京大植物園TODAY

京都市左京区の京都大学北部キャンパス内にひっそり佇む現代の杜、京都大学理学研究科附属植物園の日々の風景を紹介します。

農Gは、「農産物干し場」だった!?―その2

2006年02月26日 17時44分43秒 | Weblog
引き続き、橋本伝左衛門氏(前掲pp.37-38)からの引用です。

『運動場は大体今あるままの約1万坪、その地ならし、西および北側の石垣、周囲の柵および門などの整備、おまけに運動場の東北の隅、いまの実弾射げき場の辺につくった二階建の選手合宿所(その後合宿所などの建物は運動場の南側にうつった)。これだけのものを新規に特設するとすれば、当時の金で約100万円、いまの金に換算して、4,5億円は少くとも要したろうといわれた。
     …
この施設が名目上は農産物干し場となり、選手合宿所は農夫舎という名儀となっていた。天下まれに見る農産物の乾し場であり、農夫舎であったわけだ。またプールも今日でこそ貧弱に見えるが、…その建設費も相当にかかった。ところがこれも、将来その北方に造成する予定の水田の稲作に対する貯水池という名目であった。つまりおもて向きは農学部附属農場用施設というわけなのであった。

しかし、農産物ほし場だの水田の用水だめだのといってみても、会計検査でこれを見のがすはずはない。これは明らかに農学部創設費の不当支出であるとして会計検査院から摘発され、帝国議会(今の国会)の決算委員会に報告された。

他の学部に、農学部用として建設された建物の一部も同時にやりだまにあがったとか。かくして荒木総長は予算不当支出の責任者として、監督官庁から譴責処分を受けた。…事件の大部分は、農学部の開港前後のことであった。これがすなわち「有名な農産物のほし場」の由来記である。』

大正時代のスキャンダルだったようですね。で、それといまの植物園との関係は?

最新の画像もっと見る

コメントを投稿