしの花見)

2024年04月05日 17時33分22秒 | ダイアリー

彼によれば、新城の市川の桜は「新城の吉野の桜」なのだそうだ
新城の桜といえば桜淵公園だが、桜淵公園の桜は宴会をするための桜
一方、市川の桜は花見のための桜で山道を歩いて楽しむもののようだ

曇り空だったが、絵心のある写真を撮る知り合いに誘われて
市川の桜を見に行った
過疎化が進むこの地区の有志が、桜を植えて見事な桜のある光景を作り上げた
昨年、この知人が市川の桜の写真を見せてくれて、
興味を持ったのを覚えていてくれて誘ってくれたのだった

車があまり通らない道を行くと、山の高いところ、裾野に桜が見える


想像よりもいい景色で、つい坂道を登ってシャッターを押す



カーブミラーに写った桜
思ったよりうまく写っていない(これが実力か)

途中で豊橋から来た人たちに出会う
この人たちは去年も来ていたそうだ
桜淵はまだ満開じゃないが、こちらは見頃で素晴らしいとの声


いつものウォーキングの距離よりも先へ先へと歩いてしまう
こうした山村で暮らすのは大変だろうな、、と思うが
地元の人と二人ほど話したが案外そうでもなさそう

地元の生活を彷彿とさせる神社があった


上ばかり見ていた景色は下を見下ろす景色になる







以前、中学時代の数学の先生だった方が、八名地区に世界の桜を植える行動に取り組んだ
慌てず、焦らず、、この方はそう自分に言い聞かせて頑張った
一度それを見に行ったが、残念ながら記憶に残っていない
(若い時はそんなもんなのか?感性が鈍かったのか?)

知り合いも自分も、今日のウォーキングはこれで終了とした
歩行距離は3キロと少しだった(坂道だったとしても、少なすぎる?)


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花粉症?

2024年03月29日 09時18分39秒 | ダイアリー

少し目がかゆい
耐えられないほどではないが、花粉が悪さをしているのだろうか

ある年、突然に花粉症になった
小学校のサッカーの納会の最中にくしゃみが止まらなくなって
涙がポロポロ、、、何だこれは!と思ったのが始まりだった

それからは毎年春が憂鬱だった
頭は重たいし、目はかゆいし、お酒を飲めば鼻はグジュグジュになって話せば鼻声

薬を飲め直ぐに効果が現れるタイプなので
通勤の駅までの道の途中で眠たくなった
昼時に飲んだ時は、運転が不可能なほど眠くなって運転を諦めて
少し寝ることにしたこともあった

でも今は、少し目がかゆい程度で済んでいる
それは歳のせいだよ!とからかわれる程度だ
アレルギー反応も老化して過度に働かないらしい(?)

薬はプラシーボ効果というのがあって、効くと信じると
体はその様に対応するというもので、自分の場合は
健康食品のPが良かったのだろうと信じている

プラシーボだろうが、なんだろうが結果良ければオーケーで
個人的にはこの程度で済んでいるのはありがたい

月曜日と木曜日の近所の子どもたちとの小学校の校門までのウォーキング
9人いる中に二人ゴーグルをして登校する子がいる
それをしてるのとしてないのでは、だいぶ様子が違うらしい

今日は雨があがると、次は黄砂がやってくるとか
自然界はすごいというか、思い通りにならないというか、、

ところで、相変わらず大谷絡みの報道が多い
彼のせいではないが、正直なところ食傷気味だ
日本人はこんなにスポーツ依存症で良いのだろうか
と不安を覚えたりする


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思いつくままに、、、

2024年03月28日 09時26分34秒 | ダイアリー

行く宛もなく思いついたことをつらつらと、、、

江戸時代は大きな戦争が200年以上なかった
確かに身分は固定化して不公平なところはあったようだが
人々(庶民)はどのくらい不満を覚えていたのだろうか?
あったとして、それは革命を起こすほどのものだったのだろうか?

