パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

NHKスペシャル「未解決事件ファイル 下山事件」第一部を見て

2024年03月31日 08時45分23秒 | あれこれ考えること

ハマる人が多いとされる「下山事件」
1949年7月、初代国鉄総裁の下山定則氏が突然行方不明となり
翌日轢死体で発見された事件で、当初捜査一課の自殺説と
捜査二課の他殺説が、また死体解剖においても東大医学部と
慶應義塾大学医学部の解釈の違いがあった

他殺説を唱えるグループは死体に血液がなかったこと
轢かれた時の体の反応がなかったことから、轢かれる前に
死んでいたとする解釈
自殺説は死亡現場近くをトボトボと歩いていた下山氏を
見たとする証言が多いことから自殺と判断したようだ

この事件は妙なことが多くて、その中には不自然なほど
下山氏の目撃が多い(アリバイ作りの説がある)
また事件前には下山氏の死を暗示するような文書が見つかったとされている

森達也氏の「シモヤマケース」を読んで、自分もハマった人間だが
松本清張も日本の黒い霧の中で自説を展開している

この下山事件が昨日のNHKスペシャル「未解決事件ファイル 下山事件」
として放送された
おおよそ知っている事件なので、どのような論旨で進められるかと思っていたら
冒頭はロッキード事件に関する田中角栄氏の逮捕だった
「なんで、田中角栄の事件がここで登場するのか?」
と疑問を覚えたが、どうやらロッキード事件も下山事件もアメリカの影響下に
あった事件として捉えていて、日本はそれで良いのか?
を問おうとする内容にしたかったと想像した

この番組はドラマ仕立てでドキュメンタリーではない
だが内容は事実を下書きにしていて、佐藤隆太演じる朝日新聞社の矢田喜美雄氏が
重要な情報提供者として、また捜査検事と協力して事件解明に励む姿が描かれている
この矢田喜美雄氏の「謀殺 下山事件」はこれだけ読んでいても非常に興味深い
本棚から引っ張り出したのがこれだ

内容は

ここには轢かれる前についたとされる血痕を見つけたエピソードが書かれていて
それは昨日の番組でも報じられた

この事件は変なタイミングで警察関係の人事異動があって
上層部が何かを隠そうとしていると想像しても無理はない
そしてそこにアメリカの影響力があったのではないかとしている

アメリカは大量の国鉄職員の首を切ろうとした下山氏を
共産党系の労働組合の誰かが他殺したストーリーを進めたかったようで
この事件は自殺他殺の両論の存在で、思惑通りには進まなかったが
結果として共産党の影響力は日本国内では一気に縮小した

下山事件のものすごく参考になった本はもう一つある

著者の柴田哲孝氏は、森達也氏の「シモヤマケース」の登場する事件に関係している
とされた人物の親族で、その内容は普通では知り得ない情報に満ちている
NHKでも登場したキャノン機関とか矢板玄氏とか児玉誉士夫とか
とにかくいかにもなにかしそうな人物が列挙されている

これは他殺の方からの視点で、下山事件に関しては他にもいろんな本がある


つまりは今だに好奇心を刺激する事件だ
この事件をNHKがどのような視点で捉えるかが
昨日放送された第二部に明らかになるのだろうが
10時からの第二部の放送分は録画しておいて、今のところ見ていない

いずれにしても、731部隊とCIAの関係を扱った「未解決ファイル 帝銀事件」
といいい、アメリカの影響下のこの事件といい、NHKの一部のスタッフは
真に真面目な問題提起をしているように思われる

国益を優先せざるを得ないとしても
果たして日本は本当に独立国家なのか?と

でも第二部を見たら印象は変わるかもしれない



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田舎の人間は早寝早起き

2024年03月30日 09時56分02秒 | 徒然なるままに

太陽はたった一つでも、それが見えるとずいぶんと明るくなったり暖かくなる
そのエネルギーは有名なアインシュタインのE=MC2で計算され
太陽の寿命はまだまだ続くらしい

