パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

キャプテンの存在

2008年11月30日 21時45分20秒 | サッカー
今年のJリーグも残すところあと1試合
アントラーズが1歩抜け出しているが
昨日のアントラーズの試合を見る限り、以前のような、というか
優勝の資格のあるゲームをしているとは言いがたい
しかし、ロスタイムでの決勝点は流石にしぶとい
ただあそこの場所、時間でジュビロの駒野の
押して倒すようなファウルはいただけないプレーだった
確かにアントラーズは一番の勝ち点をとっているが
どうも何かが欠ける

何かが欠けると言えば今日のグランパスの対コンサドーレ戦
開始早々に得点、追加点と流れをつくったにもかかわらず
得点チャンスを杉本、マギヌンと外して徐々にペースがおかしくなった
後半はただ時間の経過を待っているような
今ひとつ方向性がわからない芯のないような試合運びだった
この手のながれはチームに確固たる存在の人間がいない時に起きやすい

ただ上手いだけではダメ
精神的に強く仲間を鼓舞するような
リーダーシップにあふれた人間が真に強いチームには必要だ
できればキャプテンはゴールキーパー以外がいい
どうも名古屋地区とか(?)日本には真のリーダー、
キャプテンぽい人材に欠けるみたいに思えてならない

それは日本人はなぜシュートをうたないか?
に通じるような問題でもありそうだ

たまたま今日は朝から昼にかけて小学生の公式戦(トーナメント)があった
幸い我がチームが決勝戦に残り
その決勝戦の前にメンバーに言ったのが
「今度は今までみたいに楽に勝つことはできないどころか
 苦戦すると思う。いい、一番現実的な方法はみんなで声を出すこと!
 かけ声をかけて声を合わせていけば気持ちが一つになって
 緊張感が持続して簡単にはやられないようになるから」

しかし、田舎のこのチームはみんなおとなしい
だが厳しい決勝戦も運良くPKをもらい1点リードで後半に
流れは追いかける方に行きかけたので
「みんな声をかけろ!声を合わせろ!」
と言ったが、いったい誰が言い出すのだろうか?と
子供たちはモタモタしている
ちゃんとその役割を果たす人を決めていないと自発的にはできないみたいようだ

だがほんのひと時だけ「ゴールキックカット」
と今日のMVPの子が声を出すと、みんな
「ゴールキックカット」と声が出た
そこから数分間は押され気味の流れがこちらになり
やはりかけ声の声の効果は大きいと思ったのだが
また押され気味の展開に

どうも彼らは声を出せないのではなく
声を出すのをためらっているようだ
自分が出しては出しゃばりすぎると遠慮しているみたいに

この我がチームとグランパス どこか似ている
真のリーダー、キャプテンが不在と言う点で!
(たまたま我がチームには技術的にはきわめて能力の高い子がいるけれど
 残念なことにおとなしすぎる)

負けん気が強い
負けず嫌い
困難な時に献身的に頑張れる
みんなを鼓舞する
こんな人物がいる時は、自分の経験からも
結構強いチームを作ることができた

キャプテンは必ずしも一番上手い子がなるのではなく
やはりそういった資質の人物がなるのがいいだろう
しかし、子供の世界では出しゃばるのはいやがるのかな?
もっとも、そんなことも気にしないくらいの子がいいのかもしれない

平均点ばかりよりも、たくましい子供たち
多少の衝突はあっても大人の男の戦う集団みたいなグランパス
そんなのが今望むこと、かな



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案外聞いている

2008年11月28日 06時02分15秒 | サッカー
少年サッカー1.2年生 別の子の話

その子の特徴はドリブル
といっても相手を抜いて一目散にゴールに向かう
というのではなくて、とにかくボールをとられない
相手がきても上手い具合にボールを保持し
さほどスピードはないものの試合では
それなりの存在感を示す

