日盛りの道の上で

日々の日記と家族のこと、仕事と趣味、雑感少々

体力の消耗と気力の消耗

2011-07-28 08:44:03 | インポート
例によって、一年に一回のおじさんキャンプ(略称オジキャン)へ行ってきた、自宅から約70Kmの上天草市姫戸町にある小島海水浴場&キャンプ場、昨年に引き続き真夏の自転車オンザロードである。

毎日自転車通勤で片道15Km程を走っているが長距離を走るのはほぼ1年ぶり、狭い国道の端を走っていても追い越す車からの冷たい視線を感じる、道は車のものであって歩行者や自転車が通行する場合は遠慮し、車に気を使い、環境保全のため排気ガスを目いっぱい吸い込まなければならない、と、世間の常識は教えてくれる。

気力がだんだん消耗していく、いっぱしに一人の男として家庭を作り、子供を育て、それなりに仕事もし、社会的地位も固めてきたが、真夏の国道を自転車で走るのに必要なのは、体力と気力だけでいい、理屈はいらない。

休憩時間を含め4時間ほどで目的地に到着、海水浴場でちょっと泳いで缶ビールを飲めば、ぼろぼろになりかけた体力と気力がまた持ち直してくる、私の場合人間も、人生も割と単純にできているようだ。


気持ちを送るということ

2011-07-21 17:50:11 | インポート
昨日インターネットショップで注文していたノートパソコンが届いた、Core-i7にメモリ8G、ディスプレイはフルHDの結構なハイスペックだ。

それはそれでいいのだが、ちょっと気になったのが割と雑だった梱包、本体を包んでいた袋状の緩衝布は適当にかぶせてあったため皺がより、外装の箱も雑な印刷と品質の悪そうなな段ボールでできている、何より止めてあるテープの貼り方がガサツな仕事を感じさせる。

10万円以上するノートパソコンを入れるんだから、もうちょっと丁寧な仕事をして欲しいと思うのは贅沢だろうか、比較しては悪いのだがAppleはこの点では完璧な仕事をしている。

日本人は昔から人に物を送るときは、その包に特別に気を使ってきたと思う、熨斗や水引、風呂敷の包み方まで長く深い文化がある、基本的にもらう側の気持ちを極限まで考慮することで、送る側の気持ちを伝える、そういうことだと思う。

商売においても、この"気持ちを送る"態度はとても大切なことだ、Appleが躍進している影にはそのパッケージング=梱包もかなりプラスに働いていると私は思う。



人は自立する

2011-07-19 17:40:40 | インポート
海の日が土日に続く3連休で、たびたびこのブログでも書いた次男が大阪から帰ってきた、初めて少しだけもらったボーナスで買ったGibsonの中古ギターを大事そうに抱えて、なにより嬉しかったのは彼がいつもの様子を取り戻していたことだ、4月に向こうへ行った後、1カ月で3回も帰ってきたのに・・・、少し時間はかかったが向こうの生活に慣れてきている様子が、話の端々から分かって本当に嬉しかった。

多少は無理をしているのかもしれないが、私たちに心配をかけまいとする心遣いができるようになったのだろうか、思えば私も何も分からないまま、不安だけの20代を過ごしたような気がする、いま思えば冷や汗をかくような恥ずかしい思いもずいぶんあった、その一つ一つをどうやって乗り越えたのかもう覚えてはいないが、人は百万言の言葉より自分の経験でしか成長することはできないのだろうか。

社会人としてやっと前に歩みだした次男を駅で見送りながら、「負けるな・逃げるな」と自分に言い聞かせてきた言葉をつぶやく。


VAI○タイマーは起動しなかった

2011-07-11 15:57:10 | インポート
一頃2年間の猶予をおいたタイマーが仕込んであると、まことしやかな噂があったS○NYのVAI○を5年半程使ってきたが、私のは入ってなかったみたいで、60GのHDがどんなに整理しても満杯になってしまうのと、せっかく引いた光回線にIntel Celeronと1Gのメモリではあまりに力不足を感じたので、買い替えることにした。

また5年以上は使えるスペックをと選んだのはDellのXPS15、Core-i7でメモリ増設とフルHDのディスプレイをBTOで選択した、天板は100種類以上の中から選択できるようだが、デフォルトのアルマイト色、ついでにVAI○購入以前から使っていたプリンタも「ぽちっと」・・・、〆て14万2千円ほど(消費税込み)。

最初買ったNECの9801-RXから数えるともう何台PCを買っただろう、あの頃は中古パソコンも結構いい値段で売れていたのに、今私が使っていたVAI○を売りに出しても、ただでも引き取ってもらえないだろう。

昨日「ぽちっと」したPCが届くまで2週間くらいかかりそうなので、とりあえずこの前買ったNASにデータを移しておこうと写真のフォルダを開いたら、家族旅行の写真やら、新品だった単車の写真やら、息子の卒業式の写真やらが一杯出てきた、家族の5年間の記憶をとどめてくれていたPCに、「ごめんな」と言いたくなった。




政治の無と国民の愚は等しくない

2011-07-05 11:18:56 | インポート
どんなに政治に無関心を装おうと、田舎暮らしで自給自足に近い生活をしていたとしても、不治の病を得て残り半年の命の宣告を受け絶望のベッドに横たわっていたとしても、私たちの国の政府が決めたことには従わなくてはならない。

戦争を始めるから徴兵すると決まれば否応なく兵役に着かねばならないし(実際ほんの70年程前の日本ではそうだった)、私有財産を認めず、一党独裁で国民はすべて農業を体験しなくてはならない、と決まればアイドルだろうが、お笑い芸人だろうが明日から泥と汗まみれだ。

そういった極端なことはないにしろ、かって「選良」と言われた議員先生方の嘆かわしいほどの質の低下を今国民のほとんどが憂いている、そして恐ろしいことに先生方はそのことに気づいていない。

愚かな国民からは愚かな政府しか生まれない、とは昔から言われることだが、ならば我々は愚かなのか、否、長い安穏に多少はぼけているかもしれないが、礼節と勤勉を知る日本人のDNAは決して死んではいない、ゆえに怒りは静かで深い。