パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

何故と思わないのだろうか?(焼き肉と支持率のこと〉

2020年08月31日 08時20分00秒 | あれこれ考えること

安倍さんが辞任を表明して、マスコミ各社は次の総理が誰になるかを
競う間柄の割には同じような情報を提供している
東京にいてこの報道を目にしたり耳にするのと、田舎のこの地区で
見聞きするのとはリアリティが全く違うが、わずかな情報の中で
田舎者の思うことといえば、、、

安倍さんがマスコミの重鎮たちと会食をして、メディアの姿勢として
それはどうなんだ!との声があがっていた
イギリスでは全く考えられない状況らしい
同じ釜の飯を食うと、仲間には優しくなってしまいそうなのはありそうなことで
その職業とか立場にいる人は基本的にはストイックに自分を律するべきと思うが
みんなで渡れば怖くない、、を地で行くようなマスコミの姿はちょいと情けない

安倍さんの動向は流石によく報じられていた
マスコミに限らず、誰と誰とあって食事をしたとか、、
そこで実感したのは彼は「焼き肉」が好きなんだろうな、、ということ
焼き肉以外にも食べていただろうが、記憶に残っているのは「焼き肉」
とにかくこのメニューはよく目にした
だが、安倍さんの辞任に至る原因となったのは潰瘍性大腸炎
一般的にこの病気には焼き肉のような脂肪が多いものは良くないとされている
普段から健康に気を配っているのなら、この頻度の焼き肉は少し違和感を覚える

これはあるメディアも気づいたようで、焼き肉を食べまくる安倍さんは
本当に潰瘍性大腸炎なのかとの疑問も呈している
(でもこの報道は絶対大きくは取り扱われない、きっと)

総理大臣の健康については国家秘密だから、野党が要求するように総理自ら自分の
健康について話すのは国にとって利のあることではない、、と政府関係者とか
安倍さん応援団は口にする
しかし、この安倍さんの健康不安説をマスコミにひっそりと伝えたのは
どうやら政権に近い人だったらしい
これが本当ならば、何がなんだかわからなくなる

そして、もしかしてメディアは良いように利用されているのではないのか
との不安も覚えてしまう
安倍さんの時代の総括はいずれ行われるだろうが、明らかに異常なのはメディアとの関係だと思う
上に挙げたマスコミ幹部との会食や、一気に順位を下げた報道の自由度の世界ランク
また原稿を読むだけの記者会見、それに先日取り上げた極端に偏った雑誌の存在

こうしたことに不安を覚えるので、「太平洋戦争と新聞」「戦争と新聞」などの本を読んで
メディアの先の戦争への関わり合いを調べるようにもなった
すると、メディア自身が戦争への気持ちの醸成にも加担したことがわかった
もちろん腹をくくって、戦争反対を唱えた人やあるべき姿を人として訴えた言論人はいた
だが結果的にメディアは戦争ストップの役割を果たさなかった

過去の反省を踏まえるならば、メディアはどうあるべきかはメディアの業界の人々が
真剣に自問するのが必要と思われるが、何故かそうはなっていない

メディアは「どうして何故?」と思わないだろうと感じることがある
メディアの調査によれば、森友・加計学園、サクラ(その他いろいろ)についての
安倍さんの説明は不十分であると考える人が圧倒的に多いと報告されている
だが内閣支持率は、その数字を全く反映していない
この結果に「何故そういうことになるのか?」
と思わないのだろうか
思ったとして、納得できる説明や解釈ができるのだろうか
個別に反対な不満があっても現状のままが良い、、
と考えるのが日本人とでもいうのだろうか
仮にそうだとしたら、「菊と刀」とか「日本人とユダヤ人」のような
日本人論が今も新しく出てきて良さそうな気がするが、、

結局のところ、もしかして大衆は何も考えていない
しかし選挙権だけはある、、という状態になっているのではないか

とまあ、田舎にいても、ついつい愚痴りたくなることはどんどん出てくる
情けない、、、

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今頃、そんなことを言ってるのか(リコールについて)

2020年08月30日 08時33分37秒 | あれこれ考えること

リコールの話題の続き(手続きとか実態について)

