この前の日曜日、久しぶりに自由な時間があったので10Kmほど離れた山間のキャンプ場に図書館から借りた今年の本屋大賞にノミネートされている本と、折りたたみのキャンバスチェアを持って出かけた。
「本屋大賞にはずれはない」と以前ブログに書いたことがあったが正直に言ってこの本は私にとってはずれだった、長いだけで作者の意図も感動も伝わってこない内容は年末年始の安易なテレビ番組のようだ。
ひとそれぞれ読書という行為に求めるものは違うのだろうが、一冊の本を読みあげるのに要する時間を考えれば、休日の一日を費やすだけの価値がその本に見いだせなかったときは怒りさえわいてくる、誰に対してではなく、その本を選択した自分に対してである。
評価の定まった古典だけを読めばいいのだろうが、おじさんでも時代に乗り遅れたくはないという意識がある、もしドラも読んだし、新聞の書評欄は必ず目を通す。
それでも失敗することはあるのだ、人生の多くがうまくいかないことで構成されているように。
「本屋大賞にはずれはない」と以前ブログに書いたことがあったが正直に言ってこの本は私にとってはずれだった、長いだけで作者の意図も感動も伝わってこない内容は年末年始の安易なテレビ番組のようだ。
ひとそれぞれ読書という行為に求めるものは違うのだろうが、一冊の本を読みあげるのに要する時間を考えれば、休日の一日を費やすだけの価値がその本に見いだせなかったときは怒りさえわいてくる、誰に対してではなく、その本を選択した自分に対してである。
評価の定まった古典だけを読めばいいのだろうが、おじさんでも時代に乗り遅れたくはないという意識がある、もしドラも読んだし、新聞の書評欄は必ず目を通す。
それでも失敗することはあるのだ、人生の多くがうまくいかないことで構成されているように。