エネルギーの量に、どうして(無関係そうな)光の速度が出てくるのか
とても不思議な気がするが、分かる人には分かる類の概念なのだろうか

寒かった3月も、昨日今日はとても暖かい
日没が遅くなってきているが、日の出も早くなっている
それにつれて目覚めの時刻も早くなっている
でも、「春眠暁を覚えず」の詩にあるように
とりあえず起きても眠たいという気持ちを、ここ数日実感している

田舎で年寄りの家庭は早寝早起きだ
これは絶対都会とは違う
ニーベルンクの指輪を見る(聴く)ために東京に宿泊したことがあったが
演奏が終わってホテルに向かう電車の混み様には驚いた
10時くらいの時間だったが、感覚としては名古屋の7時か8時くらいの混み方
早寝の自分は上瞼と下瞼が仲良くなりそうで少しボンヤリしかかるが
世界はまだ本番中!といった感じで、、みんながそう感じているようだが
ちょっとついていけないな、の思いを強くした

好き嫌いや善悪の判断も、もしかしたら田舎と都会では違ってくるかもしれない
人との関係性で生きていると思える都会は、刺激的な主張なり表現が役割を果たす
だが万事のんびりしている田舎は、従来の慣習には妙に従うが
基本的には穏やかな暮らしとか意見だとか人を信じる傾向にある
そして深刻な問題(太陽光発電や風力発電)に対しても争いごとは避けたがる
それは田舎の人間が甘いのか、それとも無関心なのか?

話は変わって、昔、斑尾のペンションで出会った東京の人が
夜が静かすぎて眠れなかった!
とこぼしたのには驚いた

静かで暗くないと眠れないのが田舎の人間
どちらがまともかといえば、、田舎の方が昼行性生物である人間の
あり方にあっていると思えるのだが、、





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花粉症?

2024年03月29日 09時18分39秒 | ダイアリー

少し目がかゆい
耐えられないほどではないが、花粉が悪さをしているのだろうか

ある年、突然に花粉症になった
小学校のサッカーの納会の最中にくしゃみが止まらなくなって
涙がポロポロ、、、何だこれは!と思ったのが始まりだった

それからは毎年春が憂鬱だった
頭は重たいし、目はかゆいし、お酒を飲めば鼻はグジュグジュになって話せば鼻声

薬を飲め直ぐに効果が現れるタイプなので
通勤の駅までの道の途中で眠たくなった
昼時に飲んだ時は、運転が不可能なほど眠くなって運転を諦めて
少し寝ることにしたこともあった

でも今は、少し目がかゆい程度で済んでいる
それは歳のせいだよ!とからかわれる程度だ
アレルギー反応も老化して過度に働かないらしい(?)

薬はプラシーボ効果というのがあって、効くと信じると
体はその様に対応するというもので、自分の場合は
健康食品のPが良かったのだろうと信じている

プラシーボだろうが、なんだろうが結果良ければオーケーで
個人的にはこの程度で済んでいるのはありがたい

月曜日と木曜日の近所の子どもたちとの小学校の校門までのウォーキング
9人いる中に二人ゴーグルをして登校する子がいる
それをしてるのとしてないのでは、だいぶ様子が違うらしい

今日は雨があがると、次は黄砂がやってくるとか
自然界はすごいというか、思い通りにならないというか、、

ところで、相変わらず大谷絡みの報道が多い
彼のせいではないが、正直なところ食傷気味だ
日本人はこんなにスポーツ依存症で良いのだろうか
と不安を覚えたりする


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思いつくままに、、、

2024年03月28日 09時26分34秒 | ダイアリー

行く宛もなく思いついたことをつらつらと、、、

江戸時代は大きな戦争が200年以上なかった
確かに身分は固定化して不公平なところはあったようだが
人々(庶民)はどのくらい不満を覚えていたのだろうか?
あったとして、それは革命を起こすほどのものだったのだろうか?

