西風に吹かれて

日本の西端にある基地の街から、反戦や平和の事、日々の雑感を綴ります。

歴史の上書き

2014-06-26 21:27:07 | 反戦・平和
今日の朝日新聞15面の論壇時評、「あすを探る」の執筆者は映画監督の森達也氏だった。

戦争は自衛の暴走で始まるというという文章は、いろいろな意味で考えさせられるものだった。


ドイツのメモリアルは加害。そして日本のメモリアルは被害。

不思議な気がする。




6月14日に行われた、佐世保空襲を語り継ぐ会の「平和のつどい」でも、「戦争中は大変だった、辛かった、」「戦後も食料難で辛かった。とにかく食べられるものは何でも食べました」

…と、3人の方が自分たちの辛い思い出を語られた。
確かに、年若い少女たちには辛い思い出だっただろう。

しかし、私たちはもっと想像力を働かせなければならない。


第2次世界大戦の死者は約6000万人と言われている。

そのうちドイツが約9,000,000万人。死者は軍人のほうが多い。

日本の死者は、3,000,000万人前後だと言われている。日本も軍人のほうが多い。

日本が侵略していった中国ではどうだろうか。
戦争によって、全世界で6000万人が亡くなったが、その3分の1、2000万人が亡くなっている。
それも、民間人が軍人の2倍も亡くなっているのだ。


私の父方の叔父は学徒兵だった。
卒業を繰り上げて戦地へ赴き、すぐに亡くなった。

母方の伯父はもう結婚もし、子供も2人いたが南方へ送られ、塹壕を掘っている最中に砲弾が当たり死亡した。戦死公報がきて白木の箱も送られてきたが、中には遺骨など入っておらず、石ころと砂だけが入っていたそうだ。きっと木っ端微塵になったのだろう。

夫の父は、夫が生まれて3ヶ月目に南シナ海に散った。
乗っていた船が爆撃を受け、船ごと沈んだのだ。
初めての子供を見ることもなく、抱くこともなく死んでいったのだ。

夫は自分の父親の死は「犬死だった」と言う。いくら靖国に奉られようとも、戦争で死んだ人たちは犬死でしかない。

子供や孫たちを犬死させないために、声を上げる。戦争につながるものに反対の意思表示をする。

それが、私たち団塊の世代の役目だと思う。