現在ゲームをプレイ中~ドラゴンクエスト9星空の守り人

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「八重の桜」雑記1呼び方と天皇と会津が追い込まれる過程

2013-06-06 00:27:12 | 八重の桜
「八重の桜」について思うことをつらつらと書く。

身分が高い人を呼ぶときに基本本名を呼ばないのが気に入っている。時代劇の基本だけど。

孝明天皇→帝、お上、天子様
松平容保→殿、中将、肥後守、会津殿、守護職、兄上
徳川慶喜→一ツ橋様、公方様、御宗家、上様

こうして見ると、容保が一番多いな(笑)。
自分の場合、孝明天皇を帝と呼び、容保を殿と呼んでいる。帝、殿と書くと読んでる人が分からなくなるから、と思って孝明天皇、容保と書いてるんだけど、自分の呼び方は殿だから、ちょっとした違和感というか葛藤というか、とにかく変な感じがする(笑)。

孝明天皇に容保が一目惚れ(笑)とか前に書いたけど、天皇の描き方は良い。

今の時代だって今上陛下にお声をかけてもらって、直筆の手紙貰ったらそれはもう宝物。この時代、しかも尊王の会津なら自分の命より大切な家宝で子々孫々に伝えるべきもの。実際、容保は書と和歌を風呂以外は生涯肌身離さず身に付けてた。

容保が孝明天皇のオーラにあてられて、ぼーっとなって、くそ真面目に仕えたのが会津藩にとってはあだとなったな。

孝明天皇の崩御がきっかけで、会津が窮地に追い込まれる過程は分かりやすくて良かった。
まさに坂道を転げ落ちるような。

最大の後ろ盾を失い、じわじわと追い込まれる会津。このころ容保は体調不良で動けない。長州派の岩倉具視が復権。巻き返しを図る攘夷派。なんとか踏みとどまってたが、討幕の密勅をかわすため大政奉還。その後の宮中会議で不利な決定。戦争をしたい西郷隆盛は江戸で暴動を起こす。それに怒った庄内藩が江戸薩摩藩邸を焼き討ち。それをきっかけに鳥羽伏見の戦いへ。

鳥羽伏見の初日は幕府軍の惨敗。2日目は錦の御旗が出るまでは互角だったが、出た途端総崩れ。神保修理は「兵を率いて」江戸に下れと進言したのに、自分たちだけで帰る慶喜と容保と定敬。

慶喜は老中解任。会津をはじめ他藩を江戸から追い払う。慶喜と容保と定敬に追討令。朝敵の汚名を着せられる。容保は会津に戻り恭順の意を示しつつ戦の準備。江戸無血開城。新政府軍に不満があるものは会津に集まる。新政府軍の標的は会津へ。

奥羽諸藩は会津助命の嘆願。新政府軍の和平交渉使者世良修三を仙台藩士が斬ったことで戦に突入。
白河で負け、二本松が落ち、会津の各街道で敗走し、鶴ヶ城籠城戦に突入。

ここで八重登場。女狙撃兵大活躍。という流れ。

になるはず。っていうか、ここで活躍しなかったら八重が主役の意味がない。
いままでの脇役状態なら別に何とも思わないけど、ここで活躍しないんじゃ本当に意味がないんだ。多少戦果を盛っても良いから活躍させてほしい。

そういえば、尾張藩も上野戦争も彰義隊もなかったな。
ここまでやってる時間がなかったんだろうが、尾張藩はやってくれても良かったと思うんだ。藩主は容保の兄で、徳川なのに早々と新政府軍に付いて、戦後容保の助命嘆願をした人の一人だから。
それと、春嶽が容保の恭順願いを握りつぶしてたはずなんだが(うろ覚え)そっちもなかったな。
桑名藩と庄内藩はやってる暇なさそうかなあ。