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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

13年前の6月13日

2025年06月14日 09時16分25秒 | ダイアリー

あまり利用していないFBから、何年前の今日はこんな投稿をしましたよ!
とメールで連絡が来る
その中に12年前(2013年)の6月13日の出来事があった

13年前のこの日はハイデルベルクのフルトヴェングラーのお墓参りをしていた

37年ぶりにドイツ・オーストリアに出かけたのは、同じことをして(同じ光景を見て)
あの時と今とどのような感じ方の違いがあるかを確かめるためだった

その1番最初の確認がフルトヴェングラーのお墓での出来事で
昔はお墓の前で急に頭の中で音がなり始めた
曲はベートーヴェンの第五交響曲で、オーケストラ奏者が何かに取り憑かれたような
熱狂ぶりが聴こえたのだった

そのことは何故か「そういうことはあるものだ」と無条件に受け入れていたが
同じ場所に行ってみると今なら何を感じるか?(聴こえるか?)
を試すために再訪したのだった

13年前のドイツ・オーストリアの旅はこれを始めとして追体験の旅だった
同じことをしたのは、ミュンヘンのノイエ・ピナコテークで
ゴッホの「ひまわり」見たら、今はどう感じるかを確かめた
(昔は気持ち悪いくらい絵に生命力が溢れていて
 ニョキニョキと茎が伸びていくみたいだった)
そして、リンツではブルックナーがオルガン奏者を務めた聖フローリアン修道院で
昔感じたこととの比較をしようとした
(キリスト教の儀式の壮麗さの中で彼は育ったのだという実感)
更にウィーンではシェーンブルン宮殿で、昔感じた権力者のわがままとか欲望を
今も感じるのかを確かめたいと思ったのだった
そしてベートーヴェンのお墓では、昔は理由もなく涙が出て止まらなくなったのだった
(こんなに遠くまで来ることなったのはベートーヴェンのせいだと思っていたから)

でも、追体験をしてみてはっきり言えるのは、昔の感じやすい時期に感じたことは
今は何も感じられないということだった
それは悲しい現実だが、たった一度の経験でも確かにあの時は
そう感じた!ということは紛れもない事実で
それは忘れられない記憶として残っている

人は確かに現実社会の中で生きている
でもそれだけでなく記憶の中とか、自分との対話の中で生きている
そしてそれがなかなか軽視できないもので、実生活の判断への基準は
むしろそこから生まれるような気さえする

13年前のフルトヴェングラーのお墓のことは、こんなことを投稿していた
↓↓
ドイツにて

でも自分はもう少し実生活における細々としたことを
もう少しちゃんとできるようにならないと駄目だな!
と同居人の生活におけるたくましさを見て思う

ところで体調はだいぶ戻ってきた
昨日一昨日は一体何だったのだろう

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ここ2日は体調が悪かった(気力もイマイチだった)

2025年06月13日 16時20分16秒 | ダイアリー

健康と気象(気圧など)は関係ないとする考えがあるようだが
少なくとも個人的な実感からすると大いに関係があると思う

天候の怪しかった昨日と今日は体調が優れなかった
なんだが頭がフラフラして、やる気が出ない

こんなことは季節の変わり目の春にもあった
めまいと吐き気、もしかしたら何か体の異常があったかもしれないが
とりあえず寝ることで問題は収まった
その時は、夜中にスマホのブルーライトを見続けたのが悪かったかも
と思ったが、そういえば今回も眠い中でスマホを見ていた

何事も程々にしないとアカンな
全ては年齢のせいの一言で片付けられるが
それでもいろんな警告は守らねばと、反省しきり

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気持ちの交流(ベトナム人との)

2025年06月08日 09時35分27秒 | ダイアリー

昨日の午後4時くらいのこと
玄関でなく勝手口の方で何やら音がした
窓まで行くと、30代くらいの女性の顔が見えた
すぐに思いついたのは、以前に資源回収の場所を教えてあげた
ベトナム人のことだった
その女性は「(住んでいる)205室の、、、」と言ったから
その時の女性だと確信した

「ちょっと待って!」
と言って、外に出て向かい合って話をした
すぐ裏のアパートを指さしていたので
「部屋が替わったの?」と聞くと、彼女は
「友達の住んでいるところ」と答えた
小さな庭では女性が植木鉢の花をきれいに並べている
どうやら友達のところに遊びにきて、ついでにこちらに挨拶に来たようだ