ところがその自慢のドリブルを試合中邪魔されたり
獲られたり
競り合ったボールを相手にどうでもいい方向に
蹴られた時などは
すぐに地面に座り込んでくさってしまう

「こら!すねるな」
と言っても言葉は耳を素通りする

そこで
「いい、相手は君の邪魔をしようとしてるんだよ
 それで君が上手くいかなかったとしたら
 この勝負は君の負けになっちゃうよ
 だから腐るな」

なんだか少しは分かったみたい

先日試合の始まる前にその子に
「いい!ボールをとられても腐っちゃだめだよ
 相手は」
「邪魔をしようとしてる、でしょ」

正直これには少しばかり驚いた
子供たちは覚えるも天才的だが
忘れるのも半端じゃない
それでそんなに期待していなかったのだが
案外しっかり理解している

実際彼は試合中我慢強くなったようだ
ただしボールをとられないから
疲れる疲れる
だから今度は、くたくたで座り込んでしまう

こちらは今度は許してあげることにする
ご苦労さん
スタミナつけてこれからも頑張ろう
と思いながら、、
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なんだか楽しかった!

2008年11月27日 22時31分04秒 | サッカー
毎週末の少年サッカー(1.2年)
みんながみんなサッカーが好きで一生懸命練習に取り組む
という訳ではない

どちらかと言えばマイペースで、
気が向いたらちょっとだけ真剣にやって、あとは
のんびりと時間を費やしている子がいる

この子はやる気になればスピードもありそうだし
いろんなプレーの格好、バランスがいいので
その気になれば上手くなりそうで
自分の能力に気づいてほしいと思うのだが
本人はいたって欲もなく、おおらかな、ぽわーんとした
雰囲気を辺りに醸し出し、それがこのグループの
潤滑油みたいになっている

つまりそれほど真剣ではないのだが不思議と彼は練習の出席率がいい
親御さんが行け!と強制している風でもなし
となると彼なりに楽しんでいるのだろうか?

そこで思い出したのが
もう何年も前にこのサッカースクールを卒業した子に(もう成人していい大人だが)
「どうしてサッカースクールに真面目に来た?」
と問いを発したことがあったときの答
「なんだか楽しかった」

実はこの答えは彼だけではなくもう少しあとに卒業した
それこそサッカー狂いのような子も同じように
「なんだか楽しかった」
と答えたのだった

気の合う仲間がいたから?
大好きなサッカーが思う存分できたから?
それとももっと別の理由?

どちらにしても、我々にはわからないけれど
何か楽しいことがあったようだ

決して甘やかしている訳ではない
ただ彼らの見えない隠れた力を見つけ出そうとして
それらが垣間見えた時、それを認めて
ほめるという形で激励する
そんなことを自分は繰り返しているつもりだけれど
この「人に認められる!」ということが嬉しいのだろうか
もっともほめられるのが嫌いな人はいないだろうが

理由はなんであれ子供たちが楽しくサッカーをして
その経験を次の世代にも伝えていってもらえたら
我々の通信簿は合格点!ということになるのではないだろうか

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アダム・スミス

2008年11月25日 22時20分16秒 | 
今年読んだ本の中で面白かったのが
(刺激を受け知的な興奮を得られたのが)
超訳「資本論」

それに続きそうなのが今読みかけの
中公新書の「アダム・スミス」 瞠目卓生著

世の中には物事をまとめたり、
説明するのが上手な人がいるものだ
超訳「資本論」も「アダム・スミス」も
本当に分かりやすい(残念ながらすぐ忘れてしまうが)
説明が上手いということはそれだけ内容を
把握していることだろう

それにしてもアダム・スミス
名前や「国富論」は聞いたことがあったが
それだけでいったいどんな考え方をするのかは
全然知らなかった
ところが「道徳感情論」を極めて明確に紹介されて
これはなかなか凄い本だ!と思うにいたった

この人は現実の人の心をじっくりと観察し
いい面ばかりでなく悪い部分も
(そういうことはあるものだと)
まるで韓非子並に現実的な理解の仕方をしている

それはきれいごとを並べがちなこの国の
教養書よりも、リアルな人間像を思い浮かべさせる

人が出世したりお金を多く持ちたいのは
それを使うためではなく
根本的なところは人に認められたいからで
この考え方にいたる心情のこの本の説明などは
無理なく心に入ってくる

