日盛りの道の上で

日々の日記と家族のこと、仕事と趣味、雑感少々

猫の領域

2010-11-30 09:22:46 | インポート
無色でフリーターをやっていた長男が就職し家を出て行ったので、私、嫁、私の母の3人+飼いネコ凪(なぎ)、半ノラ猫うずまき、金魚と熱帯魚(名前なし)の静かな暮らしになりました。

飼いネコ凪は可愛がってくれた長男がいなくなってさびしいのか、私の部屋に居着くようになりました(嫁はあまり構いすぎるので苦手のようです)、寝る時も私の布団の上の真ん中にでんと居座るので私は自分の布団の片隅に寝ることになります。

そのせいか3日ほど前の寒かった夜、風邪をひいてしまいました、「飼い猫に布団取られて風邪をひき・・・」(習芭蕉)、このままでは寒い冬に同じことを繰り返しそうなので、寝てる間はドアを閉めて凪は出入り禁止にしました、手足を伸ばして寝れることの幸せ・・・、寝場所を追い出された凪はどうしてるかというと食事をする椅子の上で丸まって寝ています。

半ノラうずまきは何処でねているのやら、毎日朝と夕方、きちんと家の玄関先に餌をもらいに来ます、猫と話ができたら面白いだろうなと思います。


衰えた・・・

2010-11-22 11:03:34 | インポート
昨日町の駅伝大会があり、40歳~50歳男400Mという区間があったので、参加しました。

地区の体育担当をやっている関係で、他の人に出走をお願いする手前、自分が出ないわけにはいかないと思ったからなのですが、、、400Mが駅伝の区間距離として適当かどうかの議論はさておき、一応フルマラソンを完走したこともあるし、毎日自転車通勤30Kmは伊達じゃない。

久しぶりの駅伝ということで、柔軟、アップを十分にすませて待っていると、来ました2位です、「よっしゃーーー、絶対前を抜いちゃるうーーー」、舞い上がって100Mのスタートのように飛び出しました、直線なので前のランナーの背中とその先の中継点まで見通せます、ドカドカと自分の足音が聞こえてきます、「あれ、何か足が重いような」と一瞬思うのですが、ままよ、と短距離を走るようなペースで走り続けます、前のランナーはすでに中継を終わったようで、それでも少しでも差を縮めようと心の中で「うおーー」と叫びながら中継点を見ると次のランナーが手を挙げてこちらを待っているのが見えます。

たすきを両手で持って転げこむように中継点でリレーを終わったあと、つんのめって顔から地面にころんでしまいました、眼鏡は傷が付き、片方のつるが外れています、はずかしいので「足が動かん--」とか言いながら、立ち上がって道のわきのほうへ、顔は擦り傷だけのようですが、血が出ていると心配されるので、さりげなくシャツで顔を拭くと大丈夫のようです。

とぼとぼとスタート地点まで、脱いだウェアを取りに引き返す私の後姿の肩は落ち、すこし足を引きずっていたかもしれません、「衰えたな・・」といつもの冗談ではなく、少し声に出してつぶやきました。





なぎとうずまき

2010-11-08 15:35:19 | インポート
以前にも書きましたが、私の家では猫を飼っていて、名前は「なぎ(凪)」と言います、チンチラとアメショー(アメリカンショートヘア)の合いの子で近くのペットショップで売れ残っていたのを買ってきました、彼が4カ月くらいの時です。

名前をつけたのは最初に猫を飼いたいと言った長男で、凪というのは海で風がない状態を表す日本語です、5年くらい前のことです。

凪は他の猫とつきあう機会が無かったので、猫としての社会性を身につけていないらしく、他の猫を見ると必ず喧嘩をふっかけます、ワナーーオウ、ワーーオオウという大きな鳴き声を聞いて急いで行くと、凪が他の猫と額を突きつけて見合っています、やめさせようとして凪に噛まれたりひっかかれたりしたことが無数にあります。

左の写真は凪の最初の喧嘩相手「うずまき」です、体の側面に立派な渦巻きのような縞があるので、私が勝手にそう呼んでます、村上春樹のエッセー「うずまき猫の見つけ方」からいただきました。

アメリカンショートヘアの血統らしく、ノラにしては可愛いので家の庭で餌付けをして2年くらいになります。

2か月程前から、うずまきが子猫を連れてくるようになりました、連れてくると言うよりも、うずまきに餌をやると子猫がそれを食べてしまうのです、うずまきはノラの生活が長いので自分の餌を他の猫に盗られたら絶対に追っ払うはずなのに、黙って横で見ています、親子なんですね。

その子供は「うずまきこねこ」と私たち家族の間で呼ばれるようになりましたが、本当に渦巻きの子なのか疑うほどに、なんとも言いようのない黒と茶褐色を無造作に振りかけたような毛並み、野良猫独特のするどいまなざしで、多分「かわいい」と飼ってくれる人間はいなさそうです。

うずまきは子猫に餌を分けるので自分が腹いっぱいにならないらしく、餌の皿が空になった後もしばらく家の周りをうろうろしていましたが、餌は一人分(一匹分)以上は与えませんでした。

そのうち、うずまきの餌を2~3匹の子猫が食べに来るようになり、「おいおい」と思った私たちはうずまき以外の猫が餌を食べにくるのを追っ払うようにしました、この攻防は今でも継続中です。

都会では「野良猫に餌を与えないでください」という張り紙や粗末な看板を見かけることがありますが、私の住んでいるところは田舎の農家集落で、家の前に自家用の畑があり、農機具小屋があるので猫にとっては住みよい環境かもしれません、子猫が庭のキャベツをかじっているところを見たことがあります。

それにしても、私がなでようとすると本気でひっかき、噛みつきするうずまきが、自分の餌を分け与えるのを見ると何かこの頃の人間の親子関係より、猫の親子関係がよっぽどうまくいっているんじゃないかと、少し思うところです。





運命の女神とすれ違うとき

2010-11-02 12:22:56 | インポート
大学を卒業して2年近くフリーターだった長男の就職が決まりました。

「この不況のなか、しかも九州の田舎の県で安定した仕事にありつけるのか。」一流大学卒でも、何かの能力に恵まれたわけでもなく、ごく普通の若者である彼は常にこの先の見えない不安と闘ってきたはずです。

いくつもの会社に履歴書を送り、あるときは書類選考で断られ、一次試験で落ち、面接で落とされ、徐々に削られていく自己のアイデンティティと自信、そのことに対する焦り。

ある日、新聞に出ていた小さな「社員募集」の記事を見て、いつものように応募書類を送り・・・、それから約1カ月半、書類選考、一次試験、面接、適性検査を経て合格の最終通知が来ました。

思えばあの新聞の記事が長男にとって運命の女神だったのかもしれません、路上をごく普通の顔をしてすれ違い、何かを思って振り向いても、もうそこにはいない。

思えば誰も、そんな瞬間があったことを思い出すのではないでしょうか、そうしてそんな瞬間に気づくのは自分が何かを求め続けているときではないでしょうか。

50歳を過ぎて青臭いようですが、真摯に求めて歩き続けていれば、目的地ではないかもしれないが、どこかここよりましな場所に行きつくことができるのではないか。と思った次第です。