またまた自分の住む新城市の話題
昨日の懲罰委員会に関することで
少しばかり細かな気になった内容について
いきなり懲罰委員会に至らなくても不穏当発言の削除を
議会に申し入れればそれで済むことではなかったか
という穏健な話は、この懲罰委員会の運営上(法律上)は
あまり関係のない話と発議者からは答えが返っている
(この理屈は実は議会事務局からの法的な説明・解説を聞いて
初めて確認できたことなのだが)
議事録から削除されたとしても言葉を発せられて傷ついた事実は消せない
という法の解釈かららしい
だから段取りとして議事録からの削除と懲罰委員会の取りやめとは関係ないこと
というのが発議者側の意見
しかしこうなると「It is no use crying over spilt milk」
高校時代に習った英語のことわざ「覆水盆に返らず」にあるように
一度してしまったことは元に戻らない!
と強硬な態度で対応するとなると今度は議会の質問自体が窮屈なものになりはしないか
討論の場は人間の行うことで、一時的な感情のたかまりなどで
つい言わなくても良いことや言い過ぎの場面などが存在するのは容易に想像できる
今回のように「言ってしまったことは元に戻せない」と言ってしまったら
そしてある人が悪意を持ってこの理屈を何にでも使用しようとしたら
そしてその判断基準が今回の事例でその後の判断の基準になるとすれば
それは当事者が思っているほど気楽な軽いものではないはず
人は間違いを犯す
侵さないことに越したことはないが、犯すのが人間というのも
鬼の首を取ったように進めていくのは最後の最後の手段であるべきだ
浅尾市議の(自分と似たような?)思い込みや推測による(と判断される)
発言は公人としてはもう少し配慮の必要なことかもしれないが
今回のように何が何でも懲罰という姿勢はどうなのかと
思わざるをえない
英語が出てきたついでに、こんなことわざを思い出した
To err is human,(to forgive divine.)
過つは人の性、(許すは神の心)
特に前半のTo err is humanは
誰にでも過ちはあるもの、この世に間違いをやらぬ人はいない
という意味
その間違いを許さないというのは
少し生きにくい世の中になりはしないか
議会でも同じこと
議員さんたちはその事を知った上で懲罰を科そうとしているのか
何れにせよ、議員さんの生(ナマ)の発言がないから
なんとも判断のしようがない
自分たちの首を絞めて、本当にそれで良いのか
一度でも真剣に考えたことがあったのか少し疑問
あまりにも安易に考えているような気がしてならないが さて