現在の日本ではサムライという言葉がいろいろ使われる
例えば野球の日本代表にも使われるし、それはいい意味で使われる
新渡戸稲造は日本には西欧ほど確固とした地位を占める宗教がないが
それを補い倫理観を育んだのは武士道というサムライの心構えとしている
(でも武士でも貴族でもない底辺の自分は、武士に憧れることもないし
     本当に武士道の精神が一般社会に行き渡っていたのか少し疑問を覚える)

落語でもお侍さんを立派な人として扱っているものもある
「井戸の茶碗」では真っ正直な武士が活躍して、庶民からも一目おかれている
そういえば、江戸時代に流行しだした端午の節句の五月人形も
武士に憧れて飾っているから、庶民の感覚としては
武士は身分制度の不満はあるものの、良いお侍さんもいるし、仕方ない!
くらいの感覚だったのだろうか

江戸時代は寺子屋が盛んになった
そこで学ぶのは実用的な読み書き算盤だけでなく
今でいうリベラルアーツ的な教養的なものもあったようだ

昨年か一昨年読んだ「花祭りの里、、江戸の裁判」では
江戸時代にも裁判制度があって、それもなかなかしっかりした運営が
なされていたと実感したが、庶民は現実的にそれらで猛烈な不満を
覚えるほどではなかったようだ

つまりは、庶民にとって江戸時代はそんなに悪い時代ではなかったような気もする
(昔読んだ江戸時代の歴史の本を読んでみようか)

外国の人間が日本に来るようになって、社会の変化が求められるようになり
結果として明治維新がなされたが、外国人が日本人をみて驚いたことには
文字が読める人の多かったことらしい(寺子屋のおかげ?)
植民地政策を進める外国でも、文字の読めない人たちの存在はそれなりにあったようだ

そういえば、一部の女性の知識の高さは今年の大河ドラマでも扱われている
確かに子供を生むということが女性に求められた大きな役割だったようには思えるが
それでも日記とか物語を残すだけの環境はあったことがすごいと思う

ここまで来て、連想は全く関係のない話に移る
伊勢神宮を参拝した天皇の娘愛子さまは、大学時代の研究は
式子内親王だったとされている

すぐにはどんな人か思いつかないので、検索すると彼女も天皇の娘であり
斎王の立場でもあったようで、おそらく自分の立場にシンパシーを感じたと思われる
式子内親王は百人一首にも選ばれた歌があった
「玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば
 忍ぶることの よわりもぞする」

すぐには意味がわからないが、すごく感情的なものは感じる
22歳になれば、こうした気持ちもすんなり理解できるようになったのだろうか
そしてそれは、とても良いことだと思われる(余計なお世話だが)

思いつくことは、いつも結論がでるとは限らない
むしろ単に浮かんだだけで終わる
それはまるで夢のようなものだが、何故かそれも生きている証のような気もする

とりとめのない話、、
だが連想とはそういうものだ!






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習字(草書)と和歌

2024年03月27日 09時19分52秒 | 徒然なるままに

今年の大河ドラマを見て新生児の名前のことを取り上げたが
もう一つ流行りそうなのが習字(草書)と和歌ではないか?
ドラマの中に文字を書くシーンが時々現れるが
これがなかななか美しいというか風情がある

小学生の頃、習字の塾には行ったがサボって遊んでいたことを思い出す
もう少し真面目にやっておけば良かったと反省しても遅すぎる
(草書はもっと上達しないと教えてもらえない?)

