いま、あえて『失楽園』(97年)を読んで分かったこと これは、究極の俗物小説だ
「1996年10月5日に軽井沢の別荘で、久木祥一郎(55歳)と松原凜子(38歳)が青酸カリ自殺を遂げた。2人は、全裸のまま強固に抱擁し、
〈局所まで接合したまま、死後硬直の最も強い時間帯であるため、容易に離し得ず、警官2名にてようやく2人を分か(った)〉
ということだ。」
「失楽園」が日経新聞に連載されていたころ、私は、法医学の講義の一環で、男女の心中ではなく、一家心中(無理心中)の司法解剖を見学した経験がある。
それは、ある中小企業の社長が資金繰りに行き詰まり、一家心中を図って妻と娘を殺害したものの、自分は死にきれず逃走したという事件であった。
人形のように個性のないご遺体に直面したショックはもちろん甚大であったが、それと同時に、逃亡した被疑者に対する激しい怒りが自分の中に沸いてきたのをよく覚えている。
その社長は、なんと、ベンツで逃走していたのである(後に自殺)。
資金繰りに窮したにせよ、だからといって妻子を殺さなければならないということには全くならないし、どうやら自身は「食うや食わず」の状態というわけでもなかったようである。
その翌年、私は中小企業にお金を貸す職業に就いたのだが、新人時代に上司(団塊世代)がよく言ったセリフは、次のようなものだった。
「俺は自分で会社を興すことはしない。
俺は工業地帯の真ん中で育ったので、小学校の同級生には中小企業の社長さんが多かった。
だが、同級生のうち2人のお父さんが、会社が倒産したために、首をつって自殺した。
そういう痛ましい経験をしているので、俺は自分では会社を興さず、その代わり、中小企業を資金繰りの面で応援する仕事を選んだんだ。」
団塊世代が育った時代には、自分の会社が倒産すると死を選ぶ経営者も多かったのだ。
いや、25年前も、破産より死を選ぶ経営者はまだいたことが、1998年の「三社長自殺事件」(3社長はなぜ自殺したのか)から分かる。
さて、私がこの3つのエピソードを持ち出したのは、「金銭的な生活苦(経済・生活問題)と仕事がらみ(勤務問題)」の自殺と言っても、本当に生活に行き詰まり、「食うや食わず」で骨と皮ばかりになって自殺するというのは極めて少数であって、実際には、そこには至らない段階で、つまりまだまだ生きていけるのに、あえて死を選んでしまう人が多いことを指摘するためである。
当たり前のことだが、破産したからといって、命までとられるわけではない。
それにもかかわらず、死を選ぶ人がいるのはなぜだろうか?
この問いに答えるためには、自殺をひき起こす要因を分析する必要がある。
「1996年10月5日に軽井沢の別荘で、久木祥一郎(55歳)と松原凜子(38歳)が青酸カリ自殺を遂げた。2人は、全裸のまま強固に抱擁し、
〈局所まで接合したまま、死後硬直の最も強い時間帯であるため、容易に離し得ず、警官2名にてようやく2人を分か(った)〉
ということだ。」
「失楽園」が日経新聞に連載されていたころ、私は、法医学の講義の一環で、男女の心中ではなく、一家心中(無理心中)の司法解剖を見学した経験がある。
それは、ある中小企業の社長が資金繰りに行き詰まり、一家心中を図って妻と娘を殺害したものの、自分は死にきれず逃走したという事件であった。
人形のように個性のないご遺体に直面したショックはもちろん甚大であったが、それと同時に、逃亡した被疑者に対する激しい怒りが自分の中に沸いてきたのをよく覚えている。
その社長は、なんと、ベンツで逃走していたのである(後に自殺)。
資金繰りに窮したにせよ、だからといって妻子を殺さなければならないということには全くならないし、どうやら自身は「食うや食わず」の状態というわけでもなかったようである。
その翌年、私は中小企業にお金を貸す職業に就いたのだが、新人時代に上司(団塊世代)がよく言ったセリフは、次のようなものだった。
「俺は自分で会社を興すことはしない。
俺は工業地帯の真ん中で育ったので、小学校の同級生には中小企業の社長さんが多かった。
だが、同級生のうち2人のお父さんが、会社が倒産したために、首をつって自殺した。
そういう痛ましい経験をしているので、俺は自分では会社を興さず、その代わり、中小企業を資金繰りの面で応援する仕事を選んだんだ。」
団塊世代が育った時代には、自分の会社が倒産すると死を選ぶ経営者も多かったのだ。
いや、25年前も、破産より死を選ぶ経営者はまだいたことが、1998年の「三社長自殺事件」(3社長はなぜ自殺したのか)から分かる。
さて、私がこの3つのエピソードを持ち出したのは、「金銭的な生活苦(経済・生活問題)と仕事がらみ(勤務問題)」の自殺と言っても、本当に生活に行き詰まり、「食うや食わず」で骨と皮ばかりになって自殺するというのは極めて少数であって、実際には、そこには至らない段階で、つまりまだまだ生きていけるのに、あえて死を選んでしまう人が多いことを指摘するためである。
当たり前のことだが、破産したからといって、命までとられるわけではない。
それにもかかわらず、死を選ぶ人がいるのはなぜだろうか?
この問いに答えるためには、自殺をひき起こす要因を分析する必要がある。