(解説)
生死出ずべき道を求められた宗祖親鸞聖人は、元祖法然聖人に出遇われ、お念仏の教えを依りどころとされました。その生涯はまさに、いつ死んでも大丈夫、いつまで生きても大丈夫という大きな安心があったのではないでしょうか。心豊かに生きていける人生が、そこにひろがっていきます。
以上が3月法語の大意だと思います。
(ボク)
ボク自身が死に直面したら「うろたえる」と思うし、ましてや妻が「今まさに死にそうになっていたら」うろたえて、息子や嫁や娘に慌てて電話して、次に何をなすべきかも、判断できなくなっていると思う。
妻や子供がいながらも、母と死別したとき、(転勤先から駆けつけましたが、死に目に会えませんでした。)空虚と寂しさと明日への生きるすべもなくした、「取り乱した心」だけは思い出せます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/10/7e/ed1a3fe03eb8aaa98d9b1b2ef012f0d9_s.jpg)
生死出ずべき道を求められた宗祖親鸞聖人は、元祖法然聖人に出遇われ、お念仏の教えを依りどころとされました。その生涯はまさに、いつ死んでも大丈夫、いつまで生きても大丈夫という大きな安心があったのではないでしょうか。心豊かに生きていける人生が、そこにひろがっていきます。
以上が3月法語の大意だと思います。
(ボク)
ボク自身が死に直面したら「うろたえる」と思うし、ましてや妻が「今まさに死にそうになっていたら」うろたえて、息子や嫁や娘に慌てて電話して、次に何をなすべきかも、判断できなくなっていると思う。
妻や子供がいながらも、母と死別したとき、(転勤先から駆けつけましたが、死に目に会えませんでした。)空虚と寂しさと明日への生きるすべもなくした、「取り乱した心」だけは思い出せます。
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最近、気に入っている言葉に「人は生きてきたように死んでいく(どなたの言葉かは不明です)」というものです。
私的には、「来世に安寧を求めるならば、今、生きている事を大事する事」と解釈していますが・・・
「来世に安寧を求めるならば、今、生きている事を大事にする事」ですネ。
今朝はフト「やる気」を持って起床しました。不思議な現象でした。
結局予定したことを、滞りなく済ませることができました。
一日の計は、朝にあり と思いました。