歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

死の名場面②-2(死ぬ直前の川端康成)

2009年12月16日 | 死の名場面
死の名場面②-2(死ぬ直前の川端康成)

川端康成が自殺した昭和47年4月16日。
この日、彼は自宅の二階の書斎で
『岡本かの子全集』の推薦文を書いていたらしいが、
途中でペンをおくと、万年筆にキャップもはめず、
家の人に行き先もいわないで、ふらりと家を出た。

いつもは几帳面な性格なので、万年筆のキャップを
はずしたまま、机を離れることはなかったし、
外出する時は、必ず夫人がお手伝いに
声をかけていたのだ。

午後2時ごろ、車が渋滞した由良が浜通りで
途方にくれたように立っているのを、
通りかかったタクシーの運転手が目撃している。

約30分後に、そのタクシーが客を送って
引き返してみると、まだ同じところに
川端康成が立っていたので、
その前に車を止めると、
彼はほっとしたように乗り込んで
「逗子マリーナへ」と行き先を告げた。

この運転手は、今までに何回も
川端を乗せたことがあって、
顔なじみだったので、
運転しながら気さくに話しかけたが、
この日にかぎって、
川端はろくに返事もしないで
黙りこくっていたという。

マンションに着いたのは午後3時ごろだった。
車から降りた彼は、まっすぐエレベーターで
4階へあがった。
その後ろ姿が、人目に触れた最後だった。

その後、春の西陽が差し込む417号室で
ただ一人、何をしていたのか、全く謎である。

検視医は死亡時刻を午後6時ごろと
言っているが、それよりも1時間も前に
マンションの住民がガス漏れに気付いている。

ゴム管を口にくわえて、直にガスを吸い込めば、
おそらく10分以内には死ぬから、
住民がガス漏れに気付くより前に
すでに死んでいたことになる。

とすると、死亡推定時刻に1時間のずれがある。
後日、遺族はゴム管をくわえていたというのは
報道の誤りであると、何故か訂正している。
もし、それが事実なら、最初はガスを室内に
放出したが、なかなか死にきれないので、
気密性の強い浴室に入って、
ゴム管を自分の口もとに近づけたとも
考えられる。

ともあれ、問題は自殺の動機である。
マスコミはその一つに、
創作力の衰えをあげた。



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