日盛りの道の上で

日々の日記と家族のこと、仕事と趣味、雑感少々

生活のバランスについて

2011-06-29 10:14:48 | インポート
ホンダから発売されたCB1100の現物を見に、先日ホンダドリーム熊本へ行った。

現代の二輪の技術でいえば一昔前の設計思想のバイクだが、別にレースに出るわけでもない一般のユーザーから見れば必要十分な性能を持っているし、車体の大きさも普通の体格なら無理せずに乗れそうだし、プラスティック部品が少なから質感も悪くない、何よりちょっと頑張れば手が届きそうな値段設定が微妙におやじの生活バランス感覚を刺激する。

実際40代~50代のリターンライダーと、も一度青春おやじの心を掴んだようで売れている、マーケティングリサーチの勝利である、ホンダさんお見事。

が、傷つきやすく偏屈で海千山千のバイク好きオヤジも少なからずいるわけで、「ケッ、昔のCB400の焼き回しじゃねえか」とか、「しょせん過去のCBシリーズの亡霊だね」とかホンダの技術者が聞いたら幾千万言の反論をしたくなるような一言で片づけられてしまう場合も今回は多分あると思う。

ほんとは付き合いたいんだけど、あまり簡単にOKを出したら・・・的な恋の駆け引き的な心理に(多分)似ている。

で、私はどうしたかと言うと、1時間近く詳しく解説してくれたショップの人には申し訳ないのですが、買わない(買えない)ことにしました。

何が一番問題かというと、上記の複雑なおっさん心理もあるのですが、要するに純粋な趣味にひゃくまんえんαの金を出すのが惜しかったからです、私の生活バランスでは天秤の片方にひゃくまんえん乗せたら、確実に反対の生活の皿が干上がってしまいます。

「買っちゃいました」を期待して読み進められた方々すみません、それから写真はWebからの拝借です、やっぱ白がいいですね・・・。




だまって働く日々

2011-06-23 17:10:41 | インポート
人と話すのはあまり好きじゃない、気のきいた話のひとつもできればいいのだが、人につまらない人間だと思われるのが嫌で、話したくないのに無理に話題を作って話している自分がいやなので、だから人と話すのはあまり好きじゃない。

田植えは話をしなくてもいいから、ただ真っ直ぐに緑の列が欠けることなく梅雨の雨の中に並んでいればいいから、好きだ。

会社員ときどき百姓という生活をやっていると、季節折々の農作業が運動やストレス発散の、いわば趣味のようになってくる、金もかからないし実益をかねた趣味なのだが、私の場合はなぜか金は貯まらない。

苗床作り→種まき→肥料ふり→代搔き→田植え、とこの1カ月程の作業は一応決着がつき、水の管理と消毒を怠らなければ、10月には1トンほどのコメが取れ、半分を農協に出荷し、半分を自分の家で食う分と、親戚などに分ける分に使う、1俵60Kgが14,000円だとして、1トンだと23万3千円余り、これだけではとても専業の百姓では食っていけないが、コメを1年買わなくても生きていけるという安心感がその対価だろうか。

農家の現状は厳しい、ほとんどが個人経営だから人件費や農業機械や肥料など最低限の投資は生産する作物の値段からは回収できない、だから若者はだれも農業を専門でやろうとはしない。

先祖が苦労して切り開いた農地、6月の雨上がりに鏡のように空と風を映す水田の風景は50年後にはもう無いかもしれない。


ささやかだけど心に残ること

2011-06-20 15:29:05 | インポート
 題名は意外だが、白い鹿の粘土像の写真があしらわれた装丁は素敵だ、そしてこの真っ白な鹿の悲しみをたたえた目はそのまま、薔薇の刺を触れた時の痛みを伴う物語の中身を表現しているような気がする。

 小川洋子「人質の朗読会」、中南米を連想させる辺境の村で日本人8人が乗ったツアーバスが現地の反政府ゲリラに襲撃され、全員が拉致される。
 数か月の交渉は行き詰まり、人質たちが監禁される猟師小屋への政府軍の突入が実行されたとき、ゲリラのしかけた爆弾により人質8人はすべて死亡してしまう。

 この悲惨なニュースを聞くような物語は巻頭に語られる、したがって、その後に続く8人が閉塞状況の中の朗読会で語る、それぞれの人生におけるささやかだけど大切な物語を、読者は彼らのその後の運命を知った上で読み進むことになる。

そのことが、これから物語を読み進める読者の心理にどのような影響を及ぼすか、作者はもちろんその効果を知っている、そして一人一人の物語の最後に参考的に加えられる、年齢、性別、職業、ツアーへの参加理由までもが細く長く、読者の胸を打つのだ。

恐るべし、小川洋子。
この才能に比肩する作家と言えば、私は向田邦子しか知らない。


芸術的な物語

2011-06-06 11:33:48 | インポート
シューマンの曲と言ったらトロイメライくらいしか知らない、クラシックにもピアノにも今まで全く縁が無く、むろん音符も読めない、私も含めそんな人は前半であきらめてしまいそうな長編小説、それでも作者の非凡な力量が、行間に一瞬シューマンのピアノ協奏曲の1小節を立ちあがらせて見せるような、、、音楽大学の学生などクラシック畑の住人ならページのすべてに音楽を感じることができるはず。

好き嫌いは分かれると思うが、テーマとストーリーに関してこの文体は合っていると感じる、前半の緩慢で退屈(クラシック畑の住人でない私にとって)な流れに飽きて、読み終わるのにずいぶん時間を要したが、後半のミステリー仕立ての展開となぞ解きは読者を勢いづかせる。

シューマンとクラシック好きな人にとってはたまらない一冊、凡人には芸術の香り高さが鼻につく。