「そういえば、明日は資源回収の日だけど、大大丈夫?」
と心配すると
「大丈夫」そして「夜勤だから」と答えた

「最近は暑いから体に気をつけてね」
と言うと
「おじさんもね」
と返事が返ってきた

その瞬間、とても心が軽くなった気がした
たったこれだけの会話、お互いが気を使っていてそれが通じるということ
言葉の交流というより気持ちの交流が、こんなにも気分を変えることができるとは

母国以外で暮らす人は、きっと出会う人によって
(今住んでいる)国の印象を決めてしまうだろう
大きなことを考える訳では無いが、自分は彼女たちに
日本という国に来て良かった!と感じさせることができたのか?
とフト考えてしまう

新城市にも外国人が増えていて、最近は珍しい存在ではなくなってきている
確かに価値観の違いや風貌、趣味の違いなどは感じられるが
人間に共有の感情もこのように感じられる

どうせなら、みんなが楽しく時を過ぎすことができれば!と思う



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あーあ!

2025年06月02日 18時59分08秒 | ダイアリー

妹の住む関東の都会と違って田舎には車は必需品だ
何をするにも車の力を借りないと暮らしていけない
でも車も歳をとる
年齢を重ねるとどこかガタが来る
そんなことはわかっているが、いざ来てみると修理費の請求は
精神的にショックだ
働いていて収入が入ってくるならまだしも、年金ぐらしにはこたえる

昨年と今年にかけて機械物の不調がこれでもか!という感じで出てくる
車のクラッチから始まって、テレビ、エコキュート、車のキーに部分の不調
そして今回は車のエアコンガス漏れ

経年劣化は仕方ないと思いつつも、心の整理に時間がかかる
時間をかけると少しづつ諦めもついてくる
あとはお金の工面、あのお金をこちらに回して、、、

いつまでも迷っていても仕方ない
エイヤッと決めた
決めたら考えが変わらないうちに先方に電話した
エアコンの修理ではなく、中古車の購入へと

(この年齢なら分相応だと思いこむことにした)
この選択が正解かどうかはわからない
でもこれからでてくる故障の確率は、10年乗った車より低いだろう

ボディーブローのように効いてきそうなこの出来事
思い出すたびに、なんか、情けない!
あーあ!



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年上と思っていた人が年下だった

2025年05月20日 09時30分26秒 | ダイアリー

昔は出会う人は殆どが年上だった
しかし、今は年上だと認識していた人が実は年下だったというようなことが時々ある
(今朝の新聞に知人の記事が出ていて、自分より年上だと思っていたが人が
 実は2つほど年下だった)
年上と思い込んでいたのは容貌や雰囲気がそう思えていたからだ
困るのは自分が他人からどのように見られているのかはわからないことで
人から見えれば自分も彼のような「おじいちゃん」に見えているのだろう

父の年齢、祖父の年齢を超えて我が家の男では一番の年齢になっている
でも、こんなんでい良いのかな?といつも思う
相変わらず情けないところが多いし
ちょっとばかり内緒にしておきたい妄想もある

情けないのは仕方ない
今更急に成熟しそうもない
こうなったら自分の時間経過を味わい尽くしてみるしかない(かも)




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ヘッセに癒やされる!

2025年05月13日 09時25分13秒 | ダイアリー

若い時に読んだ本とか聴いた音楽は、年齢を重ねた今とは違う感じ方をする
未知のものが多かった若い時期は、一つ一つが新鮮で驚きに満ちており
それらがそのまま体に吸収されてていくようだった

疲れを知らない子どものように!
と歌ったのは(詞を書いたのは)小椋佳だった
確かに自分も一時期そのような時があった
知らないことに初めて触れた時の驚きや神秘感はそのまま経験に蓄積され
小説の人物の生き様は自分のその後の生き方に影響を与えた(と思う)

でも少しばかりの後悔と諦めをもって今を受け入れる年令になると
不意に過去を振り返りたくなることもある
(特に電車の車窓から流れ行く景色を眺めていると)

ヘッセは優しいと思う
それで良いのだ!
と感じさせる詩があったぞ!と思い出して探し出して写真を撮ってみた


これは詩集「「階段」(高橋健二訳)の冒頭にある文章だ
大概の人は社会に注目されずにその役目を終える
自分のことを知っているのは自分だけが普通だ
つまりは人間は社会的生き物とされながら
現実は社会に深く承認されることもなく、時だけが流れていく