ラブレターの交換のような和歌も、現実は優雅だけでなく
実用的なところもあって、それを作る知力が見えるので
人間力を想像するのに役立ちそうだ

今朝、目が覚めた時、不意に
「逢いみての 後の心に くらぶれば 昔はものを 思わざりけり」
を思い出した
高校時代に習った百人一首の一つだが、自分は全部は覚えなかった
覚えたのはリズムが良いとか、なんとなく実感に近いものだけ
これは、なんとなくそうだろうな、、と思えたので覚えておいた
そして今、何故か切実に感じられて仕方ない

同じものを見ても感じ方が人それぞれなのは当たり前だが
感性以前に、事前の知識量の差が感じ方にも影響することはありそうだ
今回の「光る君へ」は源氏物語を読んだことのある人と、そうでない人では
演出の意味の捉え方が違ってくる
読んだことのない人は切ない恋愛模様に感情移入するだけだが
読んだことのある人はセリフとか演出の意味を深読みできる

源氏物語を読んだ多くの人が指摘しているように
まひろは紫の上とオーバーラップする関係ということ
今回は紫式部の恋愛の心の動きではなくて
源氏物語を書くに至った経緯を一年かけてフィクションとして
作り上げようとしている気がする
(プルーストの「失われた時を求めて」で作家になる経緯を現したように)

ドラマは成功したか否かは視聴率が一つの判断材料になるが
平安時代の女性が主人公では視聴率を稼ぐのは容易でないそうだ
民放のゴールデンタイムの番組を見ると、仮に視聴率が良くても
あの内容ではなんだかなあ、、と不満のほうが口に出てきてしまう
(そしてそれは見ないことにしてしまう)



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「一平さん」と「バカヤロウ」

2024年03月26日 09時13分20秒 | あれこれ考えること

またもや今日のテレビニュースは大谷絡み
ただし今回は活躍や結婚などの明るい話ではなく
通訳の水原氏の違法賭博に関する話題だ

大谷翔平さんと藤井聡太さんの共通点は関わっている競技に
夢中になっていて、それ以外には関心もなさそうにさえ見える
だからこそ、大谷さんの関与がなかったことを信じたいし
それらがはっきりとされて安心してプレイできるようになることを
多くの日本人が望んでいると思う

ところで、今朝の会見で信じていた水原一平氏のことを
「信頼していた方」「一平さん」と表現していたことが印象に残った
裏切られた思いがあるなかで、彼の人間性は先日まで友人だった人物を
呼び捨てにすることはできなかったと思われる
これが良いか悪いかは評価に個人差があると思われるが
彼らしいと感じたのはきっと自分だけではないだろう

この反対の人間性を暴露した人がいる
自民党の二階さん
次の衆議院選には諸々の責任を負って立候補しないとする記者会見
そこで記者から年齢のこともあって立候補しないのか?との質問に
「年齢の制限があるか? おまえもその歳が来るんだよ」「バカヤロウ」
とのキレた発言をした

頭にきたとしても、それはないでしょう、まして政治家なら

だがこうした上から目線の発言を許しているのは
実はメディアも責任があるのではないか
二階さんに限らず麻生さんも人をバカにした発言を繰り返す
メディアはそれを「麻生節」といって問題視せずスルーする
それが暴言の連発に拍車をかける様に思えて仕方ない

大谷は人を人として対処して、二階氏は人を人とも思わない態度にでる
人間性が違うと言ってしまえばそれまでだが
最近の日本はこうした人間性を否定した攻撃的な言葉がはびこっている
と感じるのは思い過ごしなのだろうか?

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二度あることは三度あった

2024年03月25日 08時46分48秒 | 徒然なるままに

大相撲の大阪場所で尊富士が優勝した
14日に怪我(足首靭帯損傷)をしたが、自分も親方も
ここで出場しないなら一生後悔するとの判断で出場
見事、勝って優勝を決めた

14日目に怪我をしたケースは何故か多い
思いつくのは貴乃花の例で、14日目に武双山との戦いで怪我をして
千秋楽に武蔵丸と戦い負け、その後の優勝決定戦で勝利し
鬼の形相のシーンと当時の小泉純一郎首相からの
「痛みに耐えてよく頑張った」とが記憶に残っている

