宮沢賢治は「人は何のために生きているのですか。」と聞かれて「人は何のために生きるか、それを探すために生きているのです。」と答えたそうです。
卵が先か、にわとりが先かに類した問答のようですが、私は苦しいときによくこの賢治の言葉を思い出します、自分の顔を直接自分で確認できないように(鏡に映るのは本当の自分ではないのです)、自分の生き方が正しいかどうかなんて自分で判るわけはないと思っています。
死して評価が定まるまで、自分の生きる意味を迷いながら、苦しみながら探すしかないのですが、せめて胸を張って矜持を持って生きて行きたいと思うだけです。
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