京大植物園TODAY

京都市左京区の京都大学北部キャンパス内にひっそり佇む現代の杜、京都大学理学研究科附属植物園の日々の風景を紹介します。

「動的・調和的自然児」としての「生態学」。(畠山伊佐男、1955:日生態誌5(2))

2007年10月01日 11時19分48秒 | Weblog
昭和40年から48年まで、植物生態研究施設長を務められ、現在の植物園の基礎を創られた一人である故・畠山伊佐男さん(植物生理・生態学)による1955年の文章「生態学をいかにきずくか(How to study Ecology)」(日本生態学会誌,vol.5(2):pp.91-92)の一節を抜粋紹介します。彼にとっての植物園の位置づけが、何となく想像できる文章です。畠山さんは当時、理学部植物学教室の所属でした。

「いま実験される生物と立場をかえて、自分が生れ落ちるなり健全な発育ができる程度にできるだけ自然環境に近ずけられたある制限空間内に閉じ込められ、完全食も異性もある種の文化財さえも与えられ、そして猿ならずとも超人によって格子の外からいつも観察されていたとしたら、いかなる人間になつたであろうか。擬人的に考える事の警戒を要する事は言うまでもないが、個体から集団へ、人工的特殊環境から自由な自然環境へは全く異質的変化を起こすかも知れないことに考えおよぶと、自由なる自然環境での研究が生物学いな生態学の最後の仕上げとして以下に重要であるかが想像されるであろう。

 生態学をいかにしてきずくか、もし生態学に独自の方法があるとすれば、生態学は動的・調和的自然児を対象とするものであり、生物学を主とする自然科学、社会及び人文をも含めての諸科学の総合の上に立つところの学問としても動的・調和的自然児であるという認識と、当世流行のハッタリなどに染まらない謙虚な反省的な学究的態度こそその基礎を与えるものであろう。」(日本生態学会誌、vol.5. No.2. p.92.より抜粋。)