パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

どっと疲労感を覚えた「イスラエルのアイヒマン」

2017年10月29日 16時13分11秒 | 

MARUZENで購入したのが10月15日
読み終えたとは言えないまでも最後のページに達したのが
(とても理解したとはいえないが)
台風のせいで読書しかすることのない今日10月29日

「イスラエルのアイヒマン」 ハンナ・アーレントの問題作だ
最後まで来てどっと疲労感を覚える
それは集中して読んだからと言うのではなくて、そこにかかれている事実の重さ
やりきれなさ、怒り、悲しみ、絶望、そんなものが入り混じって感情を動かしたからだ
(途中で裁判が法的に正しいステップを踏むことが、本当に正しいことなのか、とさえ思ったこともある)
この本を読んでいる時何箇所かで気持ちが悪くなって吐き気を催した
人をモノのように扱い死体製造工場と化していく、それを淡々と進めていく気味悪さ
それだけではない、なにかもっと違う言いようのない不気味さ
これは最後にグサリとくることの多いフランス映画の後味の悪さみたいな
それでいてその映画を見たものは確かに一つの実体験をしたような気にさせるそんな体験に似ている 

この本は「悪の陳腐さ」と「思考停止」のことばを用いて解説されることが多い
だが有名になりすぎたこれらのことばよりも、自分のずっと興味を持っている問題
「上司の命令に従わなければならないか、、、」について、いろいろ考えるヒントとなることが多かった
(個人の判断について、またキリスト教がホロコーストに関して何もしなかったことについても) 

なんにしても、最後のページにたどり着いたばかり
どこか興奮気味で頭の中が整理できていない
(はたして時間をおいて整理できるか?)
とにかく、これだけは言えそうだ
読む前と読んだあとでは、人は全然違う人間になりそうだ

「全体主義の起源」(2)帝国主義も、100分de名著の要約ではなく
時間をかけて、それが故の実体験として読まなければならないような気になった
そして今なら読み終えられそうな気がしている 

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親の意見と冷酒と読書

2017年10月29日 08時38分29秒 | あれこれ考えること

ハリーポッターの作者、K.ローリングさんは、電車内でゲームではなく
このファンタジーあふれる小説を読んでいる人が多かったことをとても喜こんだという
それは自分の作品が売れているからではなくて、自らの想像力を駆使しなければ
何も楽しむことができない読書というものに触れる機会を与えられたからだそうだ

ハリー・ポッターがどんな男の子で、ハーマイオニーがどんなかわいい女の子かは
映画を見てしまうと固定されたイメージが出来上がるが、映画が作られる前は
それぞれ勝手に頭の中で思い浮かべるしかない
箒にまたがってへんてこなボール(羽根?)を追っかける奇妙なゲームも
具体的にはどんなのかよく分からなくても、ハラハラ・ドキドキするような気持ちになるのは
ひたすら勝手に浮かんでくる想像力のせいだ

話は変わって大変な読書家だったチャーチルは
読書する人が20年後のイギリスを作る、、、
みたいなことばを残したような記憶がある

欧米人と日本人の違いを考える時、結果が出るまでの時間の捉え方が随分違うと感じることがある
ケルンの大聖堂もバルセロナのサグラダファミリア教会も100年を超える建設期間で
人が生きている間には完成できないようなものでも、そんなもんだと受け入れている
大きな計画には時間がかかるものだと、、

またまた話は変わって、今も記憶に残っているのがドイツ人が日本の学校(多分小学校)を見学した時のこと
詰め込み教育、その時点で物知りで賢そうな子どもを育てる日本の教育を見たドイツ人は
素晴らしい子どもたちと賞賛した後、でもおとなになったらドイツがこの子達を追い抜くだろう
と自信を持って帰っていった
(子どものころには子ども時代にしか得られない経験とかものがあるはずで、それが将来の伸びしろに関係し
結果がわかっている大人が最初から答えを与えるべきではないと自分は解釈したが) 

今必要なこと、将来の伸びしろのために必要なこと
役に立つか立たないかわからないもの、、そうしたものに時間をかけられるか
一見役立たないと思われるようなことでも、いずれ役立つことになるという確信をもつ欧米の知識人
(アメリカにはこういう人は少なくなってしまったかもしれない)
読書は楽しみの一つに過ぎないかもしれないが、「親の意見と冷酒は後で効く」みたいなもので
実感として役に立ったと感じるには時間がかかるのだろう

ところで、チャーチル 読書 で検索するとこんなページが見つかった
「チャーチルの能力開発 賢人は歴史と経験に学ぶ」

この中から部分的に抜粋すると

なぜチャーチルはここまでの実績を残すことができたのでしょうか? 理由は多岐にわたりますが、ここでは彼の歴史観や大局観を指摘したいと思います。

チャーチルは「決断の人」であり、同時に「説得の人」でもありました。それを支えるには強烈な信念とビジョン、「善」の判断が必要です。これは一朝一夕に獲得できるものではありません。歴史を学び、考え、自分なりの経験や他者との議論と突き合わせてさらに考えるからこそ確固たる信念やビジョンが生まれるのです。

彼が恐ろしいまでの読書家であったことと、このことは無縁ではないでしょう。読書を通じて、本質を見極め、人間の本性を知り、何が善かを考えたからこそ、有事において彼の決断力が際立つことになったのです。また、若い頃から長きにわたって文章を編むことをルーチーンとしていたことも、彼の構想力や説得力に寄与したはずです。

結局「全人格」というものは時間をかけて作られる、もちろん仕事の上の経験は大きなウエイトを占める
しかし、実体験だけでなく、想像するという人に与えられた奇妙な力を、そしてそれでもって「善」を判断するように
ならないとしたら、人は危険な方向に進んいってしまわないか 

果たして安倍さんは、読書家か
全人格的な「善」の判断をし得る人物か
残念ながら不安の方が先に立ってしまう 
(発言にインテリジェンスとか教養を感じない) 

ところで、(またまた話は変わるが)先日の選挙の結果を踏まえて、思い出したことがある
プリンストン大学で行われた「新聞がなくなった都市に起きたこと」という調査の結果だ

地方紙が衰退・無くなっていったアメリカの話で
特徴的なのは新聞が無くなって明らかになったことは

●投票率がダウンした
●現職の再選率が圧倒的に高くなった
●市の財政状況が悪くなった
●首長・議員の報酬が高くなった

新聞が無くなって監視・批判機能、及び良質の情報の提供が
無くなったために起きたことだと解釈するらしい

これらは現実に自分の住むところでも見られる傾向で
本を読まなくなった人が増えて、新聞を読まなくなった人も増えて、(情報弱者になって)
オンリーワンの存在でありたいと言うものの、その孤独には耐えられず
結局は多くの中のひとりでいたいと感じる(と想像される)人たちばかりになって
口当たりの良い、あるいは過激なことばに酔い
想像によるあるべき未来の姿ではなく、直近の利益を求める気持ちが優先してしまう世界

これらは、人ってこんなもんだと仕方ないと思う反面、こればっかりでは困る
本を読むことによって勝手に身につく何か
それらに大いに期待したいが、、

親の意見と冷酒はあとで効く
読書もあとで効く(多分)

本好きの独り言、、、

 

 

 

 



 

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