これを実感する様になった時、この文章を見るとホッとする
こうした文章とか考え方は、実生活に直接関係しなくても
人にとってとても大切なもの(必要不可欠のもの)だと思えてくる

ヘッセの優しさが見える同様の作品には「シャボン玉」がある
(と自分は感じているが)これもなんか好きだ




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味わうことはできるが、つくるのは、、、

2025年05月11日 08時42分00秒 | ダイアリー

恋する人間は誰でも詩人になれるといわれる
その時の感情の高まりは何かを表現したい衝動にかられるからだろう
特に若い時はその傾向は顕著だ
ビートルズの楽曲でも初期はラブソングが多かった
日本の音楽(歌謡曲、JPOP)でも個人の経験とか思いを
一般化できる恋の歌は多い

このように誰でも後から見直すと恥ずかしいと思われるような
ラブソングを作ろうとしたことはあるものと想像できるが
振り返ってみると自分はそうしたものを作ろうとしたことはなかった
古い日記を読み返すと、正常ではない精神状態は奇妙な熱を持っているが
憧憬とか、誰もが実感するような気分になるものは残していなかった

最近、ラブソングってすごいな!と単純に思うようになった
そのきっかけは源氏物語で、この中には恋の歌がいくつもある
物語にあまり関係ないとして飛ばし気味にしていたが
改めてそれらを味わってみると、なかなか面白いと思えるようになった

そういえば百人一首と万葉集とかでも、今は以前より実感をもって
味わうことができる気がしている(年齢のおかげ?)
それらは気持ちをストレートに出してみたり、想像力を刺激したりするが
古い言葉なのでよくわからないが、それでも音としても印象が今の言葉よりも
柔らかくてなんか気持ちにしっくり来るような気さえする

とりあえず、この歳でも何か作ってみようか!
と思ったりするが、そこから先へは一向に進まないのが現実だ
頭が凝り固まっているのだろうか?
それとも、そうした制作モードになかなか成れないからだろうか

ところで、すごいなと思われる歌は女性のものが多い

●思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを(小野小町)
●長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は ものをこそ思へ(待賢門院堀河)
●歎きつつ ひとり寝(ぬ)る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る(右大将道綱母)
●忘れじの 行く末(ゆくすゑ)までは 難(かた)ければ今日(けふ)を限りの 命ともがな(儀同三司母)
●あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな(和泉式部)
●あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る(額田王)

なんか良いなあ!と思えるこの頃
男の方でもいいと思うのは

●見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮(藤原定家)
●心なき身にもあはれは知られけり 鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行)
●人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(藤原兼輔)
●つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とは思はざりしを(在原業平)
●銀も 金も玉も 何せむに 優れる宝 子にしかめやも(山上憶良)

ということで、日曜日らしくのんびりした話題を取り上げてみた
(創造の世界に飛び込まないとアカンと思いつつも)

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認めたくない現実

2025年05月09日 11時23分04秒 | ダイアリー

我々の年令になると必要不可欠なのが病院
情けないことに同級生にもそこでよく出会う
今日も薬の処方箋をもらうために出かけた

形だけの診察を行う
問診と血圧チェックだ
血圧を測るために腕まくりする
すると腕に張りがないことに気づく
明らかに若い時と違う(そしてがっくりする)
今はお風呂に入っても腕は水を弾かない

若い時は、三島由紀夫が認めたくなかった老いを
いつか自分も迎えることになるのが嫌な気分だった
でも今、眼の前にあるのは歴然とした事実

昔はズボンは腰回りの大きさでサイズを決めなかった
サッカー部で脚が異様に太くなっていて
腰周りはスカスカでも、足の部分がパンパンだった
でもそれは若さの勢いとか発露のようでなんか自慢できそうだった

仕方ない
生き続けているということはこういうことだ
目もショボショボしてるし、腰は痛いし、
歩くスピードも少しづつ遅くなっている
記憶力は衰えたし、気力も集中力も低下している

でも、まだ何かを知りたいという気があることだけは
褒められる事かもしれない
ということで、現実はちょいと情けない状態だ


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意外なことに、彼女は覚えていた

2025年05月07日 09時03分12秒 | ダイアリー

連休も終了して、今日から子どもたち(小学生たち)は普通の毎日に戻る
日曜日休みのあとも子どもたちの心が安定してないようで
月曜日と木曜日を比べると(小学校の校門までの付き添いでは)
月曜日の方が機嫌が悪い