現在の日本ではサムライという言葉がいろいろ使われる
例えば野球の日本代表にも使われるし、それはいい意味で使われる
新渡戸稲造は日本には西欧ほど確固とした地位を占める宗教がないが
それを補い倫理観を育んだのは武士道というサムライの心構えとしている
(でも武士でも貴族でもない底辺の自分は、武士に憧れることもないし
     本当に武士道の精神が一般社会に行き渡っていたのか少し疑問を覚える)

落語でもお侍さんを立派な人として扱っているものもある
「井戸の茶碗」では真っ正直な武士が活躍して、庶民からも一目おかれている
そういえば、江戸時代に流行しだした端午の節句の五月人形も
武士に憧れて飾っているから、庶民の感覚としては
武士は身分制度の不満はあるものの、良いお侍さんもいるし、仕方ない!
くらいの感覚だったのだろうか

江戸時代は寺子屋が盛んになった
そこで学ぶのは実用的な読み書き算盤だけでなく
今でいうリベラルアーツ的な教養的なものもあったようだ

昨年か一昨年読んだ「花祭りの里、、江戸の裁判」では
江戸時代にも裁判制度があって、それもなかなかしっかりした運営が
なされていたと実感したが、庶民は現実的にそれらで猛烈な不満を
覚えるほどではなかったようだ

つまりは、庶民にとって江戸時代はそんなに悪い時代ではなかったような気もする
(昔読んだ江戸時代の歴史の本を読んでみようか)

外国の人間が日本に来るようになって、社会の変化が求められるようになり
結果として明治維新がなされたが、外国人が日本人をみて驚いたことには
文字が読める人の多かったことらしい(寺子屋のおかげ?)
植民地政策を進める外国でも、文字の読めない人たちの存在はそれなりにあったようだ

そういえば、一部の女性の知識の高さは今年の大河ドラマでも扱われている
確かに子供を生むということが女性に求められた大きな役割だったようには思えるが
それでも日記とか物語を残すだけの環境はあったことがすごいと思う

ここまで来て、連想は全く関係のない話に移る
伊勢神宮を参拝した天皇の娘愛子さまは、大学時代の研究は
式子内親王だったとされている

すぐにはどんな人か思いつかないので、検索すると彼女も天皇の娘であり
斎王の立場でもあったようで、おそらく自分の立場にシンパシーを感じたと思われる
式子内親王は百人一首にも選ばれた歌があった
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
 忍ぶることの よわりもぞする」

すぐには意味がわからないが、すごく感情的なものは感じる
22歳になれば、こうした気持ちもすんなり理解できるようになったのだろうか
そしてそれは、とても良いことだと思われる(余計なお世話だが)

思いつくことは、いつも結論がでるとは限らない
むしろ単に浮かんだだけで終わる
それはまるで夢のようなものだが、何故かそれも生きている証のような気もする

とりとめのない話、、
だが連想とはそういうものだ!






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3.11

2024年03月11日 09時11分45秒 | ダイアリー

13年前のあの日から3月11日は悲しい記憶の日になってしまった
それまではめったに食べることのないカニ料理を家族で食べに行く
お祝いの記念日だった

あの日、母は「いやだなあ、、私の誕生日がこんな日になるなんて」
と毎年繰り返されるだろうニュースを思いながらつぶやいた
そして今年もやはり東北大震災のことが放送されている

島根に住む母のひ孫からこんな手紙を先日受け取った


ひ孫の彼も3月11日生まれだ
一緒なのが単純に嬉しいらしい
毎年郵送でお年玉を送っているので、ちいばあは大事な人になっている

今朝、近所の小学生と校門まで付き添って歩いて、帰宅すると
埼玉の妹からお祝いの電話があった、、と母は口にした
ラインで昨夜、朝電話するね!とあったから電話があるのはわかったいたが
母には内緒にしておいた

玄関の呼び出しで家に入ってきたのは、亡くなった妹の息子だった
彼は出勤途中に立ち寄って、誕生祝にリザーブドフラワーを置いていった

3月11日は世間では残念な日だが、我が家ではささやかな幸せを感じる日でもある
世の中が、平和な世界でありますように!

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