もう一つは稀勢の里で14日目に安馬との勝負で
右の胸の筋肉を痛めたが、千秋楽も出場し照ノ富士と本場所分と
優勝決定戦で勝って優勝した

この二人ともこの怪我のせいで、その後の成績は良いものを
収めることができなかった

なんで、似たようなことが起きるのだろう
運命のいたずらか、単なる偶然なのか、、いずれにしても二度あることは三度あった
そして三度目も怪我した力士が優勝した
優勝した力士はこれで相撲人生のピークで終わらないでほしいものだ

尊富士の名前は、ヤマトタケルの尊から来ているだろうと想像したが
名前の謂れを報じるのを聞いているとやはりそうだった

話は変わって、君が代について昨日はとても印象に残るものがあった
大相撲の君が代は特に変わったことなく、いつものようだった
だが、同居人が大好きなフィギアスケートでは
坂本花織が優勝して君が代が流れた時はとても美しかった
普段なら同じメロディをみんなで歌う斉唱なのだが、カナダで行われた大会のせいか
歌は女性の声が幾つかの声部に分かれてハモっていた
このハモリがとても純粋で静謐で新鮮で、美しいというほかなかった
日本でもこうしてハモる君が代をいつも聞けるようになると良いな!と思う

それにしても、二度あることは三度あるってのは、本当だなと実感する

 

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この国の同調圧力

2024年03月24日 09時10分44秒 | 

不安だから読むのか、読んだから不安になるのか
いずれにしても不安が心を占めているのは間違いない
先日の「詭弁社会」に続いて山崎雅弘氏の「この国の同調圧力」を手にした


日本人なら心当たりのありそうな
「みんながそうだから無批判に同じ行動をとる」例がこれでもか
と言えるほど紹介されている

始めてしまったら止められないのは先の戦争もそうだったし
東京オリンピックも大阪万博もそうなりそうだ
新城市では新城名古屋間の高速バス運行事業もそうだ
(本来の目標数字KPIは達成されず、いつの間にか目標数字は
   輸送量という概念に変えられていた)

先の戦争では死者が急激に増えたのはサイパンでの敗戦後らしい
そこで現実的な方法(降伏)をとればあんなにひどい犠牲者は出なかった
だがその時の空気は、決して冷静な判断でなく感情的、情緒的なのも
それが支配していた
それはメディアも含めてこうしたことに反対する意見を抑え込んでいた

そもそも客観的な戦前の分析では、始めてしまったら初めのうちは
勝ち続けることができるが、そのうちに逆転されてしまう
だから戦いは避けるべきとの意見もあったようだ
その根拠に兵力の供給量の差があったのだが
ここでも全く理解しがたい根性論とか精神論がでてきて
日本人は他国の人間より精神的に優れているので兵力の差はカバーできる
と大真面目に説いた人がいた

これは先の大戦でもそうだが、日露戦争でもこの精神論がでてきて
困難は精神力でカバーできると説くのはまるで伝統的な発想のようで
これを知ると情けなくなる

兵力の差で被害がどうなるかを数学的に算出したものに
ランチェスターの法則がある
戦う両者が同等な技術なり兵力を持っている場合
同数なら確率的に半々の結果となるが、
片方が多い場合は相手に早い時点で確率的にダメージを与えられるので
戦う人数も少なくなり勝負は偏ってしまうというものだ

精神は日本人だけが持っているものではなくて、どの国の人も同じように
持っていると客観的に考えることができなかったことは
想像力の欠如としか思えない

いろいろ気になるところはページを折り曲げて過すぐ読めるようにしているが
その一部を紹介すると

日本では西欧的な「個人主義」の概念が自分勝手な「利己主義」と混同され
どんな時でも自分の利益だけを考えて行動するのが個人主義だと勘違いする人が多い様子です
しかし、本当の個人主義とは、自分が個人として集団内で尊重されるのと同時に、自分もまた
自分以外のすべての人を個人として尊重する考え方です

