なんだかんだ言いながら毎年やっぱり観てしまう、24時間テレビ。
毎年障害に負けず頑張っている人たちに励まされたり、勇気づけられたりしている人は多いのではないだろうか。
歳のせいか最近は涙腺もめっきり弱くなり、涙を拭いていてもそれが当たり前の光景になってしまい、家族にも突っ込まれなくなった。
「自分は恵まれているなあ」と毎年この夏の終わりに教えてもらい、そして「あんたももっと頑張れよ」と見えない誰かに叱咤激励される。
いろんな意見はあるみたいだが、私は純粋にこんな番組があってもいいと思う。
いつからだろう「真剣であること」が「カッコ悪いこと」とに位置づけられ、友情を称える青春ドラマは「クサイ」と笑われるようになった。
茶化したり、ふざけたりすることで「感動」の根っこを見せないようになった。ドラマも直接的にではなく、ヒネッた枝葉を競い合うようになった感じがする。
斜めに見るのもいいかもしれないが、1年に1度くらいはテレビの前で、家族で考えるのもいいのではないだろうか。
ところで、申し訳ないのだが今年のランナーのエドはるみさんが実は苦手である。
いつもあの「グー」を見ると、なぜか分からないがこっちが恥ずかしくなる。
でもスタートの前に涙を溜めて叫んだ言葉は胸を打った。
「人はいくつになっても、いつからでも変われることが出来る」
そうです、未来の自分にとって今日が一番若いんです。
頑張らねば。
「涙さえ、心の汗と言えた時代(ころ)」
あの頃の若者には、なんか底知れぬパワーがあったように思うなあ…。熱かったよなあ…。
毎年障害に負けず頑張っている人たちに励まされたり、勇気づけられたりしている人は多いのではないだろうか。
歳のせいか最近は涙腺もめっきり弱くなり、涙を拭いていてもそれが当たり前の光景になってしまい、家族にも突っ込まれなくなった。
「自分は恵まれているなあ」と毎年この夏の終わりに教えてもらい、そして「あんたももっと頑張れよ」と見えない誰かに叱咤激励される。
いろんな意見はあるみたいだが、私は純粋にこんな番組があってもいいと思う。
いつからだろう「真剣であること」が「カッコ悪いこと」とに位置づけられ、友情を称える青春ドラマは「クサイ」と笑われるようになった。
茶化したり、ふざけたりすることで「感動」の根っこを見せないようになった。ドラマも直接的にではなく、ヒネッた枝葉を競い合うようになった感じがする。
斜めに見るのもいいかもしれないが、1年に1度くらいはテレビの前で、家族で考えるのもいいのではないだろうか。
ところで、申し訳ないのだが今年のランナーのエドはるみさんが実は苦手である。
いつもあの「グー」を見ると、なぜか分からないがこっちが恥ずかしくなる。
でもスタートの前に涙を溜めて叫んだ言葉は胸を打った。
「人はいくつになっても、いつからでも変われることが出来る」
そうです、未来の自分にとって今日が一番若いんです。
頑張らねば。
「涙さえ、心の汗と言えた時代(ころ)」
あの頃の若者には、なんか底知れぬパワーがあったように思うなあ…。熱かったよなあ…。