日盛りの道の上で

日々の日記と家族のこと、仕事と趣味、雑感少々

雨の日の休日は

2011-05-29 19:19:54 | インポート

雨の日は嫌いではない、家は百姓をしていたから晴れの日は両親はいつも畑か田んぼに出ていた。

雨の日は小屋のひんやりした土の上に筵を敷いて母親は藁で何かを作っていた、私は同じ筵の上に座り外の雨を見ている、何か話をしたのだろうが今は覚えていない覚えているのは何故かひんやりとした、それでいて優しい雨の感触だ。

母は50円を渡して村に一軒だけあった雑貨屋でお菓子を買って来てと言った、母はどんな菓子が好きだろうと随分迷って買って帰った菓子をひっそりと二人で食べた。 

それからもう40年以上過ぎて、父は死んだが母は健在だ、今も現役の百姓で家で食べるほとんどの野菜は母が作る、軽トラックで畑に行き、たまに写真の庭に置いたベンチで近所のばあちゃんと大きな声で話をしている。

今日は雨で外は静かだ、私は一日中図書館から借りてきた本を読んでいた。

 

 


負け惜しみではない、足るを知る

2011-05-24 09:44:00 | インポート
"年を取ったら乗れないかな"という思いがいつの頃からか心の中にあって、スーパーカーにあこがれた少年の時のようにネットであちこちメーカーのサイトを覗いてみる、おじさんになって分別という余計なものが身についているので、いまさらレーサーレプリカで峠を責めるのもなんだかな~、国産のネイキッドは性能はいいのだけど、いかにも乗せられてるみたいだし、、、ハーレーは・・・、というわけで、

他の人には多分分からない我儘な取捨選択を経てたどり着いたのが写真のトライアンフ スラクストン、日本車が世界を席巻する前の往年のイギリスの名門メーカー、日本のホンダが精密機械のような並列4気筒エンジンでマン島レースを制するまで、世界に君臨した直立2気筒エンジン。

そのエンジンを今では死語になったカフェレーサーのイメージにまとめ、現代の技術も盛り込んだモダンクラシックなスタイル、ジェントルでエレガントな雰囲気は車のジャガーやアストンマーチンに通ずるものがあると思います。

で、先日近くのショップに見に行きました、"高額な商品ですので触らないでください"的な張り紙がシートの上に貼ってあります、写真で見る以上にピカピカ、イギリス車らしい細い燃料タンク、クラシックなシートカウル、車体はわりとコンパクトで足つきも問題なさそうです。

が・・・、お値段を見ると車体価格135万円、諸経費入れて乗り出し価格で約150万円!!、だいたい予想はしてましたが、お高い。

ひゃくごじゅうまんえん、もっと高いバイクがあるのは知ってますが、残念ながら私の財布で趣味に出せる金額ではありません、、、

というわけで割とあっさりとこの3日間程の妄想は消えてしまいました、考えてみれば今持っているスズキジェベル250に何の不満があるわけでもないし、「足るを知る、足るを知る、、、」と心の中で繰り返すと、なんか今の自分の幸せを少しだけ実感できました。
(写真はトライアンフのページから借用しました、モデルはもちろん私ではありません・・・念のため)


5月の花の幸せ

2011-05-16 09:34:13 | インポート
自転車通勤をしていると、道端の草や花によく目が行きます。

一日中晴れの天気予報の日の朝、急に丈が伸びた草草の間にめだつ濃いピンク色
の花、あざみです、5月は一年中で一番好きな季節で、あざみは好きな花で、こんな
日は一日ちょっと幸せな気分になるわけであります。

なんか人間の気分というものは、非常に微妙なバランスの上に乗っかっているのが
この頃分かってきて、物事の捉え方一つで明るくなったり、暗くなったりするのならば
明るい方を選ぶようにしたいと思っているわけです。

さて、私の住む熊本県中央部の田舎の町では5月は農業のスタートシーズンです、
来週の日曜日は、稲の種まき、それから1カ月ほどして田植え、去年まで手伝ってくれていた息子二人が
今年はいないので、80を過ぎた私の母と、嫁、私の3人でやっていかなければなりません。

村の中でも周りを見回すと、70や80になっても現役で農業をやっている人々ばかりです。私もあと何年かして
定年が来たら、一日野に出て黙々と農作業にいそしむ日々を送ることでしょう、そしてあざみはその時も何の
変わりもなく老いた私を見つめていることでしょう。


あえて頑張れと言う

2011-05-12 13:11:10 | インポート
人を元気づける、励ますというのはとても難しいことだと思う。

東北の大震災で家をなくし、家族を亡くし、仕事を奪われた人たちの
ニュースを見ながら、あるいは初めての地で友達もおらず、休日に
寮の部屋でひざを抱えている息子のことを思いながら。

"頑張れ"と言わなくなったのはいつ頃からだろうか、言われた方は
すでに頑張っているのにさらに頑張らなくてはならないからと・・・・・

だけど、手を取り合って一緒に泣いてみても事態が良くなるわけでも
無い時、気軽をよそおって"頑張れ"と声をかけてくれた人に私は
励まされたことがあった。

自分の悲しみや苦しみは、やっぱり自分自身で受け止めていかなけれ
ばならないし、解決していかなければならない、立ち向かうのは孤独だ。
だけど、"頑張れ"と声をかけてくれる知人、友人、家族はそれを見て
いてくれる、そしてあなたはその悲しみや苦しみを乗り越えていけるはず
だと信じていてくれる。

人は孤独だ、だからなおさら思いは伝わる。


もう一度の時間はない

2011-05-10 13:09:38 | インポート
今年春就職した次男の寮がある街に夫婦で行ってきた、次男の寮から職場までは歩いて15分ほどで、途中には小さな商店街があり、100円ショップや饅頭屋や郵便局や小さなスーパーなどがあり、踏切があった。

以前にも書いたが、次男は社交的な人間ではないので、知らぬ人ばかりのこの見知らぬ地で、自分の生活基盤を築くのにはまだずいぶん時間がかかるだろう、毎日朝夕、この小さな商店街を遠慮がちに猫背で歩く彼の姿と心の不安を思うと胸がいたくなった。

だけど、越えなければならない山はあるし、登らなければならない階段もあるのだよ、人間には。

踏切を渡りながら、好きなアニメ「秒速5センチメートル」の第3話の最後付近の場面が思い出された、大人になった主人公が思い続けていた初恋の女性と踏切ですれ違うシーン(物語の中で明確にはされていないが、私はそう思っています)主人公は振り返るが、女性は行き過ぎる・・・、第1話の中学生のころ雪の駅で互いに共有した思いは忘れてはいないが、過ぎてきた時間とそれぞれの心の成長が立ち止まることを避けさせる・・・バックに流れる山崎まさよし"の「One more time,One more chance」、だけどあの瞬間はもう戻らない。

時間は流れ、ひとは年を取り、一歩ずつ確実に死というゴールへ向かって歩いて行く、ならばせめて後悔というものをしないで先へ進むために、今自分が立っている時間を大切にしよう、もう一度の時間はないと本当は知っているのだから。

(写真はネットから借用したものです)