先日、愛知県知事のリコールを訴えている高須克弥氏が「リコール運動の妨害だ」と
腹を立てて、該当者には法的措置も辞さないとの勇ましい狼煙を挙げたニュースを目にした

今頃、そんなことを言ってるのか、、
それが直ぐ様浮かんだ

リコールは署名を集めた後、その署名簿を選管に持ち込み、そこで正確な数の確定を行ってもらう
選挙人名簿と署名欄を照らし合わせて、確かに実在の人物が署名したものと確認する
ところが字が見にくかったり、消えかかったり、、判読し辛いものも出てくる
判読できないものは選管が無効の決断を下し、何か印を打つ(多分)
この選管の判断に疑いが持たれないために、署名簿縦覧期間というのがある
ある場所に署名簿を置いて、署名者に見てもらえるようにして、
自分が署名したにもかかわらず無効とされていたら文句を言うためだ
また、書いてもいない名前が何故か書かれていたりするのを見つけて無効を申請するためだ

この縦覧期間とか縦覧の目的は、こうした確認のためで
それ以外の目的には使ってはいけないとされている
当然のことながら署名簿の撮影やメモ取りなどは許されない
署名簿はその場所で見るだけで、署名簿を動かすことすらできないとされる
(選管の人も監視しているらしい)

ところが現実の世界ではそれは建前で、別の使い方をされる可能性がある
署名した人物の名前を覚えるためだけに、縦覧する人がいるのだ
署名人の名を覚えた人は、署名者に「署名したね!」と脅しのような声をかける
あるいはその前に、「名前がバレるよ!」と伝える
リコールは少しばかり対立を生んでしまう物騒なものだけに、署名者も覚悟がいる
その覚悟はできれば人のわからないところで発揮できると良い
それが、「縦覧期間という制度があって署名したのがバレるよ!」
と人々に伝えることは、穏やかな人々の行動にかなりのブレーキを掛けるきっかけとなる

日本各地で起きたリコール運動で、成功しなかった理由の多くは
「署名縦覧期間に誰が署名したのかわかる、、」
とのリコール反対派からの広報によるものだ
それはあまりにも多いので、ある意味「リコール潰しの定石」のようなものと言えるかもしれない

ということで、高須克弥氏が怒り奮闘している「署名がバレるよ」のおせっかいなSNS拡散は、
珍しいものでもなんでも無く、当然想像される範囲の中のことということ
それを想定しないまま、勢いだけで「大村さんリコール!」とやったのか、、と思えてしかたない

やはり、メディアの取り上げてもらうためだけに、彼はリコールを打ち上げたな!
という気持ちを強くした

※リコールについては、数年前しなくても良い体験をしたので、ちょいと気にかかっている

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あれらの雑誌の存在は?(安倍さんの時代の反映)

2020年08月29日 07時16分00秒 | あれこれ考えること

 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」
それではいかん!と思いながらも、ついついそうなってしまいそうだったのが
昨日首相辞任を発表した安倍さん
持病の潰瘍性大腸炎の再発でやむを得ずとの判断らしいが
数日前からの覇気が感じられない表情から、これは予想していた

「お疲れ様でした」
街頭インタビューではそのような声を多く集めていたのだろうか
極端な批判の声はなかった
各国の反応や声明も、当たり前の差し障りのない常識的なものが多かった

それらの言葉は「現時点」の制限付きで、大目に見ることはできる
しかし、政治は結果責任の言葉があるように、評価については
このあと徹底的な検証が必要と思われる

彼の勇ましい発言とは裏腹に、いつも違和感を感じていた
株価と求人倍率の好転を言われても実感としての豊かになっていく感覚はない
今になって景気の後退は2019年の秋にはじまっていた、、との報告がある

こうした統計数字の怪しさはいたるところで感じたが
何よりも決定的な不信感は国会での答弁だ
野党の質問に対して、キチンと答えていない、話を逸らす、時間を無駄に費やしている
野次を入れる
それらの姿はおよそ国会議員の資質を問われるものだった

国会を見れば人々の評価は変る、、、
それは市議会においても同様なことが言える
(しかし現実には国会も市議会も見る人は少ない)

彼の評価は後にキチンと検証されることを望むが
彼がもたらしたみっともない(と自分が考える)ものの一つに
先日も中日新聞の広告にあった「月間Hanada」とか「Will」などの雑誌だ
その広告では、安倍礼賛、安倍さんの政敵を批判、嫌韓・嫌中を煽る姿勢、
朝日新聞・野党を批判、また歴史修正主義を恥ずかしげもなく訴えていた
それらは見るに堪えないもので、それ故にこの時代を反映したものと
今後のために残しておこうか、、と思うほどのものだった

不思議なのは、あの2つの雑誌の広告が新聞の全5段を使っているということだ
書籍の広告料は他に比べてやすいと言われるが、それでも何百万部の新聞に
掲載するとなると、それなりに経費はかかる
東京の方では新聞広告にのみならず、電車の中吊り広告まで登場しているらしい
雑誌がものすごく売れていて広告費をカバーできるくらいならわかるが
あれらの雑誌は、書店でもそれほど売れている部類にはない(置いてある数も少ない)
いったい商売としての雑誌が、成立しているのか、、それが疑問で仕方ない
(費用はどこかから出ている?)