時々、日本は結局ヨーロッパには勝てないかな
と思うことがある
ヨーロッパ人の徹底的な思索、客観的な捉え方などは
言葉の意味を知って理解したような気になりがちな
日本の傾向とは大きく異なる

知ったところでなんになる!だけれども、
この徹底的な思索はいつか役に立つところがあるようで
この部分で彼らの深さに負けてしまいそうだ

結局日本人は季節のあわれを感じやすい
感傷的な部分に突出しているのかもしれない

またまた例のごとく話が逸れてしまったが
アダム・スミス
まだ半分しか読んでいないが
後半が楽しみで、ワクワクしてもったいなくて
わざとゆっくりしようとしている自分がいる
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手強い子供たち

2008年11月24日 18時47分02秒 | サッカー
やっぱり終わる頃には喉が痛くなった
3週間ぶりの少年サッカー練習(1.2年生担当)
これだけ間が空くと、寂しい気がしていて
時には次ぎはどんな練習をしようかなどと考えたりして
楽しみにしていたが、今日実際に彼らと対面すると
なかなかどうして予想していた通りには行かない

まずは最初の数分間はいいものの
すぐに緊張感が途切れて自分の世界に入ってしまう
次の練習メニューを説明するにも
子供たちは友達同士で話し合ってこちらの話を聞かない
流石に2年生はそんなことはないけれど
問題は1年生、大きな声で
「話し止め!ちゃんと聞いて!コラッ、こっち向いて」
と言ってもあまり怖くないのか、相変わらずの様子

今度は怖い顔をして、敢えて黙りを決めこんんでいたら
割合効果があったようで、2年生がいつもと違うこちらの様子を
察知して1年生や話ばかりしている子供に注意して
いったん静かになった

そんなこんなで1時間はなんとかできたようだけれど
それを少し越えたあたりから
わがままの度合いが強くなった
こちらの予定では、低学年には蹴りにくい
インサイドキックの練習をしようと思ったのだが
こうやってやりなさいと言ったものの
もう彼らの忍耐の限界時間なのか2年生でも蹴るには蹴るものの
思い切って蹴るだけで練習の意図を把握していない

うーーん。これでは上手くならん!
と少しばかり頭にきてしまうが
ねえ、試合やる?と聞いてくるところをみると
そろそろ限界かな?

ということで仕方ない、最上の練習の一つである試合を行うことにした
チーム分けは4チーム
2年生を主体にした活発なチームを2チーム
それにまだまだ1年生というチームを2チーム
活発なチームはほっておいても、それなりにみんな必死にやるので
問題はないのだが、困るのが1年生チーム

試合というのにボールに触るのが面倒と言うか
ゴール近くにいてばかりで攻撃に行かない
そんなことを見越してこちらはゴールが簡単に入らない
カラーコーンに当てると1点と言うルールにしているが
それでも活発にという訳にはならない

なんでかな
ちょっと自信がないから試合に参加したくない?
走り回ると疲れてしまうのでいや?
点を取られるのがいや?
彼らの理由はこんなところ

ここでよく見なければ行けないのが
自信がないから試合に積極的に参加しないというタイプ
こうした子は本当に上手でないというよりは
自分で自分の力を知らずにいて、ただ単に引っ込み思案でいるだけのことが多い
特にこのくらいの学年ではやる気だけで何とかなってしまう
今日も普通の練習では今イチの子が、試合ではやる気になって
1年のチームのMVPくらいの活躍をした
残念なのは本当は能力があるのにそれを発揮しない子
瞬間瞬間はとても格好のいい、スピード感あふれるプレーをするのだが
とても気まぐれで1分とそれが続かない

それでもなるべく自分は
彼ら一人一人の得意とするプレーを見つけようと注意して
それが出たときなどは、「うまい!そう!もう1回今みたいにやってみて」
声をかけることにしている
そんな時、ハッと気づく子もいるようで、そんな表情をした子は急にやる気が出て
3分間くらいは頑張れるようだ

