死の名場面(31)(スコット 探検史上、最大の悲劇)
イギリスの海軍大尉スコットと4人の隊員が
南極点の一番乗りを目指して、
苦難の行進のすえ、やっと極点に到達したのは、
1912年1月17日だった。
前人未到の処女地である筈の大雪原に、
黒い旗が立っているのを見て、
彼らは信じがたい驚きにうたれた。
それは1カ月も早く極点を征服した
ノルウェーのアムンゼン隊が
残したテント跡だったのである。
先陣争いに負けたスコット隊は、
失望のあまり、帰路、猛吹雪にあって、
ついに全員が死亡した。
世界の探検史上、最大の悲劇といわれている。
敗北の原因は輸送力にあった。
スコット隊はシベリア馬を使ったが、
馬は意外と寒さに弱く、
出発してまもなく全滅した。
アムンゼン隊のほうは、
多数の犬にソリを引っ張らせ、
帰りの補給品を途中に残していく度に
荷が軽くなりと、不用意になった犬を射殺して、
その肉を食料にした。
スコット隊が全行程のほとんどを
人力でソリを引っ張って歩いたのに比べて、
アムンゼン隊は往復とも犬ゾリに乗って
完走したのである。
スコット隊の足取りは重かった。
一人は凍傷で死に、
もう一人は歩行が困難になると、
仲間に迷惑をかけるよりも死を選んで、
自ら吹雪の中へさ迷い出て、行方不明になった。
残る3名が最後のテントを張ったのは、
3月21日だった。
補給貯蔵所まであとわずか20キロの地点だったが、
彼らにはもはやそこへたどり着く余力がなかった。
荒天の為、小さいテントの中に9日間も
閉じ込められて、食料と燃料が尽き果て、
ついに全員が死亡したのである。
イギリスの海軍大尉スコットと4人の隊員が
南極点の一番乗りを目指して、
苦難の行進のすえ、やっと極点に到達したのは、
1912年1月17日だった。
前人未到の処女地である筈の大雪原に、
黒い旗が立っているのを見て、
彼らは信じがたい驚きにうたれた。
それは1カ月も早く極点を征服した
ノルウェーのアムンゼン隊が
残したテント跡だったのである。
先陣争いに負けたスコット隊は、
失望のあまり、帰路、猛吹雪にあって、
ついに全員が死亡した。
世界の探検史上、最大の悲劇といわれている。
敗北の原因は輸送力にあった。
スコット隊はシベリア馬を使ったが、
馬は意外と寒さに弱く、
出発してまもなく全滅した。
アムンゼン隊のほうは、
多数の犬にソリを引っ張らせ、
帰りの補給品を途中に残していく度に
荷が軽くなりと、不用意になった犬を射殺して、
その肉を食料にした。
スコット隊が全行程のほとんどを
人力でソリを引っ張って歩いたのに比べて、
アムンゼン隊は往復とも犬ゾリに乗って
完走したのである。
スコット隊の足取りは重かった。
一人は凍傷で死に、
もう一人は歩行が困難になると、
仲間に迷惑をかけるよりも死を選んで、
自ら吹雪の中へさ迷い出て、行方不明になった。
残る3名が最後のテントを張ったのは、
3月21日だった。
補給貯蔵所まであとわずか20キロの地点だったが、
彼らにはもはやそこへたどり着く余力がなかった。
荒天の為、小さいテントの中に9日間も
閉じ込められて、食料と燃料が尽き果て、
ついに全員が死亡したのである。