この極端な立場の雑誌やメディアが、おおっぴらに表に出てくるようになった
それが安倍さんの時代の1つの現象ではないか
かつてはひっそりと存在したものが、表舞台に羞恥心をすてて
人の感情を煽るようなかたちで存在する、、
それは何事も敵・見方を区別してしまう現代社会の一つの傾向の現れのようだ

ということで、安倍さん応援団のメディアのからいろいろ検証
ってのも必要を思うけど、、誰かするかな、、、





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早寝は夜中に目覚めてしまう

2020年08月28日 05時44分40秒 | 徒然なるままに

昨晩は蒸し暑かった
早寝のせいか、12時前に目が覚めた
眠りは最初の一眠りが肝心らしいが、あまり眠った感じはない
予報では夜中に雨とのことで、窓を締め切ったままだ
そのせいで蒸し暑いのか、、と二階の部屋の窓を開けにいく
下の部屋はすぐに閉められるので、ずっと開けたままだが
昨晩は風が入らない

団扇で煽ってみる
あまり効果はない
その蒸し暑さに心配になって手元のタブレットで雨雲の様子を見る
やばい、雨はこれからが本番のよう
開けた窓をまた締めにいく

やれやれ、困ったものだ
すると、昨日見た「旅するドイツ語」の録画のフレーズが頭に浮かんだ
「Gibt es hier einen Stadtplan?」
地図はありますか?の問だ
es gibt は、何々がある(存在する)の慣用句で、これはドイツに旅した時に
よく使ったので覚えている
だが、地図がドイツ語ではStadtplanとなっていることに、今更驚きを覚えた

Stadtは都市の意味で、Planは日本語でも使われるプランの意味だ
都市のプランが地図、、、
ドイツらしい、、とも思う
都市は計画的に行うもの、、
我が国の勢いに任せた都市の発展と比べて、随分と意志の存在を感じる

ぼんやりとそんなことを思っていると、まだ一眠りしなきゃもったいない
と、眠りにつこうとした
近くで寝てる人は、存在を確認できないほどの眠りっぷり

朝、窓から外を見ると地面が濡れている
気がつかなかったが雨は少し降ったようだ
これで庭の木の水やりはしなくて済む
でも、蒸し暑くなりそう
困ったものだ

 

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映画「エイト・デイズ・ア・ウィーク」

2020年08月27日 09時58分24秒 | 徒然なるままに

今では珍しくもないスタジアムでの数万人のライブも
当時は充分な性能のアンプも、警備も、経験もなくて大変だった
と納得したのは、録画しておいたNHKのプレミアムシネマの
「エイト・デイズ・ア・ウィーク」だった

このタイトルはビートルスの歌のそれで、映画の内容は
ビートルズの足跡を伝えるものだ
少しばかり見慣れた感のある集団ヒステリーのような熱狂も
公演場所のいたるところで、これでもかと見せつけられると
その熱量は今のタレントさんに熱狂するのとは少し違う気がする

それは今見ると確かに時代の変化が起きている、、と感じさせるような
訳のわからないエネルギーに満ちているように感じられる

ただ少し不思議なのは、絶叫しているのは若い女性だった
気を失っているのも女性だった
被写体として男よりは女の方を撮りたがるカメラマンの気持ちもわかるが
多分圧倒的に夢中になっているのは女性だったように見える

でも女性の方が感覚的・直感的に新しいもの・良いもの、世の中の変化を感じ取った、、
というのとは少し違う気もする
「いつブームの終わりが来るか?」
ビートルズへのこのような意地悪なインタビューにあるように
芸能記者も音楽関係者もそして女性たちも、
一種のタレントとしてのブームの真っ只中にいるのは感じていたようだ
そしてビートルズ自身もブームの中にいることを自覚して
いつかは終りが来るのは当然、、とか、
若者の自信過剰なイケイケの終わりはない、、みたいな自負心も感じられた

映像を見ると、絶叫する女性は音楽を聞いていない、、
でも4人の若者は、まだ自分たちがみんなの前で演奏すること
そしてお金が入ってくることが嬉しくて仕方ない、、、

でも働きすぎるとストレスが発生する
彼らはオーバーワークと音楽を聞いていない人々に次第に嫌気を覚える
彼らはエンタテイナーというよりは何よりもミュージシャンだった

彼らの音楽的な進歩は、ポップミュージックの域を超えて
クラシックの作曲家の成長過程を見るような事になった
でも、それ故に彼らを支持し続けた人は熱狂した人ほど多くないかもしれない

時代を経てあの映像を見ると、音楽的なブームというより社会的なムーブメント
のような気がしてくる(今になって気づいた?)

