西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

戦争について考えた日

2014-06-14 20:55:49 | 反戦・平和
朝から自衛隊の武装パレード反対集会へ。



このパレードは、毎年、秋に行われてきたが、昨年は“YOSAKOIさせぼ祭り”と重なり中止になったのだ。今年は、秋に国体が予定されているために6月に行うことにしたのだという。

いつもはテロ対策部隊である「西部方面普通科連隊」だけのパレードであるのに、今年は海上自衛隊も参加するのだとか。昨年12月に発表された「水陸機動団」との関連があるのかもしれない。

午前11時、自衛隊の音楽隊を先頭にパレードが始まった。
始めは、海上自衛隊教育隊の隊員たち、まだ隊員としての教育を受けている最中なのだろう。
どう見ても20歳そこそこの若者ばかりだ。



それから銃を担いだ陸上自衛隊の隊員たちが続く。



今年は、女性だけの部隊も登場した。



国会で論議もなしに政府の中で決定されようとしている「集団的自衛権」の行使が容認されれば、この若者たちは否応なしに戦地へ行くことになるのだ。

この若者たちを死なせたくないと思う。
この若者たちに、人を殺して欲しくないと思う。

それにしても、元自衛隊員だった市議会副議長が何度となく私たちの集会を偵察にやってくるのには笑ってしまった。




午後からは「佐世保空襲を語り継ぐ会」主催の平和集会に参加。



今年は、「女性たちの戦争体験」ということで、3人の方のお話があった。

お一人は、女学校へ行っていたのに勤労動員で、海軍工廠で溶接工を敗戦までやった体験を話された。
また、他のお一人は、わけが分からぬままに挺身隊員として軍で働かされたこと、空襲のたびに木炭自動車を押してトンネルの中に隠していたこと等々を話された。

また、もうお一人は、小学校の教師をしていたが、逃げまどってばかりで勉強など何も出来なかったことを話された。



憲法9条を守って、戦後70年、一度たりとも戦死者を出さない国であり続けたのに、集団的自衛権が容認されると、戦死者も生まれ、お話された3人の方の体験談のような日々がやってくるかもしれないのだ。

我が家のような小さなコミニティでも3人もの戦死者を出している。

どんなことがあっても、戦争に踏み切るようなことがあってはならない。

反戦の声を大きく上げていきたい。




天の恵み

2014-06-12 14:06:28 | 石木ダム
今朝の朝日新聞に“ためた雨水 天の恵み”との見出しで、雨水タンクのことが記事になっている。



子供のころは我が家でも、玄関脇にコンクリートで出来た防火用水のタンクが置かれ、雨どいから流れてくる雨水を貯めるようになっていた。

それがいつのまにか姿を消し、近所一帯にあった井戸もずいぶんと埋められてしまった。

「慢性的な水不足」とお題目のように唱える佐世保市は、そうであるなら猶のこと井戸や雨水を大事にすべきである。




水源地や周辺地域を開発から守る「水循環基本法」と、建築物などでの雨水利用を進める「雨水の利用の推進に関する法律」が今年5月に施行され、雨水タンクなどの助成に取り組む自治体に国が財政支援をやることになった。

ぜひ、佐世保市でも雨水タンクの普及に取り組んでもらいたい。

平成6年~7年にかけて西日本各地を襲った大渇水に苦しんだ自治体では「節水条例」を定め、雨水タンクの設置にも早くから取り組み、助成金も出してきた。

毎年水不足で苦しむ四国では、愛媛県松山市、伊予市で、香川県では、高松市、丸亀市、坂出市が、雨水タンクに助成金を出している。ずっと水問題で苦しんできた高松市は、助成金の上限が100,000円と他の自治体の2倍の金額だ。それだけ今ある水源を大事に使うことを意味している。

九州でも、同じ県内の長崎市でも雨水タンクの助成をやっている。

福岡市でも、飯塚市でも、水が豊富だとされている熊本市でも雨水タンクの助成をやっているのだ。

慢性的な水不足と水道局がいっているわが佐世保市。

なぜに雨水タンクを奨励しないのか??

石木ダム建設計画にしがみついて、すぐに取り組める水対策を怠っているのか??

国からの支援も受けられるようになったことだし、しっかりと雨水利用を広げて欲しい。





 300回

2014-06-10 08:52:43 | 反戦・平和
昨日、2014年6月9日で「核実験に抗議する佐世保市民の会」の座り込みが300回になった。



1989年7月9日に第1回目の座り込みが行われ、これまで25年間続いてきた。

そのことが8日の毎日新聞に掲載された。少々どころか大いに恥ずかしいけれど、記事を見て参加する人が増えてくれればと思う。



この座り込み300回を記念するためにか、米原潜「コロンビア」が、昨日午前10時に入港。
原潜の入港は今年5回目。通算では346回目となる。



原潜の第1回目の寄港は1964年11月12日だったので、こちらはもう50年も佐世保港に入港し続けていることになる。

第1回目に入港したのは「シードラゴン」、それから3年半後、空母エンタープライズ闘争後、初めて入港した「ソードフィッシュ」は佐世保港内で放射能漏れ事故を起こした。

また、2006年から2008年までの2年間に放射能の混じった冷却水を垂れ流していた「ヒューストン」は、アメリカが放射能漏れを認めるまで、その冷却水を垂れ流しながら、5回も佐世保に寄港していたのだ。

佐世保港って、どれほど汚染されているのだろう。

米艦船の修理で、湾内はPCBにも汚染されているというのに…。

今日の座り込みには、長崎から県内団体の世話人である山川剛さんも駆けつけて下さって、連帯のご挨拶をして下さった。




長崎では、高校生1万人署名の若者たちも参加してくれるのだとか、この佐世保でも若者たちの参加が増えることを期待したい。






こうばるの赤い花

2014-06-05 20:06:07 | 石木ダム
この時期になると名も知らない赤い花が咲き始める。



石木ダム建設のための付け替え道路工事が中止になったのは2010年7月23日からだが、その前日の7月22日最後の座り込みの日、現場入り口に座り込んでいた私に、建設会社のガードマンさんが里山の中から赤い花をもってきてくれたのだ。



3月の終わりから始まった、付け替え道路工事に反対する座り込みは、3ヶ月に及んでいた。

こうばるのばあちゃんたちも、炎天下の中、連日の座り込みに参加されていた。



7月の建設現場入り口は、すさまじい暑さだった。

「このままでは死者が出てもおかしくない。」毎日の座り込みを見られていた、現場隣りのK建設の社長が長崎県へ掛け合って、話し合いの場が設けられ付け替え道路の工事は中止となったのだった。

その3ヶ月の間に、私はこうばるの肝っ玉母さんやばあちゃんたちだけでなく、現場のガードマンさんともすっかり親しくなったのだ。

ガードマンのSさんはこの花だけでなく、茎がねじれて小さなピンクの花を付ける「ねじばな」ももってきてくれたのだけど、それはまだ花を付けない。

もうすぐかな…。



あれから4年。
毎年、律儀に花を咲かせる名も知らぬ赤い花がいとおしく思える。