子供たちはたいがいが負けず嫌い
試合でも流れが悪く点を入れられてばかりいるとカッカして
泣きそうになる子供がいる
この負けず嫌いはこちらとっては頼もしい限りだが
ほっておく訳にも行かず
「我慢我慢。1点取れば流れが変わるから、それまでは一生懸命
 プレーしなさい。なにをやっても上手く行かないことはある
 そのときは耐えるしかない。頑張れ」
そして流れが変わって点を取り出すようになると
「ね!本当だろう。流れが変わればちゃんと得点できるだろう」
とフォローしてサッカーにおける流れ、忍耐を実際の経験として
感じさせるようにしているのだが、、、

次の練習時にこれらのことが理解されているかと言えば
また前と同じ!
身に付いた!と思ったら翌週にはすっかり忘れられている
かといってまるっきり忘れられているかと思えば
覚えているようでもある

大人でもそうかもしれないが
子供たちは手強い!
でも今日も満足そうに終わったからいいとするか

頭の中で想像した子供たちはもう少しいい子たちばかりだったが
現実の子供たちは
うーーん、確かに様々な方向性をもった生きている人間たちだ

喉は痛かったけれど
やっぱり楽しかったかな

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ドラゴンボールとブルックナーの交響曲第8番

2008年11月23日 18時42分47秒 | Weblog
先日、何かの機会にアラレちゃん音頭を耳にして
懐かしーと思った刹那
あっけらかんとしてこの屈託のないギャグ漫画精神は
続く鳥山明氏のドラゴンボールにも
始めは引き継がれていたのに
いつの間に強さを求める、男の子の漫画にありがちな
物語に変わってしまったことを思い出した

それは編集部とか雑誌社の意向が働いてのことだが
それが商業ベースでは成功したものの
鳥山明氏の考えとどうだったのかな?と考えてみると、
不意に、書き直させられたブルックナーの8番の交響曲のことに思い至った

(ブルックナーは8番に限らず他の交響曲も友人、批評家などの意見を取り入れて
 改訂を行っているが)
あまり演奏されたり録音されたりすることのない
8番の交響曲の初稿版を聞いてみると
起承転結の、ハッキリしたドラマティックな改訂版と比べて(原典版と言われているが)
よりオルガンの響きが表に出て、唐突な神の賛美も定番的に現れ
自然への魂の沈潜も見られ、普段聞くものよりは
ただただ音の構造物を聞いたという感じが残る

この交響曲も一般受けするために書き直させられた(?)のだが
ブルックナーの本当の個性というのは初稿版にあるのではないのだろうか
確かにとりとめもなく、どこに行くかわからない
みたいなところがないではないが
それでも我慢して(?)音に身を任すと
これが結構心地よくなるのも事実だ

ドラゴンボールの始めの頃
ブルックナーの交響曲
それらは結局時代の要求を理解しているとされた第三者の
意見によって本来の個性とは違ったものを
(職人的な技で応えていくのだが)
作り出してしまった

どうせなら本人の思い通りのものも聞いたり見たりしたかった
売れなきゃ世に出ないし
聞きやすく理解しやすくなけりゃ演奏会に取り上げられないけれど
なんだか少し残念な気がする


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2点目が大きかった

2008年11月20日 05時36分49秒 | Weblog
日本3-0カタール

得点にはいろんな意味合いがある
単なる数字上の1点だけでなく
味方を鼓舞するもの、相手方の意欲を殺ぐもの、シュンとさせるものなど
ワールドカップ最終予選 対カタール戦
玉田の2点目はまさにこの後者の例だったようだ

割と早い時間帯の田中のシュート
らしさが出て緊迫した試合にふさわしい得点だった
この手の試合では割合出やすい良いプレーだった

しかし後半始まったばかりの玉田のきれいなシュート
これがゴソゴソとか、なんとなくの点だったら
カタールはまだ闘志を失わなかったかもしれない
だがあの見事なシュートは
野球では場外ホームラン的なショックを相手方に与えた
「勝つには時間がかかる」から
「勝てない」に
カタールのチーム全体の気持ちが変わったように感じられた