そこで、あの映画で、今笑えるのは、日本に来たときのこと
ハッピを着て飛行機から降りてくるシーンは何度も見ているが
その他に右翼がビートルズが来日・演奏にことさら反対していたシーンがあった
彼らは一体何に反対していたのか?
音楽に?外国人ということに?それとも彼らの突破力に?

でももしかしたら、彼らは肌感覚として、
今までとは違うなにか大きな変化を起こすエネルギーを感じていたのかもしれない
(それに対する恐怖感に対抗したのか?)

それにしても、老いも若きも右も左も、あの訳もわからない熱狂の時代を見てきた身には
現代は熱狂のない時代、、とするキエルケゴールの言い分が少しわかる気がする

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見るのが少ししんどくなってきた「半沢直樹」

2020年08月26日 08時23分16秒 | あれこれ考えること

あまりテレビは見ないが、話題のドラマ「半沢直樹」を見ている
流行に遅れてはいけない!などの気はサラサラない
ただリタイアして身で、現役だったらどう感じるか?
を確認するために見ているようなものだ

このドラマをみて驚くのは出演者の「顔芸」
ドアップで映される顔の表情は、それぞれのタレントさんの演技に煽られて
負けじと演じているようで、それが大げさすぎるとしても、面白い見ものだ

あと感心するのは、一時間と決められた時間の中で起承転結を全うしていること
当たり前といえばそれまでだが、そうした制限のなかでこなしていく
総合的な力は、プロの仕事ぶりだな、、、と思ったりする

ところが、数回見ていて、段々見るのがしんどくなってきた
顔芸はそれなりに楽しめるとしても、その内容があまりにも勧善懲悪的すぎて
あるいは対立軸がはっきりしすぎて、そして主人公の行動があまりにも
立場を超えた正義感を訴えすぎて、、、
エンタメドラマだから、どうのこうのいう事自体が場違いかもしれないが
こうまで真正面からある見方による正義感を訴えて、そのカタルシスを
見せつけられると、、、なんだか、少し引きたくなってしまった

善と悪の対立
その方がわかりやすいので、シンプルに単純化する
世の中は今のアメリカの大統領選の批判合戦をはじめとして
このような傾向が進みつつある
残念ながら我市の出来事もこの区分法で進められているのも事実だ

つくづく人は人を攻撃する時は情け容赦ないものだと思う
攻撃によってハイな気分になって「倍返し」をするのは
そういう気持ちはわからないではないが、
ちょいといただけないな、、とも思ったりする

 

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スイカとかき氷の思い出

2020年08月25日 08時25分46秒 | 徒然なるままに

夏の食べ物といえば、無条件に思い出すのがスイカとかき氷
この2つはマドレーヌを食べた人が昔を思い出すように
自分も決まってあるシーンを思い出す

子どもの頃の夏休みの一日、自分たち兄弟は昼寝をした
その時間はうるさい子どもたちが音無しの構えなので
母は唯一ホッとできる時間だったかもしれない
頬に畳のあとを残して目覚めた僕らを待っていたのはスイカだった
当然の権利のように自分たちは縁側に座って、スイカを食べた
そしてその種を遠くに飛ばす競争をした
このような風景は先日中日新聞の投書欄でも紹介されていたが
どこでも見られた風景で、我が家も例外ではなかった

かき氷は友達と川に遊びに行った帰りに寄った店を思い出す
センジもイチゴも1杯10円で
イチゴは舌を真っ赤にしながら、頭が痛くなる、、などと言いながら
食べたものだった
そして今は無くなってしまったその店だが、記憶の中では薄暗い部屋のなかで
食べているシーンだけは妙なリアリティを持って現れる

先日、この地区でかき氷で有名な店に行った
注文したのはこの店オリジナルのメニュー

当然のことながら10円どころではない

かき氷も高いものになってしまったな、、、
最近はどこに行ってもそう思う
単価の安い商品では商売はやっていけないのはわかるが
昔の10円の気楽さは、今の子どもたちにとっても必要な気がする