日本ではこうした概念的な思考訓練ができていないので
個の確立がなされずに、西欧風の社会になっていると勘違いしている人が多そう

こうして思い出しながら考えていると、またまたストレスが溜まりそうになってしまう


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新生児の名前

2024年03月23日 11時21分25秒 | 徒然なるままに

今年の新生児の女の子の名前は「ひらがな」、「〇〇子」が
多くなるのではないか!と想像してしまった
まひろ、ききょう  倫子、定子、彰子、
ご存知「光る君へ」の登場人物で
こうしたクラシックな名前も案外良いもんだ
と思う人が少なからずいるのではないか

新城の広報誌では毎月新生児の名前が紹介されるが
まだまだキラキラネームが少なくない
つまりは読めない名前だが、自分たちの時代の「子」が多い名前も
わかりやすさ故に便利だと思うえるのだが
果たしてどうなのだろうか?

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北朝鮮戦

2024年03月22日 09時21分08秒 | サッカー

ワールドカップ二次予選の北朝鮮戦
自分は同時刻に行われた大谷さんではなくこちらの方を見た

スタメンに違和感があったが、前半はまずまず
開始早々の田中碧の得点で楽に進められそうな試合展開
個々の戦いも勝っていたし、パスミスを誘ったりして
アジアカップの不調は解消されたかに見えた

もう少し点を取れそうな雰囲気があったが
最後の最後で決めきれない
残酷なほど冷静な点取り屋は日本にはいないようだ
(堂安、あれは決めなきゃ!)

後半の幻の失点シーンからいきなりおかしくなった
明らかに流れは北朝鮮に行った
クリアしても直ぐに拾われ、守りの時間が長くなって
デュエルも相手に有利なものになった

堂安も南野も画面に出てこなくなった
単発的に前田が頑張っていたが、彼はワールドカップのときもそうだったが
点取り用の人間ではなく、守りのため人間のようだ
どうしても最後のプレーが少し雑で、スタメンの違和感というのは
スタメンではアシストする役目の人はいないのではないか
と思われたことだ

流れが傾くということはサッカーの試合にはよくある
ただ、今回は少し情けなかった
アジアカップで日本の弱点は丸裸にされたのだが
それが北朝鮮もそこをついてきた

今後、中東の国は日本と戦う場合は洗練された戦いよりは
こうしたフィジカルを活かした戦いに挑んで来ると思われる
そしてそれは自分が他国の監督であったなら選ぶ戦い方だ

日本には圧倒的な点取り屋が生まれない
韓国ではソン・フンミンのような選手が生まれるが
日本では献身的に動き回る選手はいるが、長い間消えていても
肝心な時に決めるような選手はいない
いないというより、そういう選手は日本では選ばれない(使われない)

このあたりは国民性なんだろうか
日本は一生懸命走り回る選手が好き!
岡崎も中山も巻もそうだった

サッカー選手は一試合のうちにボールに触る時間はとても短い
その短い時間で、誰もが簡単にはなし得ない得点をあげる能力というのは、
もう少し評価されてもいいと思う
願わくば来たボールに合わせるだけでなく
自分でシュートに持っていける選手が出て欲しい

上手い選手より怖い選手
FWにはこれが必要と思う

ところで、26日のアウェイの北朝鮮での試合は中止になったらしい
日本で流行っている感染症を防ぐためにそうしたと報道にあったが
日本で生まれ日本で育った北朝鮮のサッカー選手が
日本人選手と戦えないのはサッカー選手として可愛そうと同情してしまう

昨日の解説に出ていたチョン・テセさんはそういう経歴の人だが
この人、本当にいい人で自分は大好きだった
国の都合で、同じように努力している人たちと戦えないのは
彼らの気持ちを思うと、少し悲しい

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