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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

死の名場面(31)-6(スコットの敗北の理由)

2010年06月15日 | 死の名場面
死の名場面(31)-6(スコットの敗北の理由)

スコット隊がアムンセン隊に敗れ、
遭難死した理由については、
その当時から数多くの者が分析を行っている。

中でも、スコット率いる南極探検隊に参加し、
スコット達の捜索隊にも参加した、
アスプレイ・チェリー=ガラードらは、
スコットがアムンセンに遅れをとった事や
遭難死に至ったその敗因について、
以下の様な分析を残している。

①アムンセン隊は犬ゾリとスキーによる
 移動を行い、極点に到達したが、

 スコット隊は当初使用した雪上車、
 主力とした馬による曳行が悉く失敗し、
 人力でソリを引かざるを得ず、
 いたずらに体力の消耗を招いた。
 寒冷な気候に強いとされる品種
 の馬を用意していたものの、
 馬そのものの体重が重いため
 雪に足をとられたり、
 クレバスに転落した事などに加え、
 馬が生存できる耐寒温度を遥かに下回っており、
 馬は体力の低下とともに次々に死んでいった。

②アムンセン隊では現地に棲息する海獣を
 狩るなどして携行食糧を少なめに抑えた。
 この肉は人だけでなく犬ぞりの犬も食している。

 一方スコット隊は全ての食料を持ち運んだ。
 特に馬のための干草類は現地では
 全く入手できるものではなかったうえに、
 馬の体力消耗で思いのほか早く尽きてしまった。

③アムンセンの探検隊が南極点到達を
 最優先していたのに対し、

 スコットは地質調査等の
 学術調査も重視しており、
 勢力を分散させる結果となった。

④アムンセン隊は南極点への最短距離にあたる
 クジラ湾より出発したが、

 スコット隊は学術的調査の継続のため、
 より遠いマクマード湾より
 出発せざるを得なかった。
 スコット隊の最終メンバーは30代が中心であり、
 30歳以下の隊員はバウアーズ一人だけだった。
 夏期としては異例の暴風雪にみまわれた。

人類史上初の南極点到達を競うことになるが、
2着に終わり、さらに帰路1912年3月29日、
死去した。享年43。
同年10月に救援隊により遺体・遺品が発見される。







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