ところでこのかき氷の評価は、、、
可もなく不可もなし
ただ最後の方は多すぎてちょいとつらかったな、、という感じ
そういえばこれが今年初めてのかき氷だった

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リコールについて(騒ぐのが目的ではないか)

2020年08月24日 09時02分47秒 | あれこれ考えること

愛知県知事、大村さんに対してのリコールが高須克弥・河村名古屋市長等の
呼びかけによって行わるとのニュースが一部で話題になっている
リコールの原因は例のトリエンナーレの「表現の不自由展」の内容と
その補助金を名古屋市が一旦認可したものの支払いをストップしたために
大村知事が名古屋市に対して支払うよう起こした裁判にあるらしい

この是非は一旦横において、現実のリコール運動の大変さを考えると
リコール運動を経験した身にとっては、このリコール騒ぎは
「騒ぐのが目的」の行動のように思えてならない

リコールはリコール賛同者の署名を集めなければならない
具体的には、賛同者の自筆で氏名・生年月日・住所を書いて捺印されたものを
集めるのだが、それは郵送とか署名用紙を適当に配って署名してもらうのではない
面倒くさいことに、署名集めの人(受任者と言われる)が、リコールの趣旨を書いた用紙を
一番表にして、その下に署名欄用の用紙を閉じた状態で、賛同者に書いてもらわなければならない
そして受任者は受任者としての登録が必要となる
署名は受任者しか集められない

ところで愛知県の選挙権を有する者の数から計算すると、リコールの必要署名数は
103万人にあたるらしい
103万人の署名を集める作業がなされない限りリコールは成立しない
だが、これが現実的か、、を考えてみると、まずは署名集めのできる受任者が
相当数必要になってくる
この受任者が一人でどれだけ署名を集めてくれるかは、受任者によるが
「解職」という気軽に判断できないテーマだけに、それほど署名数が増えるとは思えない
(自分たちが行動した市長リコールの経験からすると、
一人で300筆を集めた受任者がいれば2.3筆の受任者がいて、
平均すると15筆くらいで、最頻値は1から10くらいだったと思う)

つまりはいざ行動を起こすとなると、気持ちの高ぶりとか勢いだけでは
なんともならない現実が目の前に現れる

今回のリコール運動を想像すると、運動推進者は
本当にリコールの実現を想定したのか疑問に思えてしまうのは
こうした現実があるからだ

そこで想像するのが「このリコール運動は騒ぐのが目的」ということだ
大村さんと河村さんの対立、それに高須克弥氏も加わって
メディアが面白おかしく取り上げるだけなら、登場人物には事足りる

リコールという少しばかりセンセーショナルな言葉とか出来事
それだけで話題としてしまいそうな一部のメディア
それらは、本質的な問題提起というよりは現代にありがちな
対立軸を作って煽っているだけのように思えてしまう
(話題は消耗品としてしか価値がない)

ただ仮に巷で言われるネトウヨと呼ばれる集団が
現実の世界においても想像以上に足を使って行動し
それなりの数字を挙げてしまうとしたら、今度は別の視点で
問題は多いかもしれない

でも、正直なところ、いい大人が軽薄な行動をしてる
としか思えない

 

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タオルケット

2020年08月23日 08時42分17秒 | 徒然なるままに

初めてタオルケットを使った
日が昇るより少し前、一階の寝ている畳の部屋にひんやりと涼しい風がやってきた
涼しいよりも寒いとも感じて、置きっぱなしのタオルケットを無意識に探す
手元に引き寄せると、まずはお腹にかける
まだ脚の部分が冷やっこい
それで畳んだタオルケットを広げて脚まで掛ける
気持ちいい、、これで二度寝ができそう!
とぼんやりとした頭で思う

昨日の夕方の一瞬の雨のあと、辺りの空気は冷たくなった
打ち水の気化熱を奪う気温低下どころではなく、周りの空気全体が
ひんやりして、明らかにどこかから冷たい空気が大量に押し寄せている感じ

やっとだ
あの馬鹿暑い地獄から逃れられそうなのが、、
顔を洗いながら朝の爽やかな感じを味わう

温度計を見るといつもより3℃ほど低い数字を示している
3℃違うだけでこれだけ違うのか
数字と体感がどこか繋がっていない気もする
新城市は(その場所はどこかわからないが)先日37.6℃を記録した
浜松市の41.1℃とは3.5℃違う
この気温差は体感としてどのくらい違うのだろうと想像してみるが
ちょっとゾッとする