これが連休の後といえば尚更のことで
今5年生のAちゃんが1年生の時、連休前までは楽しそうに
小学校に行っていたのに休み明けになると
「学校に行きたくない」と涙を流し始めたことがあった

駄々をこねる感じで、玄関から一歩前に進むことができないでいた
お母さんが「行きなさい」と言ってもお母さんの手を持って動かない

みんなが集まって登校時刻になると、お母さんが
「さあ、おじさんに手を繋いでもらって行きなさい」
と送り出されて、Aちゃんは泣きべそをかきながら踏み出した

この日から約1年ちょっと、Aちゃんと手を繋いで登校することになった
まるで当然の権利のように手を繋ぐ
冬は特に温かい手がお気に入りのようで、こちらも何か守っている
という実感があって、心地よいものだった

あまり長いこと手を繋いでいくのは良くないかな!
と判断して(Aちゃんも)そのうち手はつなぐことはなくなった
今は一番低学年のIちゃんが冬に袖の中に手を突っ込んでくる
(そのうち、Iちゃんもこれは卒業するだろう)

こどもの日の午後、家の前でお父さんと2歳の妹をあやしていた
Aちゃんを見かけた
近寄って妹さんを「かわいい」と抱っこしようとする
Aちゃんも妹さんもお父さんもそれに抵抗感はなかった
「うわー、Aちゃんに似てる」と声が出たら
「みんなそっくり!」とお父さんの声(女の子3人姉妹なので)

「この子もそのうち、みんなで小学校に行く様子を見て楽しそうだな
 一緒に行きたいな!と思うようになるんでしょうね」
「でも、Aちゃんが1年の時、ゴールデンウィーク明けは学校に行きたくない
 と泣いたことがあるんですよ」
お父さんは初めて聞いた話のようだった
「Aちゃん、覚えてる?」と聞くと
「うん、なんだか泣いていたのを覚えている」

もう、すっかり忘れているものだ!
と思っていたので少し驚いた
そうか、覚えているのか、、でもそのうち忘れてしまうだろうな!
自分は1年の頃の記憶は全く無いので、そんなものだろうと想像する

記憶はどのように心に保存されるのだろう
例えすっかり忘れられてしまっても、どこかに幸せだった記憶が残っていれば
その人はきっと良い時間を過ごすことができる
いつもこんな風に思う
それは事実というよりも希望だが、それは間違いのないとも思っている

それにしても、覚えていたのか、、、
驚きと、どこかほんわかした気分になれたのは不思議


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少しづつ実行しているカテゴリー(テーマ)移動

2025年05月06日 09時33分03秒 | ダイアリー

19年続けてきたGooブログ
11月のサービス終了に備えてデータはアメブロに引っ越した
こちら(GOOブログ)にも固定読者がいるので(有り難いことだ)
サービスが終わるまで同じものを両者に投稿しようと思っている

データの引っ越しは問題ないが、困ったことはある
それは引っ越し先はカテゴリー(テーマ)が全部ブログという括りで
処理されていることだ
音楽のことも、日記も、サッカーも、ポールマッカートニーも
旅行も、市政のことも全部ブログとして分類されている

ブログなどは読んだらお終いの世界ではあるけれど
せっかく分野ごとに投稿してきたものだから
それが全く反映されていないとなると、どこか残念だ

ということで、現在はチマチマと記事を適切なカテゴリー(テーマ)
に移す作業をしている
記事の編集を選んで、一番下のテーマを「ブログ」から自分が作成した
カテゴリー(テーマ)に変更して、投稿を行うとGOOブログと同じ
括り方でまとめられる
面倒くさいが機械的に行うだけなので頭は使わない
毎日、ネタを考えて無理やり投稿するほうが難しい

時々、テーマすらも与えられているほうが精神的には楽かなとも思う
バッハは多作だったが、その大半は依頼された仕事としてこなした
(カンタータなど)
偉いなと思うのはベートヴェンで、確かに依頼された曲もあるが
内的な衝動に突き動かされて創作している
ブログの例に置き換えると頼まれたテーマのブログではなく
勝手に自身のテーマに沿って創作し、それを商品化しているようなものだ

これらの投稿はボケ防止が目的の一つだが、
昔の投稿のカテゴリー変更の作業をしていると
昔はとんでも長い分量の投稿がそれなりにあったことに改めて驚く
今もダラダラと長いことは否定しないが
昔のほうがツッコミ具合の濃密さがあったような気がする
でも仕方ない、年齢を重ねるということはそういう変化を伴うということだ









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