3点目はそのおまけみたいなもの
それにしても立ち上がりこそ少しばかり心配させたが
アウェーの状況が良い意方向に働いて
最後まで緊張が途切れず良いゲームだった

長谷部、さすがにドイツでレギュラーを確保しているだけのことがある
運動量、ボールの捌き、チェックなど
真面目で献身的なところは地味だけどすばらしかった

この試合、中村俊が後半少し消えていたが
それでもやっていける!と思えたのは
彼が怪我で出られなくなったときのことを思えば
よかったかもしれない
なにはさておき結果が全ての最終予選
まずはよかった、よかった

玉田、最高!
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なるほど

2008年11月18日 20時42分19秒 | Weblog
今日ラジオで耳にした言葉

若者は勇気がありすぎる
老人は知恵がありすぎる

何となく納得してしまう
確かに若者は何も知らないとこをいいことに
やってみなければわからないと
無鉄砲なことや無謀なことに踏み出しがちだし
老人は失うものが多すぎたり、経験から失敗を想定して
安全第一でなかなか一歩踏み出せない

これは場所、人種、時代に関係なくありそうなことかもしれない

ジークフリートが恐怖を知らず炎を乗り越えて
ブリュンヒルデの所まで行ったのは
無知の若さのなせる技

パルジファルも純粋な愚か者だからこそ
誘惑からも逃れられた

つまりは若いということは無知である
ことらしい
そして、それがある面、勇気という形になるのだろう

さてこのことを今の国々に置き換えると
アメリカは依然として若者の心情を持ち続け
ある面、無知が故の理想を掲げ
市場に任せるうんぬんの立場を取ろうとする

一方、欧州は人間の限界、醜さを過去の歴史から十分に学んだため
行き過ぎた資本主義や自由主義には疑問を持ち
何らかの規制も必要と考える人も少なくない

どちらが正しいなんてことは決められない
だが心情的に自分もそれなりの年齢でるせいか
無条件に人間の理性が(理想を求める心が)
すべてよい方向に押し進めるなどとは
とても思えない

バランス!
要はこれが大事なのだろうが
人間のすること、なかなか上手くいかない
困ったものだ

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雨のサッカー

2008年11月16日 19時18分07秒 | Weblog
今日も雨
これで今月は2週連続で少年サッカーの練習は中止

サッカーは雨でも行うスポーツだけれど
練習場の使用条件やら子供たちの体調の心配
(夏ならこのくらいなら涼しくてやってしまうが 
 寒くなってくると風邪の心配がある)
それから大人たちの気力の問題で
割合休みにしてしまうことが多い

雨のサッカー 
今の子供たちはやんちゃな
いたずら小僧の経験がなさそうなので
たまに雨の中で、しかも結構な降りの中で
やらせてみると妙に興奮するようだ

今年行った合宿も初日の昼から降ってきた
せっかくだから雨の中でサッカーの
経験もいいだろうとやらせてみると
我々の現役時代もそうだったけれど
いったんユニフォームが汚くなるまでは
おとなしい、よそ行きのプレーが続くけれど
いざ滑ってこけたりすると、もうそこからは
カッカして興奮状態、熱気がいつも以上に
感じられるようになった

あとで感想を聞いたりすると
ものすごく楽しかった!
と答える連中が多かった
たまには状況が許せば、雨のサッカー
経験させるのもいいものだ

しかし、今の季節は、、、
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もったいない

2008年11月15日 21時40分38秒 | Weblog
とられずに熟すままにされている柿
柿の木がある家庭はなんとも思わないのかもしれないが
ないほうから見れば羨ましい

そんな家は消毒もしないで
いわば無農薬の安心果物
しかし可愛そうに無関心にほったらかし

もったいないな
そういえば柿泥棒というのは聞かない
変なことにこのまま気づかずにいてくれればいいが
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