2012年の夏、五山の送り火を見に行った
翌日、久しぶりに金閣寺にでかけたが、今でも強烈に覚えているのは
京都のまるでサウナの中にいるような暑さ
いやそれしか覚えていないと言っていいくらいだ
大好きな京都だが、夏はもう来ないようにしよう、、
そう思ってしまうほど、金輪際味わいたくない体験だった
(もう一つ覚えているのは錦市場の杵つき餅屋で食べた黒蜜のかき氷が
 猛烈の美味しかったこと)

二階のこの部屋も、今はまだあまり暑くない
でも、、、昨日も今朝も、虫の声は聞こえなかった
いつもなら聞こえてくるはずなのに、、、(多分)

今朝の庭の木の水やりはパスした
午前中、天気の急変で雨があるかも、、との予報で
偉い人がしなくて良いと許可してくれたから

さて今日の最高気温はどのくらいになることやら

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一つ一つを確かめるということ

2020年08月22日 08時12分28秒 | あれこれ考えること

先日の住民監査請求の結果について、少し気になった点を

まずは新東名経由の高速バスの運行可能なのは現実的に豊鉄バスしかない、、と判断されたところだが
その根拠として監査請求の回答書には
「道路運送法第21条の実証実験運行を同法第4条の一般乗合旅客運送へ事業化するためには、
当該事業として運行できる要件を満たしている事業所は豊鉄バス株式会社しかなく」とある

そこで道路運送法4条を調べてみると、
路線定期運行を行うものは以下の事項の記載が必要とある

一 路線に関する次に掲げる事項
イ 起点及び終点の地名及び地番
ロ キロ程
ハ 主たる経過地
二 主たる事務所及び営業所の名称及び位置
三 営業所ごとに配置する事業用自動車の数並びにその常用車及び予備車別の数並びにこれらのうち乗車定員十一人未満の事業用自動車の数
四 自動車車庫の位置及び収容能力
五 各路線に配置する事業用自動車のうち、長さ、幅、高さ又は車両総重量が最大であるものの当該長さ、幅、高さ又は重量
六 停留所の名称及び位置並びに停留所間のキロ程

なるほど、この程度の基礎的なものは必要だろうとは想像できる
しかし、
「新城市内に営業所を有し、運行路線の起点及び終点に運転手の休憩できる場所を確保でき、
高速バス運行に関し十分な実績を有している豊鉄バス株式会社以外にない」
とする回答書の休憩所などという言葉は、4条には出てこない

ただ、こうした条文には書かれていなくても
実際に国土交通省に提出する書類には、より細かな記述が要求されることは、あるかもしれない
それは運用規則とか、別紙とかの類で指定されているのかもしれない

ダラダラと面倒なことを書いているが、いいたいことは
お上は、地方自治法の何条とか道路運送法の何条とかを取り上げて
説明したつもりでも、素人はそれらを聞いただけで面倒なので
無条件に信じてはいけないのではないか、、という点
(わざわざ調べる人などいないので、こう言っておけばやり過ごせる!思ったりして?)

大概の場合、なになにの何条、何項、、ときいただけで思考停止してしまう
でも物事の本質を理解するには、まずはその思考停止をやめて、
疑ってる場合は特に、、根本を調べてみることも必要と思われる

今回の場合、他にも何条、何項が本当かな、、と思うものに
「地方自治法施行令第167条の2第1項第2号の規定に基づき豊鉄バス株式会社と1者随意契約としたもの」
との回答があるが、
この「地方自治法施行令第167条の2第1項第2号」というのがいったいどういった内容かが気になる
これはどうやら随意契約する場合の条件を挙げているようだが、いくつか例が挙げられているなかの
どれに該当する、、と判断したのだろう(競争入札に適しない?)

とは言うものの、現実の過疎化の進む地域、そこに存在する企業、実績、いい意味での持ちつ持たれつの関係
それらは、緩いところでの関係もお互いのために必要なのかもしれない
正直なところ、このくらいの判断となると多方面に及んでくる部分が多いので、原則論だけで理解して良いのか
どうかは悩ましい

ただ税金を使っていることなので、キチンと説明できるようにはしてほしいと思う

まとまらなかったが、
今日のテーマは、何条・何項と言われた時点で思考停止はやめて
とりあえず、何条・何項が何を意図しているか、、を
調べてみるのも必要かもしれないということ、、

(でも市民がすることじゃない、、とは思うが)
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